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それは全く新しい生命体『マイロボット』/ロボットの反乱⑥

ここまで「ロボットの反乱」と題して、人間の言うことを聞かなくなってしまうロボットについての物語を5本の記事でまとめてきた。

ロボットが反乱するきっかけは、たいていの場合、何かの理由で人間的な感情が備わってしまい、その感情に突き動かされるように、人間に対して反抗的な態度を取ってしまうというパターンを踏む。

つまりは「感情」が引き金となる。


藤子先生は、ロボットとは人間の一部の機能を「対外化」したもの、と定義していた。そしてコンピューターは、人間の頭脳を取り出したものという位置づけとなる。

しかし人間の頭脳の中の「感情」-喜怒哀楽-を司る部分は、基本的に「対外化」できない部分とされる。人間にあって機械にないものの一つが、感情であることに間違いはない。

藤子先生は、そうした前提を踏まえつつ、もし機械が「感情」を獲得したらどうなるのかと、イメージを膨らませていく。人間とロボットの差異が感情だけなのだとしたら、それはもはや人間ではないのか。もしくは、全く別の生命体だと言えるのではないか、と。


本稿では「ロボットの反乱」のとりあえずの最終回として、少年SF短編に分類される『マイロボット』という作品をがっつりと解説していきたい。感情を持ったロボットという藤子先生が何度も描いたテーマの集大成とも言える一作である。

そして僕自身、子供の頃に読んで、背筋がぞっとした思い出のある印象深い一本でもある。


『マイロボット』
「マンガ少年」1979年4月号/大全集「少年SF短編」2巻

舞台設定は、そう遠くない近未来の日本。ロボットがグッと身近な存在となり、「マイロボット」という手作りのロボットが、器用な子供だったら作ることができるような時代である。

主人公は富夫。中学生くらいの年頃だろうか。小学生と思われる弟・哲也、パパとママの4人家族で、一軒家に住んでいる。富夫が新しい「マイロボット」を組み立てるところから物語が始まる。

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今回の富夫が購入したマイロボットは、最新型多機能ロボットの「エポック1」という新製品。パーツは4つのブロックに分けてあり、それらは

①中枢管理ブロック(ヘッド)
②基幹動力ブロック(ボディー)
③作業ブロック(アーム)
④?

となっている。4番目のパーツは作中では説明がないが、おそらく歩行補助ブロック(レッグ)という感じではないだろうか。


さっそくロボット制作に取り掛かり、無我夢中となる富夫。ところが、そこへガールフレンドのリカから電話が掛かってくる(固定式のテレビ電話)。遊びに来る約束だったのに、いっこうに富夫が姿を見せないので連絡してきたのである。

富夫は「すぐ行く」と答えるが、実は「うっかりつまんない約束しちゃったよ」と後悔しており、まだ女の子<趣味、といった感じの厨房なのである。

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富夫が出て行ったのを見て、弟は富夫の部屋に入り、「手伝ってあげよう」と言って、勝手にロボットを作り出す。一番難しそうな「ヘッド」の部分を、説明書を見ながら組み立てていく。

調子よく作っていくのだが、ふと我に返ると図面と異なる感じになっている。間違えたことを認識し、「遊んでこよう」と部屋から出て行ってしまう。いかにも無責任な弟っぽい反応である。


続けて勉強しない息子を注意するべく、父親が部屋に入ってくる。作りかけのマイロボットを見て、「自分も学生の頃夢中した」と感慨に耽る。そして、説明書に書かれたロボットの最新機能に驚く父親。

・音声による命令で起動
・アームは反射機能を備えている

そして、思わずロボット作りを始めてしまう。富夫の機械いじり好きは、父親の影響であったらしい。


父親は、作業をしながら、「昔のロボットは卵が割れるだけで大騒ぎとなった」と語っているのだが、本作執筆時にはそんな手先が器用なロボットは開発されていない。ここでは、藤子先生のロボット工学の進化を踏まえた近未来予測が披露されているのである。

ちなみに実際に卵を割ることのできるロボットは、1997~99年頃に開発された「WENDY」だとされる。開発者は、我が国のロボット工学研究の第一人者・菅野重樹氏。人間と共存できるロボットというコンセプトで、今なお新しいロボットを開発し続けている。幼少期には「ドラえもん」や「鉄腕アトム」などをきっと読んでいたことだろう(予想)。

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リカと3時間20分の間、大音量で「ザ・ダンマツマ」というグループの音楽を聴いた富夫は、そこでやっと解放される。そして家へと帰る途中に、隣家の坂田さんとばったり出くわす。坂田は設計からロボットを作り上げてしまうマニアで、富夫の憧れの人である。この日は自作のカバン持ち専用のロボットと帰宅中のようだ。

この世界では、ロボット作りはプラモ作りのような遊びと認識されているようである。遊びなので、勉強を邪魔するものという扱いである。富夫の母親はロボットにうつつを抜かす息子が心配で仕方がない。

「共通選別テスト」なる学力テストを気にしており、今の富夫の学力ではD級がせいぜいだと語っている。このテストではA~E級までの5段階に選別されるようで、E級になると一生うだつが上がらない人生を歩むことになるという。

本作が執筆された1979年に、「共通一次」と呼ばれる一斉大学入試が初めて実施され、これによって受験戦争が激化したと言われている。本作では、「共通一次」を「共通選別一次」と言葉を変えて、エスカレートする学歴社会化を皮肉っている

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弟と父親に間違ったロボット作りをされてしまったが、何とか「マイロボット」は完成する。「ゴンベ」と名付けて呼びかけるのだが、反応がなく、軽く叩くと「ボギャー」と赤ん坊のような「泣き声」を出す。

様子がおかしいので、ロボットマニアの坂田さんを呼んで診てもらうと、知能素子の配線にゴミかキズがあって、何か未知なる効果が働き始めているという。

しばらくすると、まるで赤ん坊のようだったゴンベが、少しずつ「成長」していく。「壊しちゃいなさい」と言っていたママが、「お手伝いしてくれて助かるわ」と感謝するくらいになる。

その成長の様子をダイジェストにしておく。

・ボギャーボギャーとうるさいが、充電したら静まる。ミルクを欲しがる赤ん坊のように・・。
・ガーガーと歩けるようになる
・富夫の後について学校に行こうとする
・「デンチ デンチ」としゃべれるようになる
・富夫の帰りを待って、オセロで遊びたがる
・哲也と「兄弟喧嘩」をする
・部屋の掃除など「お手伝い」する

猛スピードで知能が発達していくゴンベ。この先はどうなるんだろうか。

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富夫がゴンベとキャッチボールをしようとしたところに、ガールフレンドのリカが遊びに来る。ゴンベにお茶を入れるよう指示を出す富夫。そして二つのティーカップを運んでくるが、リカのお茶には塩が入っていて、とても飲めたものではない。富夫の方にはきちんと砂糖が入っていたのだが・・。

ゴンベに初めての異変発生である。


ある晩、ゴンベが夜食にラーメンを作ってきてくれる。富夫は、

「いつもおいしいよ。不思議だなあ。時々ゴンベが機械だってこと忘れるんだよ。人間の友だちみたいな気が・・」

と語りかけると、ゴンベは急にポーっと赤らめて、体をクネクネし始める。過熱かと思いゴンベに触ると、そういうわけでもない。少しずつゴンベが人間に近づいているように思える。

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その後、ゴンベの感情表現が、どんどんと際立ってくる。

・ママに内緒で富夫を逃がしてやり、ゴンベは壊れたふりをして部屋にママを入れさせないようにする
・富夫を訪ねてきたリカに、富夫は「出掛けてる」と嘘を吐く
・嘘を吐いたと聞いた坂田がゴンベに対して嫌な感情を示すと、ゴンベがライターで火をつけて火傷を負わせる
・香水をつけたリカに富夫が「いいにおいがする」と言っているのを見て、ゴンベもママの香水を自分に振りかける

ゴンベは、完全に、富夫に恋する女性のように見える。


さらに行動はエスカレートする。

・富夫がママに内緒でリカとコンサートに行こうとすると、騒いでママに伝える。
・富夫を誘いに来たリカを通せんぼし、キレるリカに対して逆ギレして掴みかかる
・富夫に対して「今は勉強するべき大事な時だ」と説得する

これまで富夫のことを第一義に思っての献身的な行動をしていたはずが、富夫とリカの間を邪魔してやろうという私利私欲の行動へと、変化を遂げているように見える。

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富夫は、ゴンベに「余計なお世話だ、ロボットのくせに」とキレて、「どこへでも行っちまえ」と家から追い出してしまう。

扉を閉められたゴンベは、力なく手を伸ばして、戸をトンと叩く。すると、ゴンベの目に涙、いや、空から涙のような雨がポツリと降ってくる。やがて雨足は強まっていく。ゴンベはずっと扉が開くのを雨の中待ち続ける。しかし、それが叶わないとわかると、そっと門をくぐって、どこかへとゴンベは姿を消してしまう・・。

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この一部始終を富夫が坂田に説明すると、坂田はひと言、「恐ろしい」と呟く。その理由はこうだ。

「ゴンベが自己欺瞞、つまり自分に噓をつく能力までも持っていたということだ。君のためにやったことだとゴンベは言う。本人もそう信じてる。だが、それは嘘だ。本当の動機は「妬み」なんだ

坂田は続ける。

「ゴンベは製作者の君を愛していたんだ。そして君にも愛されたいと願うあまり、自分を女性化してしまった。彼は、いや彼女は既に人間だ。君は機械でなく、一つの生命を作り出してしまったんだ」


ゴンベは愛情という感情を持ち、相手にも愛されたいと思い始める。邪魔な存在には嫉妬するし、相手が喜ぶことをしようとする。しかし、それでも思いが通じないとなると、大義名分を見つけて愛されたい人の恋仲を引き裂こうと考える。

ここまでくると、それは坂田の言うとおりに、ゴンベはロボットの範疇で括られるような存在ではなくなっている。かと言って、人間でもない。全く新しい生命体そのものなのである。

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テレビでは、ゴンベ同様に、「エポック1」が家出するケースが急増していることが報道されている。ロボットを作った会社は、欠陥ロボットだとして回収を始めたという。これを聞いた富夫は「まるでわかってない、あれは新しい人類なんだ」と思う。そして、

「彼らがどこかで人の知らない山奥で彼らの社会を作り、やがて・・・、という悪夢に、ときどき僕はうなされるのだ」

と、富夫は蜂起するロボットたちを思い浮かべて不安に怯えるのであった。

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ロボット+感情=全く新しい生命体

本作だけではなく、こうした考えを藤子先生は、デビュー作からずっと描き続けていた。本作はそうしたテーマを、恐ろしい後味とともに描き切っている。

なお、藤子先生は、本作をさらにスケールアップして、この一年後に「街」が感情を持ってしまい、新しい生命体になるというトンデモない発想の作品も描いている。

それが『街がいた!!』という作品である。こちらもかなりの傑作なので、また別の機会でしっかりと紹介したい。


SF短編の考察やっています!!


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