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『宇宙人』を探す本当の目的とは?/藤子Fの未知との遭遇⑥

「藤子Fの未知との遭遇」と題して、これまで地球にやってきた宇宙人について取り上げてきたが、本稿ではこちらから宇宙人を探しに行くお話を見ていきたい。

自主的に「未知との遭遇」を試みようというわけなのだ。


主人公の青年とその仲間たちは、人類始まって以来初めての異星人とのコンタクトを持つべく、観測上生命活動が見られる星へと向かう。

本来ワクワクするはずの宇宙旅が、物語を読み進めると、異星人とのコンタクトに秘められたとある目的が明らかとなり、まるで違った様相を呈してくる。 

藤子先生の「人間文明」に対する冷徹な眼差しと、どんでん返しとも言えるラストに慄く恐るべき作品なのである。


『宇宙人』「マンガ少年」1978年1月号

主人公の福島は、子供の頃から宇宙人マニアで、後に奥さんとなるガールフレンドを巻き込んで、「UFOよ来い」と念じる日々。

ところがある日福島は、「会いたいからと言って何万光年彼方から宇宙人を呼びつけるのは失礼だ」と言い出す。福島は宇宙パイロットになって、自分から異性文明に会いに行くのだと彼女に告げる。

女の子は「まだ人類は月に行っただけで精一杯」だと指摘する。この時代が本作執筆時点(1978年)と同時代であることを示す一言でもある。


・・・と、ここまで彼女とのやりとりは、宇宙船に乗っている福島の見た夢であった。福島は晴れて宇宙パイロットとなり、彼女とは結婚を果たしたようだ。本作では、福島の回想シーンがこの後も二度ほど登場する。

ちなみに本作の数か月後に発表する「ドラえもん」の「未知とのそうぐう機」は、福島が言う「遥か彼方の宇宙人を呼び出すのは失礼だ」との発想から作られたお話であった。


福島を乗せた宇宙船は「次元転移」を始める。乗組員は福島の他にリーダー格の年配の男性(艇長)と、福島と同世代の男がいる。最少人数での旅であるらしい。出発して1年と15日が経ち、目的の星へと辿り着く。

星の特徴は、表面が青っぽく、酸素20%、窒素80%、大気圧や重力などが故郷の星と一緒であるという。しかも第三惑星であり、生命活動の証拠となるメタンが大気中に漂う。生命の存在は、出発前から確実視されていたのだ。

問題は、生命体が文明を築いているのかどうか。相手次第で、こちらの取るべき行動も異なってくる。福島たちはファーストコンタクトにおける行動方針を確認する。曰く、

第一段階「調査」:一昼夜にわたり、らせん軌道をとって視察・写真撮影を行う
第二段階「接触」:生物を確認したら、まずこちらの姿をはっきりと見せ、反応を観察する
第三段階:相手次第で「交流」「応戦」「逃走」となる

異星人と出会うチャンスを前にして、福島は「楽しみだなあ」と口にする。同僚も「だんだん興奮してきちゃった」と反応する。ただし、艇長だけは表情も変えずに腕組みをしている。


さてここで第二の回想シーン

福島が両親に自分の進路を「スペースマンスクール」に決め、異星人文明の探求を目指すと告げて、猛反対を受ける場面である。

昨年、惑星に観察基地が開発されたばかりで、宇宙探査など夢のまた夢だというのが両親の反対理由である。それに対して、福島は人類の急速な科学技術の発展を引き合いに、説得を試みる。

以下が、「急速な科学技術の発展」を示す3コマとなっている。

そもそも重力支配を逃れて空高く舞い上がりたいという欲望は遥か大昔からあった。世界中の神話や伝説にもある。
注1)太陽を目指して飛び上がるイカロスと思しき絵が描かれている

人類は歴史を持ってから空を飛ぶまでに5000年かかっている。しかも初飛行の滞空時間は12秒で、飛行距離は37m。その後わずか58年後に宇宙空間へと飛び出した。
注2)ライト兄弟による初飛行と思しき絵が描かれている
注3)ライト兄弟の初飛行が1903年、ガガーリンが宇宙に飛び出したのが1961年(58年後)

最初の月着陸からしばらく宇宙計画は停滞。ところが16年後には惑星着陸を達成する。恒星間航行もあと一息であるはず。
注4)アポロの月面着陸と思しき絵が描かれている。
注5)月面着陸は1969年で、その16年後は1985年。本作よりも未来の話となる。

ここで福島が取り上げたエピソード(イカロス・ライト兄弟・アポロ月面着陸)では、固有名詞を明らかにしていない点がポイントとなっている。

また、その前の宇宙船内の会話でも、自分たちが「地球」から旅立ったとも言っていない。時代がいつとも明言していない。

これは偶然ではなく、明らかに意図的に固有名詞を排除しているのである。全てはラストのどんでん返しが、文句なしに成立するための仕掛けなのである。


回想が終わり、福島が宇宙船内をぐるぐると走り回っている。間もなくの着陸に備えて、低い人工重力で鈍った体に喝を入れているのだ。ちなみに宇宙船で走って体を鍛えるこのシーンは、「2001年宇宙の旅」のオマージュと考えらえる。

当直を交代した福島は、夜の大森林を空から眺める。動物の気配もない。生命発生の可能性のある星は銀河系の中で100万個を超えると言うが、この星は高確率の惑星であった。

ボウッと眺めていると、森林の中に光るものを見つける。ブザーを鳴らして、寝ている他の二人を起こす。福島が見た光は何かの燃焼であって、文化の存在する証拠であると言う。

ところが、その光をもう一度見つけることができない。他の莫大な観察写真からも文明の存在を思わせる兆候は皆無。艇長は明日、光を見たという場所に着陸して実地調査を行うと告げる。

翌朝。福島と同僚の二人が、定時連絡を忘れずなどと注意を受けつつ、それぞれ探索に向かう。いよいよ「未知との遭遇」の時が迫っている。


ここで三度目の回想シーンへ。

航空宇宙省では、部長(後の艇長)が莫大な予算のかかる異星人遭遇計画(オデュッセイ計画)を、タヌキと呼ばれた腹芸を使って議会に認めさせる。

してやったりの表情だった部長の顔が引き締まり、「やらねばならなかったんだ。人類にとって、この計画だけが最後の望みかも・・・」と呟く。部長には、何やら重大な真の狙いがあることがここで仄めかされる。

福島は妻子にオディッセイ計画が急転直下に決まり、自分がメンバーに選ばれたことを告げる。当然家を何年も空けることになる遠大な計画であるが、子供の頃からの福島の夢を知っている妻は、「おめでとう」と声を掛ける。

なお、このシーンでは恒星間航行が可能になったのは「相対次元理論」が発見されたからだと語られているが、「相対性理論」っぽいオリジナルな理論であるようだ。


福島の同僚が星の森林を探査している。見たような植物と動物ばかりで「別の星に来た気がしない」と呟く。川を目の前にしてヘルメットを脱いで水を飲む。定時連絡を怠っていた上にヘルメットを脱いでいたのがバレて、艇長に叱られる。

どうにもマイペースな現代っ子のパイロットで、なぜこの計画に彼が選ばれたのだろうかと思ってしまう。

一方の福島は探査に熱中するあまり、日没後も月光を頼りに探索を続けようとして艇長を怒らせる。さすがに帰ろうと思ったところに、森の中に刺さっていた磨製石器を発見し、興奮して帰投する。

いよいよ生命体とのコンタクトの準備に入るのかと思いきや、艇長は石器を観察してそれを投げ捨てる。この星から別の星へ出発すると言うのである。

ようやく異星人と会えるチャンスを目の前にして、艇長の発言に猛反発する福島と同僚。しかし艇長は「時間が無い、すぐに次の候補生に向かう」と指示する。


そしてこのオディッセイ計画の本当の狙いが語られる。

「このプロジェクトの真の目的は、我々より優れた知性体に巡り合うことなのだ! そして、それだけが人類を滅亡から救う、ただ一つの手段なのだ!!」

突然発せられる、「人類の滅亡」という物騒なキーワード。福島はそれに全く同意できない。核戦争の恐れ、資源の枯渇など問題は多いが、人間の知恵が危機を乗り越えるはずだと反論する。

そこで艇長が、「滅亡こそが歴史的必然としか思えない」と口にする。ここから語られる滅亡が必然という根拠こそが、本作最大のクライマックスである。


艇長はまず、人類の誕生を200万年前と仮定し、時間の流れを距離に置き換えて、人類史をざっと振り返る。

・1mを1万年とすると、火を使い始めたのが80万年前(80m前)
・石器時代が続き、銅器時代に入ったのが5000年前(50㎝前)
・最初のエネルギー革命は、230年前(2㎜3㎝=本の厚さ)
・以後の発明の数々は全て本の終章近くに集中している

文明の進化を大雑把にグラフに書けば、今の時代でのカーブは急上昇していて、時間軸に対して垂直になりかけている。艇長はこのグラフを根拠に滅亡が必然なのだと考えたのである。

人類の滅亡を悟った艇長は、オディッセイ計画を立案する。宇宙のどこかにはグラフの頂点を乗り越えて、滅びない永遠の文化を誇っている最高の知性があるかもしれない。そういう人種を探し出して、教えを請うことが、我々の任務であると。


福島は別の星の生命体と交流することを目的として、パイロットとなり、宇宙の奥深くまで旅をしてきた。ところが、単に異星人とコンタクトを取ることには意味がなく、もっと深謀遠慮な、人類救済の計画が自分の知らぬところで進行していたのである。

福島は宇宙服を着て、夜の森に降り立ち、手を大きく広げながら、まだ見ぬこの星の住人たちに向かって、天高く叫ぶ。

「僕らよりも遥かに若い文化を持つ宇宙人の皆さん!! 僕らの文明は行き詰まりに来ているんです。だが、あなた方には再びこの道を歩まないで欲しいのです」

宇宙服のマスクの下で涙を流す福島。同僚が傍に寄り、肩を抱く。彼らの文明破綻を覆す旅は、まだ終わってはいないのだ。


そしてお話もここで終わりそうなものだが、この後のラスト一頁が、藤子F先生の真骨頂となる。

福島たちを乗せた宇宙船が、夜空に光り輝きながら、星から旅立っていく。森の奥ではこの星の住人である原始人のような風貌の人類が、ホウッと声を出して宇宙船を眺めている。手には福島が見つけたものと同じ磨製石器を持っている。

興奮したように、ホッホッホッと洞窟の中へと原始人は走っていき、岩壁に向かってガリガリと絵を描いていく。その絵は、たった今原始人が目撃したばかりの、宇宙服姿の福島と同僚の姿であった。


そして、ラスト一コマ、以下のナレーションが記される。

「中米エル・サルバドル、精霊の洞窟の浮彫り。俗に「宇宙人の恋人」と呼ばれている」

このナレーションの意味するところ。それはなんと、僕らが読んできた福島たちの物語は、地球ではない文明を持った星の人々の話であったということである。

つまり本作は、私たち人類の子孫(原始人)と、どこか別の星の宇宙人との「未知との遭遇」を描いていたのだった。

前の方でも書いているように、本作では意図的に固有名詞を出すことを控えてきた。それは、福島たちは地球人ではなかったというどんでん返しのための伏線だったのである。

本作は宇宙の旅の真の目的が明らかになる部分と、最後に地球人のお話ではなかったことが分かる部分の、二つのクライマックスを持った一粒で二度美味しいお見事な作品なのである。



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