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核戦争に備えろ!『マイシェルター』/世界は破滅する①

Doomsday Clock(世界終末時計)が創設されたのが1947年、広島と長崎に原爆を落とされた2年後のこと。第二次世界大戦が「核兵器」というこれまでに人間が経験したことのない大量破壊兵器によって終結し、これをきっかけに核兵器の開発が本格化していく。

終末時計は、最初は終末の7分前に設定されたが、冷戦下における米ソの核開発競争の中で時計の針はより終末へと近づけられていく。水爆が開発された1953年には2分前に動かされた。

その後は行きつ戻りつが繰り返さるが、ソ連の崩壊によって17分前まで戻された。しかし今度は大国以外にも核開発競争が起こり、再び時計は終末へと近づいていく。

そして今年に入り、核兵器の使用をチラつかせるロシアのウクライナ侵攻が泥沼化して、ついに終末時計は1分30秒前まで針が進められてしまった。これまででもっとも世界の終わりに近い時を、私たちは迎えている。


さて、本作を始めとする藤子先生のSF短編は1970年代から80年代前半までにそのほとんどが発表されているが、「終末時計」の観点からすると、少しずつ破滅へと近づいていく時期とピッタリ重なっている。

米ソを中心とした世界中での軍拡競争が激化し、一部の国では核兵器の開発も進んだ。

いつどこで核戦争が起きてもおかしくない空気があったし、その破滅的な予感めいたものは、藤子作品において多大なる影響を与えていたように思う。


そこで「世界は破滅する」と題して、藤子先生のSF短編の中から、世界の破滅を想起させるエピソードをいくつか取り上げていくことにしたい。時代の空気を敏感に察知した、破滅的な作品群をご堪能いただきたい。


『マイシェルター』
「月刊スーパーアクション」1983年2月13日号/大全集3巻

野美屋という飲み屋で一人晩酌をする中年男性。彼はマイホーム建設という人生の一大事業を目前に控える身である。作中に名前が出てこないので、「男性」としておこう。

そこへ飲み屋のカウンターで飲んでいたひょろっと背の高い、眼鏡・口ひげの男が話しかけてくる。マイホームの話題となり、男性は「これで住まいの心配から解放される」と言うと、「されますかね」と長身の男は気になる相槌を打つ。


主人公の男性が立川の少し先に土地を買ったと聞くと、長身の男性は手持ちの地図を広げて、都心が爆心地だとすると、立川では「やはり焼ける」と物騒なことを口にする。一次災害は免れても、熱線で発火するのだという。

「何の話だ!?」と面食らう男性。すると長身の男は五メガトンの核爆弾が落ちた場合の予想円が書かれた地図を示す。どうやらこの男は、核爆弾の脅威を語ろうというのである。

男は続けて、世界の核保有量は広島型に換算して200万発に相当する、保有国が増えれば発射ボタンにかかる指も増える、核戦争が今日明日始まってもおかしくない状況である、と論理的に攻めてくる。

「心配したってしょうがない」と答える男性に、「少なくとも自分を守る手段はある」と言って、「箱舟」と書かれたパンフレットをカバンから取り出す。この箱舟とは、核シェルターのことで、長身の男はシェルターのセールスマンであったのだ。


すっかり興醒めし、酔いも醒めた男性は、しつこく迫るセールスマンを振り切って帰宅する。

家では奥さんが新しいアルバイトを始めたという。それはアニメのセルの着色の仕事で、今は「おいどんのハルマゲドン」という核戦争後に生き残った子供たちの冒険物語であるという。松本零士先生の「男おいどん」を少しだけ思い出すタイトルである。


男性は子供たち(長男・長女)の寝顔を確認し、自分も布団に入る。すると夢の中だろうか。マイホームが落成し、家族みんなで喜んでいると、突然世界が炎に包まれる。子供たちが「あついよーっ」と悲鳴を上げる。

・・・男性はワ・ワ・ワーッと飛び起きる。やはり悪い夢だったわけだが、そのまま気になって、セールスマンに手渡されたシェルターのパンフレットを開く。

そこには「あなただけです!」という大きなキャッチコピーが踊っている。必至の核戦争の危機に何の備えも無くのんびりしているのは、日本人のあなただけです、というような煽り文句が添えられている。

パンフレットには「箱舟」の構造がイラストを使って丁寧に描かれている。定員5名で10名までは収容可能。核戦争やM8の地震にも耐えうる強度を持つ。コストは抑えてあるが、物件の性質上長期ローンは組めないという。確かに今にも核戦争が起きると煽りながら、20年ローンなどは組めないというのは筋が通っている。


布団に寝転がりながら、パンフレットを眺める男性。

すると次のコマでは、いきなり「マイホームが完成した」と男性が家族に核シェルターを紹介する。地下に入っていくと狭い共有部屋があり、家族たちは「これだけ?アリさんのおうちみたい!!」と大ブーイング。

・・・と、これもやはり夢。本作はこのように、夢と現実が重なり合う『うつつまくら』のような構成の作品なのである。


再び布団でパンフレットを熟読する男性。シェルターは地上の放射能が許容範囲に達するまでの安全を保障するとある。しかし、水や食料の備蓄が必要だ。一家4人が三か月暮らすとして・・・それはかなりの量のように思える。

長期間地底に閉じ籠る生活は並大抵のことではない。家族の多少の抵抗もあるだろう。これは一度テスト、いや、訓練をしておかねばならない。

そこで男性は天気の良い日曜日に、ハイキングに行きたいという子供たちを説き伏せて、一日部屋に籠る生活を提案する。試しにシェルター生活を体験してみようという意図であるが、子供たちや妻はあまり納得できないでいる。


部屋の中では、テレビもラジオもダメ、できることは読書とゲーム、ジグソーパズルなどくらい。麻雀をこの機会に教えようとして、ママに叱られる。さらに、娘の友だちが遊びに来ても誘いを断り、妻の母親から電話があっても無断で切ってしまう。さらなる猛抗議を受ける男性。

シェルター「箱舟」の収容人数は10名まで。家族が4人なので、あと6席分の受け入れが可能である。そこで男性は「遊び」ということにして、家族に箱舟に乗せたい人はいるかと尋ねて、その中から6名を選ぼうと言い出す。

娘と息子は親友の名前を並べて、合わせて26人の名前を出す。ここから20名を削れと言っても、そんなことができるわけもない。そこへバカらしいと相手にしてなかった妻も入ってきて、「実家の両親と弟夫婦は絶対に乗せて欲しい」と主張する。

そこで男性はブチ切れし、「助かりたければ僕の言う通りにしろ!!」と、暴君まがいの大声を出す。すると、怒った家族は「こんな人とは思わなかったわ」と愛想を尽かして、3人で出て行ってしまう。

・・・すると、これもまた夢。男はすっかりシェルターに囚われてしまったようである。


今度こそぐっすり寝ようと布団を被る男性。すると今度は明らかに夢という形で、核爆発が起こってしまう。家族はみんなでシェルターに入り無事。外は地獄だと語る男性。

すると外のシェルターの入り口を見つけた人々が集まってくる。「中に入りたい、入り口を開けてくれ」と声を掛けてくる。それらは、子供たちの友だちや妻の母親の声である。

開ければ放射能で全滅してしまう。そうこうしているうちに、外では「入り口を壊してしまえ」と人々が暴れ出している。こんな時のために、地表にはダイナマイトを仕掛けている。ボタンを押せば、群がっている人々を吹っ飛ばすことができる・・・。

が、しかし、男性はそのボタンを押すことができない。


・・・と、ここで夢から覚める。男性はここまでの夢を総合して、シェルターを買うのはよそうと思う。そうではなく「原水爆禁止運動」の署名でもしようと、考える。

確かに、シェルター=箱舟に乗ることで、原水爆の直接的被害は避けられるかもしれない。しかし、狭いシェルター内で数カ月も暮らしていくのは、備蓄の問題や狭小空間での心理的負担がかなり大きい。

さらに自分たちだけ助かることを選ぶのも苦痛を伴う。親戚や親友を切り捨てなければならない。自分たちが生き残るために、他者が死ぬのを容認しなくてはならない。

つまりは、一度核戦争が起きてしまうと、爆風から生き残ったとしても、その先に地獄が待っているということだ。であれば、核戦争が起こった後のことを気に病む前に、核戦争を起こさないように努めなくてはならない

男性が最終的に原水爆禁止運動に賛成して、核を抑止していく方向に考えを向けるのは、極めて真っ当な判断と言えるだろう。


ここから、さすがは藤子Fといった意外性のあるラストを迎えていく。

なんと、シェルターを男性に売りつけようとした長身・眼鏡・口ひげの男は、実は宇宙人だったのである。宇宙人だった男は、男性を様子をモニターで伺っている。そして他の宇宙人仲間に告げる。

「これまでの反応を総合しますと、ま、合格とみていいのでは・・・」

宇宙人たちは男性一家を、万一の場合に優先的に救出する名簿に名前を乗せることにする。どうやら、彼らは箱舟に乗せる人々をセレクションしていたというわけだ。


箱舟に乗ることを拒否した男性一家を救助対象にするという部分が、相当にエスプリの効いた作品ではないかと思う次第。

核戦争は起きてしまえばお終いなのだから、核抑止に全力を注ぐべきだと、藤子先生は本作を通じてメッセージを発しているように僕には思えるのである。



「SF短編」全作解説に向けて執筆中!


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