6000字超! 「旧」パーマン感動のフィナーレ『スーパー星への道』完全解説!
藤子Fノートでは、「パーマン」を最重要コンテンツとして考え、傑作エピソードを余すことなく記事化するべく、コツコツと取り組んできた。これまでに「パーマン」単独の記事は46本書き終えている。
記事の中で何度も書いているが、「パーマン」は大きく1960年代後半の「旧」シリーズと、1980年代中盤の「新」シリーズに大別できる。
旧と新の間には15年ほどの開きがあって、時代の移り変わりや藤子先生の作風の変化などに伴い、設定がいくつかの点で変更となった。次回以降で詳細するが、新旧での大きな違いは以下の点が挙げられる。
これまで藤子Fノーチでは、いくつかの例外を除き、「旧」パーマンの作品を主に取り上げてきた。おおよそ書かねばならない作品は終えたので、本稿ではいよいよ「旧」シリーズの最終回にスポットを当てる。
1983年の新シリーズ連載開始に伴い、スーパーマンの名称がバードマンへと変更されている。変更の理由については諸説あるが、「スーパーマン」という名前が、アメコミの「スーパーマン」と一緒なので、著作権的に問題があったからという説が有力だ。
ただし、これには反論もある。例えば「パーマン」の第一話にてスーパーマンは自己紹介する時に、「君たちの言葉で言えばスーパーマンだ」としている。つまり「スーパーマンのようなもの」と言っているので、著作権的にも問題ないと思われるからだ。
また藤子・F・不二雄大全集では「スーパーマン」の表記はそのままに「旧」シリーズを掲載している。本当に問題があるとしたら、修正が行われているはずである。
なのでむしろ、スーパーマンの表記を変えたのは、外圧によるものではなくて、作者自らの判断だったのではないかと考えられる。
スーパーマンは1978年にハリウッドで実写映画化され、日本でも大ヒットを飛ばした。続編が何本も作られ、新パーマンが始まる直前には、スーパーマンは一大コンテンツに昇格していたのだ。
その状況下で旧パーマンと同じように「スーパーマン」の表記でいくと、読者が不自然に思ってしまう。みんなの思い描くスーパーマンの造形ではないからだ。
そこで作者側から「スーパーマン」表記を封印し、本家のスーパーマンのイメージと異なるといった批判をさけようとしたのではないだろうか。
そしてバードマンという名前が付けられたのだが、これはおそらく
スーパーマン → 超人 → 鳥人 →バードマン
という伝言ゲームのような変換が行われたものと想像される。(これも諸説あり)
前置きが長くなったが、旧パーマンの最終回は『スーパー星への道』というタイトルである。これはスーパーマンの星という意味で、実際の名前がスーパー星であるわけではない。なお、新パーマンでは『バード星への道』となる。
つまり「パーマン」には二つの最終回が存在することになる。そして『バード星への道』は、設定の変更が大きく影響して、『スーパー星への道』から大幅な改定が加えられている。まるで別物と考えて良いだろう。
本稿では、雑誌掲載時から作者の加筆修正が施された1976年に汐文社にて刊行された単行本を底本として解説を加えていきたい。
まず最初の一ページ目。みつ夫の独り言から始まる。
と、どこかへ行くことを望んでいる様子。
そこへコピーロボットのみつ夫が蜘蛛のおもちゃを使って、みつ夫をビックリさせる。コピーは「臆病だなあ」と笑うが、みつ夫は「こんな大事な時になんてことするんだ」と怒り出す。ここでは、「臆病」というキーワードに着目しておいて欲しい。
そして、本作の状況説明が、みつ夫とコピーの会話を通じて明らかとなる。みつ夫が説明は、
というもの。これを聞いたコピーは、
と感想を述べる。
5人中5位、つまりは最下位だと、厳しい現実ををさらりと言ってのけるコピーロボット。なお、スーパーマンの星の知識が詰まったコピーがパーマンの留学のことを知らないのは不自然な気もするが、ここではこれ以上触れない。
ここでもう一点注目しておきたいのは、みつ夫がスーパーマンの星を理想郷のように思い描く部分である。
ご丁寧にも花を手にするパーマンと、その隣に立つスーパーマンの姿が描かれている。みつ夫はこの時点では、留学先を楽園と考えているだけで、そこで何かを学ぼうというような意識は全く伺えない。
ここからはマイクロ・レコーダー対策として、みつ夫が色々と奮闘するも、それが裏目裏目となっていくシーンが描かれていく。
やること成すことうまくいかないパーマン一号なのである。
さて、発表の日。パーマン5人はどこかの家の屋根の上に集合する。ここではパーマン仲間たちが、互いにエールを送っている。
二人一組となっているところがポイントで、一人取り残され、「チェッ、僕はどうなんだい」と寂しく愚痴るパーマン。パーマンが5人(2+2+1)いることで成立するギャグシーンである。4人となった「新」パーマンでは、こうはいかない。
そこへスーパーマンが円盤に乗ってやってくる。さっそく審査ということで5人のマイクロ・レコーダーを集めて、再生機にかける。パー子は「ドキドキするわ」と自分だといいなと思っている様子。パーやんは「ワァ、かなわんな」とこちらも期待しているものと思われる。
パーマンはもう自分が選ばれるわけないと思っているので、結果についても「どうでもいいや」と言い出して、宿題をしに家に帰ろうとする。すると、早くも審査が完了。
「パンパカパーン」とスーパーマンが声を上げ、最優秀パーマンを発表する。
固唾をのむパーマン以外の4人。
なんと、意外にも選出されたのは5番目に優秀なはずだったパーマン1号だった。「それ見ろ、僕じゃなかった」と、パーマンも思わず結果を聞き間違える。
パーマンは結果を聞いて皆から祝福されるが、喜ばずに怒り出す。からかわれていると思ったからである。スーパーマンは本気にしないみつ夫に対して、選出の理由を述べる。これは、「パーマン」のテーマの根幹に関わる部分となるので、全文抜粋する。
この説明では、パーマン仲間たちも全く納得がいかない。
スーパーマンはさらに続ける。
この説明によって、ようやくパーやんは選出理由を理解し、パー子もパーマンに「あなたって偉いのね」と褒めたたえる。みつ夫は「あまり嬉しくない褒め方だなあ」と、まだ納得できていない模様。
繰り返すが、ここでのスーパーマンのセリフは「パーマン」の中核を成す重要な内容なので、少々補足する。
スーパーマンにとって、「人間の能力の差は大した違いはない」としている。これはつまり表層的な頭の良さや運動能力などは問題にしていないということである。
それよりも大事なことは、そうした能力の差とは関係なく「行動する」ことにあるとしている。みつ夫に対して「よく戦った」「よく働いた」「活躍してくれた」と、「行動している点」を評価しているのだ。
その上で、行動するための障害、ここでは「臆病者」「怠け者」「知恵がない」とみつ夫の特性を指摘している。みつ夫はこの部分だけ抜き取って褒められていないように感じたわけだが、こうした弱点を乗り越えて「行動した」パーマンをスーパーマンは最大限に評価したのである。
さらに深く考察すると、スーパーマンのセリフは、「ヒーローとは何か」という大きなテーマを語っているとも言えそうだ。
ヒーローは、一般市民が持ちえない特殊能力を使ってヒーロー活動をしている。力が強い、空を飛べる、必殺技がある、などだ。しかし、能力を持つことイコール、ヒーローではないとスーパーマンは語る。個々の能力は二の次であって、ヒーローとは自分との戦いに打ち勝つことが重要だと述べているのだ。
みつ夫は等身大のヒーローで、苦悩し傷つきバカにされながらも、困難に立ち向かっていく。時に、自分が褒められなくても、誰も見てくれてなくても戦いを続けている。
完璧ではなないヒーローだからこそ、僕らはパーマンに感情移入できるし、憧れもする。そんなパーマンをまるっと肯定したのが、本作におけるスーパーマンだったのである。
思いもよらず留学の資格を与えられたみつ夫。あれだけ憧れていたのに、一気に不安に襲われる。
その晩の夕食は、みつ夫にとっての「最後の晩餐」だが、家族に別れを告げるわけにはいかない。みつ夫の留守はコピーロボットが引き受けてくれるからである。
ということで、みつ夫はさり気なく(?)家族に感謝を伝えていく。ママに対しては皿洗い。パパにはタバコを上げたり肩を揉んだり。ガン子には「いい子になるんだぞ」と言って「かわいい妹よ!!」と抱きしめる。(そして気持ち悪いと逃げ出される)
夜の町に出て、なぜか散歩をしているカバ夫とサブに心の中で別れを告げる。みっちゃんには挨拶すると悲しくなるからと、家の外で別れの歌を歌う。(ドラネコと間違われて水をかけられる)
この時、みっちゃんのママの容姿が〇スなのが気にかかるが、それはひとまず置いておこう。
みつ夫はコピーから、スーパーマンの星についての説明を受ける。
「ひどく遠い」と気に病んで、みつ夫は「みんなと別れてそんな遠い星に行くなんて嫌だ」と弱音を吐く。
なお、ケンタウロス座のプロキシマとは、太陽系から最も近い恒星であるケンタウロス座のα星のうちの一つ。α星は「リギル、トリマン、プロキシマ」の三重連星で、別の作品ではスーパーマンの星は「ケンタウロス座のα星」としているものもある。
出発の朝。コピーロボットが出発の時間だと説得するが、みつ夫は布団を頭から被って出てこない。そこへママが「学校に遅れるわよ」と声を掛けてくる。みつ夫は布団の中で、
と騒ぎ立てる。
みつ夫が寝惚けていると思ってママが布団を剥がすと、みつ夫は「ママ助けて」と抱きつく。するとその瞬間、ママが固まってしまう。時間が止まったのである。
スーパーマンが部屋に現れる。自分のことを人さらい扱いされたのでご立腹の様子。そして「見ろ」と窓の外を指さす。すると、無数の円盤が空に浮かんでいる。
と、スーパーマンは言う。
ここで初めてわかったことは、パーマンは日本だけでなく、世界各国に配属されていたという事実である。かつてα国とβ国の争いにパーマンが介入していたので、てっきり世界中でパーマンは5人しかいないかと思いきや、それは違ったようだ。
考えてみれば、日本にだけ5人もパーマンを集中させるのは、確かに不自然な話である。
スーパーマンは「君のことは諦めたよ」と、出て行ってしまう。みつ夫はそこでパジャマを脱ぎ去り、パーマンセットを身につける。そして固まったママの顔に手を当て、目を細めるパーマン。
みつ夫が出発をグズっていたのは、親離れの最後のイニシエーションである。それと、理想だと考えていたことが急に現実となって、心の整理がつかなかったからでもある。
「後で後悔するんじゃないかな」とスーパーマンに指摘されるが、パーマンは力強く言う。
みつ夫は最後まで臆病者で意気地なしであった。しかし最後の最後には勇気を振り絞って行動に出る。これがスーパーマンに最も評価されたポイントであった。それを再び繰り返しているのである。
「遅いやないか」と心配そうにパーマン仲間4人が集合している。最後のひと時、5人で空を飛ぶ。そして円盤にたどり着く。5人は無言で手を取り合う。そして、
さっきまでぐずぐずしていた男とは思えないほどの、決意に満ちた様子のみつ夫。
はなむけの言葉が心に刺さる。
ヒラリと円盤に乗り込み、ハンドルを握る。そして「いってきまーす」とパーマンは猛スピードで飛び立っていく。見送るパーマン4人の姿はシルエットとなる。
コピーロボットは部屋の窓から身を乗り出して、「行っておいでー、頑張ってねー」と声をかける。すると、止まっていた時間が動き出す。ママがコピーのみつ夫を見てひと言、
遅刻だと大慌てで学校へ向かうコピーのみつ夫。ロボットなので、この後、身体的に成長するのか少々疑問に思うところだが、きっとみつ夫のように少しずつ大人になって、みつ夫の帰りを待ってくれることだろう。
さてさて、『スーパー星への道』についての考察解説はここまで。
「パーマン」は本作を持って「旧」シリーズの最終回を迎え、約15年後に「新」シリーズとして復活を果たす。
ただし、この15年間はただの空白期間ではない。まさかの「ドラえもん」のエピソードを絡ませながら、何とも壮大なみつ夫とパー子の物語が浮上して、「パーマン」にラブストーリーという、全く新しい魅力が追加されることになる。
そう、「パーマン」の物語は、「旧」シリーズの最終回を持って、新しい始まりとなるのである。
そんな楽しい話題に今後突入していくのだが、その前にもう一本、「旧」パーマンで取り上げなくてはならない作品がある。それが『帰ってきたパーマン』という幻のエピソードである。これについては、近く別稿にて詳細解説する。
乞うご期待!
「パーマン」の物語を語り尽くしています。
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