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予知能力には気をつけろ/青春の力『ポストの中の明日』

『ポストの中の明日』
「少年サンデー」1975年18号
藤子・F・不二雄大全集「少年SF短編」1巻

藤子F作品では、「エスパー魔美」を代表に、超能力をテーマとした作品が多く、「ドラえもん」でも『エスパーぼうし』『エスパースネ夫』『10分おくれのエスパー』などの話もある。ただ、数ある超能力の中でも、「予知能力」については、F先生は懐疑的に描いていることが多い。

エスパー魔美でも、「大予言者あらわる」「占いとミステリー」などでは、未来予知については、基本的にイカサマだったり信用できないものとして捉えている。

ドラえもんでも、ノストラダムスの大予言をテーマとした『大予言・地球の滅びる日』があるが、これも抽象的なノストラダムスの予言の表現を皮肉ったお話であった。

「藤子・F・不二雄の異説クラブ」「超能力大研究」において、F先生は予知についてこのように述べている。(太字化は筆者)

思うに、予言者というのは、世界中に何千人いるか、何万人いるか知りませんが、そういう人たちは商売として、しょっちゅう予言しているはずです。とすれば、膨大な予言の中から、いくつか当たっても不思議はないという感じもします。ぼくも否定はしきれないのですが、インチキみたいなものも多いなっていうのが実感です。

続けて、

予言についてもう一つもどかしく思うのは、「ノストラダムスの大予言」等に見られる、表現のあいまいさです。解釈次第で、どうにでも受け取れそうな・・・。「ちょっとズルいや」という感じがするんですよ。

と、終始疑いの目を向けているのが良くわかる。


そんな風に軽々しく予知能力を描かないF作品なのだが、予知を真正面からテーマに据えた2本の短編が存在する。

1作目が1972年8月に発表された『アチタがみえる』で、これは初めて読んだときには思わず背筋が凍る思いをした、とんでもないショッキングなラストシーンが待ち受ける異色作だ。この話もいずれ考察したいところだが、こちらはネタバレ無しで読んで欲しい一本。

2作目が今回じっくり見ていく1975年5月に発表された『ポストの中の明日』である。予知能力と青春を掛け合わせた、記憶に残る傑作だ。こちらのラストシーンは、言い知れぬ感動と興奮がある。こちらも必読の一本である。

他にも『大予言』という短編作品もあるが、これは予言するシーンが出てこないので、正確には予言もの、という範疇ではないと判断している。


では『ポストの中の明日』を見ていこう。

本作の舞台は、富士の青木ヶ原樹海である。圧倒的な大自然だが、自殺の名所としても有名で、『樹海村』という映画も公開されている。樹海は、何かを引き付ける磁力が備わっているように思われる。

険しい樹海の山道を歩く男性3人と女性1人。タイプとしては、主人公がのび太、乱暴者のジャイアン、知識がありそうなスネ夫、紅一点のしずか、のキャラクターがそれぞれピッタリ合う。ここでは、ドラえもんのキャラの名を借りて、話を追っていきたい。

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ジャイアンがリーダー格であるが、彼は磁石を頼りに歩いていて、なんと樹海で磁石があてにならないことを知らないまま、先導していたことが判明する。スネ夫は驚く。

「この辺一帯は、磁性溶岩帯と言って鉄が含まれているんだ!! 磁石があてにならないこと、これ、常識だぞ!!」

ジャイアンは、「それぐらいわかっている」と強がるが、既に4人は迷い道に紛れ込んでいるのだった。

のび太は思う。

僕らがここで遭難することは、昨日からわかっていたことなんだ


休息してラジオを聴く4人。流れ出す歌は竹取りジイサンズの「明日が見えたら」という曲だった。そのメロディーに乗って、回想シーンが始まる。

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4人は、富士のふもとのハイキングを計画していた。青木ヶ原樹海を横切るプランだが、もちろんそれは散歩道だ。ジャイアンは、樹海の探検を口にするが皆に止められる。

再び樹海。20分で抜けられるはずの道で、既に1時間歩き続けている。ここで4人は立ち止まり、原生林に迷い込んでしまったことをようやく認める。空は雨模様で太陽の位置がわからない。ジャイアンは元来た道を戻ろうとするが、すぐに行き先がわからなくなり、立ち往生してしまう。

のび太はまた思う。

僕には明日が見えたんだ。見えたのに結局こうなっちまった。


この主人公ののび太似の男の名は市川。彼は初めて聞く曲が既に知っているように思えたり、初めて出会った出来事を前から知っているように感じたりしていた。そこで、たまたまSF漫画家をしているおじさんが訪ねてきていたので、そのような現象について聞くことにする。

するとおじさんは言う。それは既視感とか熟知感と呼ばれる現象であると。そしてうんちくが入る。

原因は、”自我の一時的分裂”なんだ。物理的時間と心理的時間が…。分かりやすく言えばこうなる。一瞬前に経験した記憶が切り離されて、ずっと前のもののように思える。”記憶錯誤”、つまり思いちがいさ。

思い違いとは思えない市川だったが、おじさんは、

現実はそんなもんさ。だからおじさんはSF漫画を描くんだ

このセリフは、F先生の本音かどうかは判断に苦しむところだが、そういう気持ちもあったように思われる。基本的に予知現象に対して懐疑的なF先生は、心理学を使って、まずは科学的に反証を行っているのである。

予知夢のようなものを信じるには、科学的な態度が欠かせない。世の中の、非科学的な言説による超常現象が横行していることに、半ば諦めのような気持ちも抱えているのではないかと想像されるのである。

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樹海は暗く、日が暮れようとしていた。たき火で暖を取る4人。それでも寒くなってきたというしずちゃんに、市川は毛布を与える。用意が良いな、の声に、わかっていたからね、と答える。

わかっていたのなら、その後はどうなる?
そう問われて、市川は答える。まずは家が大騒ぎになる。救助隊は翌朝出動する。しかし、それから後は読んでこなかった、と。


再び回想。市川はある朝、ボッーっと新聞を眺めると、明日の紙面が読めることに気が付く。飛行機事故、銀座の昼火事、ダンプの暴走・・・全て一日後の内容を知ってしまう市川。

市川は漫画家のおじさんにそのことを話すと、それは精神的時間旅行だ、と答える。予言者と呼ばれる人たちは、そういう時間の流れから脱出する術を知っているのだと。

もちろん、おじさんの発言は、全て漫画の中の話であった。現実にそんな話があるわけがないと笑って、市川をがっかりさせる。

市川は、予め起こる出来事ー火事や事故ーに対して、警告を発するのだが、何一つ聞いてもらえず、何も食い止められないでいた。せっかく明日が読めても、苦しいだけ・・・。

いつしか二日後の新聞が読めるようになってきた市川は、富士山麓のハイキングに出発する前日に、富士の樹海で少年4人が遭難するという記事を読み取ってしまう。

危険を伝えて、ハイキングを中止するよう他の3人を説得する市川だが、聞く耳を持ってもらえない。仕方なく、結局共にハイキングに向かうことにする。自分についての未来を知っても、それを止められないのである。

市川は迷える道すがらで思う。

みすみす遭難するとわかっていて、どうしてついていったのか僕にも分からない。友達が気がかりだったことはもちろんだが、新聞には4人の名が出ていた。つまりこれは、決定済みの小さな歴史だったのだ

予知能力が働いたとして、それをもとに事態を回避しては、結果的にその予知は外れたことになる。そうなると、予知したものは何だったのか?ということになる。このような予知のパラドックスのようなものが、浮き彫りにされる。

原因と結果が一直線だとすれば、先に結果を知っていても、原因は取り除くことができない。そういう運命決定論に支配されているのである。


皆は歩くのに疲れ果て、辺りは暗くなり、雨も降り出し、ずぶ濡れになっても、動く気力が湧いてこない。頭がぼうっとしてくる市川。すると、市川には、見えてくる。それは太陽の光だ。

他の3人は市川の様子に困惑する。気が変になったのか?

市川には見える、夕日の沈む姿が。そして太陽の位置から、南の方向を導き出す。市川には、明日の太陽が見えたのである。

3人の静止を振り切って走り出す市川。そして道路を走るバスを目にする4人。泣き出して、座り込む市川たち。

この日以後、ぼくは明日を見ていない。

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予知能力を慎重に描くF先生の中で、その能力をもっとも肯定的に描いたのが本作ではなかったか。その能力は、自らの危険を取り除く力として発揮され、そして消えていった。

儚いその予知能力は、青春のほんの一ページにだけ光り輝くものだったのだ。

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