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模型に溶け込んだ少年。『四畳半SL紀行』/模型マニアの物語③

「没入感に浸る」とか「ゾーンに入る」とか、周囲が気にならないくらいに集中することで、物凄い成果が上がると言われている。私たちはこうした集中力を獲得するために、子供の頃から勉強やスポーツに取り組んでいるとされる。

勉強やスポーツ以外でも、何かをクリエイティブする人は、こうした「ゾーンに入る」能力に長けていて、集中して物事をインプットしたりアウトプットしたりしている。集中力が何かを生み出すのだ。


そして、少し話はズレるが、いわゆるマニアな人たちもまた、自分の目の前の趣味・関心に没頭し、周囲の見る目を気にしない。好きな世界の中に没入し、その世界の住人となるような感覚を覚える

本稿で取り上げる作品は、そうしたマニアの鏡のような少年の物語だ。自分が作りあげた虚構の世界に没入し、現実と空想の境界線が溶けていく。「少年SF短編」のジャンルではあるが、その深淵な世界はもはや大人のそれ。


ここまで二回に渡って、「模型マニアの物語」と題して、F先生の模型マニアっぷりを紹介してきた。本作はそうした延長にある決定版たる作品だ。読者は、本作のラストにおいて、一段上の衝撃を覚えることになるだろう。

これまでの記事は以下。


『四畳半SL紀行』「マンガ少年」1979年12月号

本作の主人公は二人。
・マニアな少年・母伊浩美(おもいひろみ)と、
・本作の狂言回しとなる光(みっ)ちゃん である。

作品はみっちゃんの語り(モノローグ)で進行していく。ヒロミはどんどんと深いマニアの世界にハマっていくので、みっちゃんのような一般的な目線(=読者)が客観的な語り部として必要なのである。


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冒頭、ヒロミがわき目も振らずに突っ走っている。みっちゃんが声を掛けるが無視され、走ってその後を追う。追いかける中で、ヒロミの性格やこれまでの生い立ちが簡単に説明されていく。

まとめたものが以下。

・母伊浩美は、光ちゃんの幼馴染の中学生
・頭は悪くないが、変わり者
何か一つのことに熱中すると見境がなくなってしまう
・思い込みが激しく、空想と現実の区別がつかなくなる
・幼稚園の頃、自分をスーパーマンだと思い込み、マンションの屋上から飛び降りた(足首を挫いただけで済んだ)
・小学三年生の頃「ドリトル先生」に熱中し、野良犬と親友になって相撲を取った(噛みつかれて大怪我をした)

ポイントは、空想と現実の境目がない人間だという点。現実と空想が混じり合っていく物語の主人公だということを、最初から説明しているのである。


みっちゃんがヒロミの腕を掴まえると、ようやく我に帰るヒロミ。毎日すっ飛んで帰る理由を尋ねると、「ちょっと忙しいだ」と答える。そして続けて、

「でも・・・どうしてそんなこと知りたがるの?」

という逆質問。「え、ちょっと・・」とみっちゃんは答えを濁すが、赤らめたその表情から、ヒロミのことを一方的に興味を持っていることがわかる。

その一方で好きとか嫌いとか、そういう対人感情が無さそうなヒロミ。「寄ってく?」とみっちゃんを家に誘うが、これには全く深い意味を感じさせない。


ヒロミは庭にある小さな離れで、一日のほとんどを気ままに過ごしている。中に案内されると、作りかけだがかなり手の込んだ鉄道模型(レイアウト)が設置されている。

みっちゃんは「おもちゃの汽車ポッポで遊ぶの?」と冷たい視線を投げかけるが、ヒロミは「これは立派な大人のホビー。何十歳になっても続けられる奥行きの深い趣味だ」と説明する。

マニアと一般人の意識格差を視える化する重要な1シーンである。

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ヒロミが子どもの頃からやりたかったことで、レイアウトが完成するまで他に何もする気がないという。そしてみっちゃんを家に誘っておきながら、そのまま模型作りを始めてしまう。このあたり、「キテレツ大百科」のキテレツとみよちゃんのやりとりを思い起こす

ちなみにこのシーンの中で、ヒロミが「16番でと思ったけどスペースの都合でNゲージに決めた」と言っているが、16番とは軌間16.5mmの鉄道模型を指し、Nゲージは軌間9mmのことである。詳しい説明を省いている点が逆に興味深い。

みっちゃんが離れを出ると、ヒロミの両親が待ち構えている。奇人の息子の心が全く掴めていないようで、みっちゃんにこれからも時々様子を見に来て欲しいとお願いする。「わかりました」と答えるみっちゃんは、やはりヒロミのことが気になっている様子。

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季節は夏に変わる。ヒロミのレイアウトは完成していない。学校ですれ違っても、魂が抜けたような表情のヒロミ。ところがヒロミから夜中に突然「今すぐ来て欲しい」と呼び出しがかかる。

「ヒロミくんの我がままの相当なもの」と愚痴りながらみっちゃんは離れに向かうと、見事なレイアウトが完成している。3重のレール、駅前には簡単な商店街があって、周囲は山に囲まれていてトンネルも掘られている。

みっちゃんは「これみんなあなたが作ったの?」と驚く。そして得意顔のヒロミはパワーパックを操作して、電車を動かしていく。思わずみっちゃんは「かわいい、素敵」と反応する。

それ気を良くしたのか、ヒロミは複数の電車を動かしたり、明かりを灯したりする。このあたりの模型の描写はリアルそのものだ。藤子先生の部屋にも大きな鉄道模型を作って置いていたという話を聞いたことがあるが、そうした実体験を強く感じさせる。

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みっちゃんは「これでユメが完成したのね」と労うと、ヒロミは「とんでもない!!」と即座に否定。

「レイアウトに終わりなし」ってね、まだまだこれからだよ

と、作業を続けることを明言する。さらにやってみたいことを熱く語り出すヒロミ。その発言を聞いて、みるみる醒めていくみっちゃん。マニアと一般人の意識格差がここでも見せつられる。

ちなみに今後やりたいことというのは、以下である。

・家や樹木を増やす。田園風景も作りたい
・人形も必要
・ウェザリングで雨風にさらされた感じを出したい
マイコンの自動制御

離れから出ると、またまた両親が待ち受けている。みっちゃんは

「当分、熱中時代が続きそうですよ」

とあきれ顔で中の様子を伝える。

ちなみにセリフに出てくる「熱中時代」とは、本作執筆時の少し前に放送された水谷豊主演の学園ドラマのタイトルから取られたもの。最終回の視聴率が40%を超える大ヒット作で「熱中時代」という言葉が流行語的に使われていた。


そして季節は秋。ヒロミの親に頼まれて、ヒロミを近所の小山にハイキングに連れ出すみっちゃん。紅葉が綺麗だと喜ぶヒロミに一瞬満足するみっちゃんだったが、「このイメージをレイアウトに取りいれよう」と、頭の中はやはり鉄道模型のことでいっぱいの様子。

そしてすぐに取りかかろうといって、ハイキングはお開きになってしまう。さりげないが、かなりの重要なシーンである。

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みっちゃんが久しぶりに鉄道模型を見に行くと、住宅も増やしたり人形が置かれたりと、リアルさのレベルが上がっている。ヒロミは自分がまるでこの町の住民になった気がすると満足げ。そしてレイアウトを眺めて、

「あの小さなSLに乗って旅がしたいなあ。なんだかできそうな気がして食たよ」

と口にする。

すると、ヒロミがスウと模型の中に吸い込まれていくようにみっちゃんには見える。もちろん目の錯覚だろうが、ヒロミの思い込みの強さがあれば、そうなっても仕方がないように思えてくる。

虚構と現実の境界線が溶けだす、その第一歩だ。

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季節は、雪もちらつく冬。ご飯にも出てこなくなったヒロミの両親から連絡が入り、みっちゃんの出番となる。強引に部屋に入ると、ヒロミは忙しそうに「早くSLに乗ってレイアウトの中を汽車旅行したいのだ」と言って怒り出す。

「レイアウトに入る」という言葉に反応したみっちゃんは、「気をたしかに!!」とヒロミに飛び掛かる。ヒロミは「落ち着けよ」といなす。8ミリで汽車旅行の映画を撮るのだと言う。

ヒロミはレイアウトを作るのに飽き足らず、自分の写真を切り抜いてレイアウトに入れて、ストップモーションアニメを作ろうという計画なのである。既に絵コンテが完成済み。切り抜きとSLの模型も組み合わせて、一コマずつ撮影していく。途方もないマニア道を突き進んでいるようである。

この切り抜きアニメの撮影方法が詳細に描かれているが、実際にやったことがある人間のリアル描写となっている。

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それからさらに一ヶ月。事態は急変する。みっちゃんのモノローグがただならぬ空気感を伝える。

「ヒロミくんは、自分だけの世界に、深く深く、はてしなく、もぐりこんでいった。そして・・・欠席した」
「嫌な予感がした。ヒロミくんが欠席するなんて滅多にないことだから」

みっちゃんは、ヒロミの離れへと駆け込む。中にはヒロミの姿はない。すると、「ジリリリ」とベルがなって、レイアウトの電車が自動的に動き出す。これがマイコンの自動制御なのだろうか。


みっちゃんは列車の中を覗くが、もちろんヒロミの姿はない。すると撮影済みの八ミリが見つかり、これをスクリーンに映し出すと、圧倒的迫力のSLが動き出す映像が流れ出す。

映画は絵コンテ通りに進む。動き出したSLを、ヒロミが町の中を走って追いかけていく。追いつきそうになって、また逃す。その繰り返し。レイアウトの中を走り、飛び、水に落ち、紅葉の山へと入っていく。

人形のヒロミが本物のヒロミに見えてくる。少なくとも現実のヒロミと同じ執念を切り抜きのヒロミにも感じる。映像の中のヒロミは、現実のヒロミの表情そのものだ。思い込んだらテコでも動かなくないあの表情に。

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映画のヒロミはトンネルの出口に辿り着く。ここで列車を待つらしい。フィルムはそこで終わる。未完成の映画を残して、ヒロミはどこへ行ったのだろう?

レイアウトを見ると、トンネルの出口で切り抜きのヒロミが列車を待っている。その表情は、いつもの確信に満ちたものだった。


ここからのみっちゃんのモロローグは、ゾワゾワした気分にさせる。

「突然、あるイメージが閃いた。紅葉の山。秋、二人でハイキングに行ったあの山」
「もう夕暮れに近かったが、私は山へ行った。どうしてそんな気になったのか、自分でも不思議なのだが・・・」

みっちゃんは、山の中に入っていく。そして、山の上に立っているヒロミの姿を見つける。ありもしないトンネルの上に身構えて、来もしない列車を待っている様子だった。

みっちゃんは、ヒロミに声を掛ける。「いくら待っても列車は来ないのよ」と。しかし、ヒロミはピクリとも動かない。まるでそれは切り抜きのようだった。

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すると、遠くから汽車の走る音が聞こえてくる。「コトン、コトン」と。それはどんどん大きくなって、轟音となって山に響き渡る。

「ゴトン、ゴトン、ボ~ッ」


それは、みっちゃんの空耳なのか?
それとも二人はヒロミのレイアウトの世界に溶け込んでしまったのか?

現実と虚構がない交ぜとなったラストシーン。それは、趣味の世界に没入したマニアの、ある種夢のような到達点とも言える。

この後二人はどうなったのか。本作にとってそうした詮索は野暮なので、そっとここでページを閉じたいと思う。


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