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エスパー魔美100回出動記念も、後味最悪な『黒い手』/ちょっぴりホラーな物語⑥

あらゆるジャンル、タイプの作品を描いた藤子F先生だが、特に「エスパー魔美」の内容の幅広さには驚きを覚える。硬・軟・明・暗とストーリーの自由度が抜群に高いのである。

評論とは何か、ものつくりとは何かに迫る『くたばれ評論家』や、失われていくものとそれにあがなう者の葛藤を描いた『人形が泣いた?』、縄文時代の稲作をテーマとした『ドキドキ土器』など、その多彩さには目を見張る。

感動的な前向きになれる作品が多い印象があるが、その正反対な後味が抜群に悪い社会派作品も少なくはない。

特に今回取り上げる作品は、その中でも特段後味が悪く、何とそれが原因でテレビアニメ化もされていないのである。

ある種のホラーとも言える恐怖が描かれる訳だが、その恐怖を作り上げた人間の愚かさも容赦なく捉えている。自由度の高い「エスパー魔美」だからこそ描けた作品であると思う。


「エスパー魔美」『黒い手』
「マンガくん」1977年第16号/大全集2巻

8月12日、と日付が提示される。

ザアザアと強い雨が降っている。とあるアパートの一室では、若者がハァッハァッと荒く息をしている。窓の外には帽子を被った人影が見える。若者は焦りの表情を浮かべていたが、意を決したように「やろう」と言って窓の外に出る。

若者は、雨の中で傘も差さずにびしょ濡れの男に掴み掛かり、叫ぶ。

「しつっこいぞ、おっさん。俺を殺そうたって・・・、ぜ、絶対にそんなこと!!」

男は無言のまま、二本の指を若者の目の前に提示する。若者はその様子を呆然と眺めるだけで、先ほどの勢いは削がれてしまっている。男はそのまま雨の中を立ち去っていく。

そこへパッと現れたのは、我らがエスパー魔美。「何かあったんですか?」と声を掛けると、ワッと大声を上げて仰天する若者。若者は何でもないと、魔美を相手にしないが、魔美からすると今にも殺されそうな激しいベルが鳴っていたという。


結局何事も無かったと判断して家に帰る魔美。ベッドに横たわり、指を弾いてテレキネシスを発動し、天井裏から「エスパー日記」と書かれたノートを手元に引き寄せる。

ノートを開き「出動記録第九十九号」として、今回の何事も無かった出動記録を書き留める。昼寝中にベルで急行したとのことである。

ズボラなタイプの魔美だが、エスパーとして出動した記録をきちんと日記に残していたとは、驚きの新事実である。

ちなみに本作は連載開始第16話目の作品だが、この間で約100件の出動をしていたことになる。マンガになっていない部分でも、日常的に活躍をしている魔美ちゃんなのであった。


これまでの九十九回の出動を振り返り、「それにしても大した事件がない」と感想を述べる魔美。SF小説や劇画のエスパーは、たいてい世界的な陰謀団と戦うはずだと言うのである。

実際問題としては、本作もマンガの世界ではあるのだが、日常性を重視している「エスパー魔美」では、残念ながら劇画チックな活躍は夢の中くらいなもの。

魔美は次の百回記念出動では「地球征服を企む宇宙人」などの大物に巡り会いたいと妄想するが、笑い上戸のコンポコに大笑いされるのがオチなのであった。


8月13日。

この日はギンギンに太陽が照らす暑い日。コンポコは暑さでダウン寸前だが、魔美はアイスを食べて夏を満喫している。するとそこへベルが鳴る。

テレポートすると、そこは昨日訪れた若者のアパートの前。昨日同様帽子を目深にかぶった男性が、若者の目の前に指を突き出している。今日は指一本である。

青年はその様子を見て色を成す。「確かに俺が悪かった、だけど償いは済ましたぜ」と主張するが、男はそれに何も答えず、そのまま反転して立ち去っていく。

魔美からすると、せっかくの100回記念出動なので、またも空振りという訳には行かない。「助けが必要なら手を貸すわ」と言って、断りもなく若者の行動に同行する。

我らが魔美は、本作のように、すっと他人の生活に入りこむことができる稀有なる才能の持ち主なのである。


若者は先ほどの男から逃げるために引っ越しを計画していたのだが、予約してあった世荷下(よにげ)運送のトラックは、何者かによってキャンセルになっていた。

「あいつが手を回しやがったんだ」と取り乱す若者。魔美は「どこか落ち着いて、冷たい飲み物でも飲みながら訳を聞かせて欲しい」と声を掛ける。

そういうことで、自然な(?)流れで若者と魔美は喫茶店へ。ここでようやく事件の全貌が見えてくる。

若者の話では、男は10日前にやって来て指を10本見せたのだと言う。それから毎日黙って指を一本ずつ減らしていて、明日はついに指0本となる。つまり明日、自分は殺されるというのだ。

殺されると考える理由は、一年前の明日(8月14日)、若者は車で男の子供をはねたからであった。若者は刑務所に入り、つい最近出てきたばかり。男に償いはしたと言っていたのは、服役したという意味であったようだ。

引っ越しもこの10日間で2回もしたらしいが、どうやっても嗅ぎつけられてしまうらしい。若者は「どこかで目を光らせて俺のことを・・・」と恐怖するが、その時魔美が何かの気配を感じ取る。

魔美がスッと立ち去っていくと、残されたのはジュースやらアイスやらを大量注文して平らげた跡であった。


魔美は強い念波を感じ取る。心の底まで凍り付くような寒さを覚える。真夏にも関わらず。

路地の影から若者の様子を伺っていた男に気がつく魔美。魔美は男の殺意を察知し、果敢にも「やっぱり人殺しは良くないわ」と説得に入る。

何も答えない男に「見過ごすことはできない、絶対に殺人だけは食い止めて見せる」と強く迫ると、男は感情を失ったような、怒りに満ち溢れているような、何とも不気味な視線で魔美を睨みつける。思わずゾクと悪寒を感じる魔美。

魔美だけでなく、読者をもビビらせる恐怖シーンである。


こうなると魔美の手には負えない。頼るは高畑の頭脳である。ところが、訪ねてみると不在で、遊園地でアルバイトをしているという。さっそくテレポートすると、そこは遊園地のお化け屋敷の中。

幽霊の類いが大嫌いな魔美は、目の前にオバケが出現したものだから、悲鳴を上げて逃げ出し大コケする。高畑のアルバイトとは、お化けの人形を操る仕事であったのだ。

もちろん、魔美を怖がらせる目的で高畑がお化け屋敷でアルバイトをしている訳ではない。この後高畑の立てる作戦の伏線となっているのである。


高畑のアルバイトを終えて、夜中に殺人を断念するよう説得を試みることにする。あらかじめ魔美が調べておいた男の家に向かうと、電灯が点いておらず真っ暗。

中に入ると人が住んでいる気配がない。奥の部屋のベッドで男は静かに横たわっている。部屋の中にはパンダのぬいぐるみや、おもちゃ箱が置かれている。そこは男の子供の部屋だったに違いない。

高畑は男に殺人を止めるよう説得を開始する。私刑がどうしてダメかを論理だって説明していくのだが、非常に説得力があるので、要点を抜粋しておこう。

・日本は法治国家であり、国民は法律に従う義務がある
・男には犯人に対する量刑の軽さに不満があるのではないか
・刑法はもともとは、「目には目を」の応報刑だった
・現在は教育形という考え方が先進諸国では定着している


実は僕は法学部出身者で、応報刑と教育刑という考え方を授業やゼミで戦わせた経験がある。ざっくり、応報刑は被害者や被害者の遺族の立場に即した考え方で、教育刑は加害者の立場を考慮した考え方となる。

全く異なる二つの立場の間で、量刑が定められていくのだが、加害者と被害者のいずれに近い立場を取るかは、その社会全体が求める機運というか、気分が大いに反映される。

議論をしていると分かるが、「やられたらやり返す」という考え方は、感情的に非常に納得しやすいので、応報刑支持派の方が優勢に立つことが多い。

しかし、犯罪者の犯した殺人という事実だけに着目して、では死刑、と決めてしまうのも非常に危険な考え方である。

まず冤罪の危険性が一つ。間違って死刑にしてしまった後では、取り返しがつかないことになる。

また、法治国家において国家が人を殺めて良いのかという倫理的な問題もある。さらに、加害者側にも何らかの事情がある場合、情状酌量の余地が与えられるべきという現実的な考え方もある。

この議論の決着点は、あくまで社会全体でのバランスの中で求められるものである。ただし、死刑制度を採用しているのは先進諸国では日米韓だけとなっており、その中でも我が国の空気は応報刑に方に寄りすぎているように思えるのだが、果たしてどうだろうか。


さて、高畑の必死の説得にも関わらず、男には何も響いていない様子。声をからした高畑が一息つくと、床にスクラップブックが置いてあるのに気がつく。そこには事件当時の新聞の切り抜きや裁判の記録が収められており、男の息子はわき見運転した若者によって殺されてしまったことがわかる。

しかも残酷なことに、その前に奥さんも交通事故で失くしており、一人息子の成長だけを楽しみにしていたという。

魔美は涙を流して、「かわいそうなおじさん」と強く同情する。そして男の体に手を触れると、男が息子との思い出の世界にいることがわかる。

息子の成長を辿る思い出の世界は、「のび太の結婚前夜」の静香のパパの思い出と全く同じようなもの。それがわかるだけに、非常に辛いシーンとなっている。


真夜中12時となり、鳩時計が時刻を知らせる。男はムクリと体を起こし、洗面台へと向かい、伸び放題になっていた髭を剃り始める。

8月14日。この日は坊やの一回忌。男はネクタイにスーツ姿と、身なりをきちんと整えたが、凍り付いたような目つきは変わらない。まるで殺人ロボットと化した男は、魔美たちの制止を振り切って、若者のアパートへと進みだす。

魔美はテレキネシスで男性を転倒させるが、すぐによろよろと立ち上がり、復讐の歩みを再開する。力づくでも止めることはできないということだろうか。

高畑は言う。あの人はいま、人間じゃなくなっていると。そして、意外なことを口にする。

「思い通り殺させるしかないな」


ここで場面は変わり、若者のアパートの一室。若者の暴走族仲間が集って、酒を酌み交わし、自分たちの暴走行為を正当化している。

一人の悪友は自分たちが暴走族になったのは社会が悪いからだと発言をする。若者を阻害するからいけない、青春のエネルギーのはけ口がないからだと、誰かの受け売りを口にする。

自分は応報刑よりも教育刑の考え方に賛同する方だが、このような反省心の皆無な発言を聞くと、どうしようもなく腹が立つ。お前たちのような自分本位な奴らがいることで、世の中に短絡的な「目には目を」の精神が蔓延してしまうのだと。


男が現れたらみんなで半殺しにしてやると、意見がまとまったところで魔美が姿を現す。「止めようとしたが無駄だった、復讐の鬼と化してこのアパートに突進しつつある」と脅す。そして助かりたければ言う通りにしなさいと若者に告げる。

一方の高畑は、殺人機械となった男に、若者が仲間の家に隠れようとして、間もなく公園を通るはずだと助言している。「どうしてもやる気なら、もう止めません」と言ったところで、若者が姿を現し、公園の中を走って横切っていく。

男はドスを取り出し、若者の後を走って追いかけて、刃物を背中に突き刺す。背中からは大量の血しぶきがあがり、若者は倒れ込む。血まみれで死んだように見える若者を見て、男は我に返る。

凍り付いたような目がみるみるうちに人間性を取り戻す描写は、怒りで我を忘れていた男の無念さを引き立たせているように思える。


ここで高畑がタネを明かす。男が刺したのはお化け屋敷から借りてきた背格好の似た人形で、血しぶきは絵の具であると。

男は正常さを取り戻したと見て、高畑はもう大丈夫だと考える。立ち去る男を見て、「もともと人殺しなんかできる人じゃないんだもの」と言う。

魔美は「何かしてあげられることはないか」と、いつもの優しさを見せるが、高畑は「残念だけど何もない」と冷徹な答え。「あの人の心の傷を治すには、時の流れだけがただ一つの薬だろう」と告げるのが精一杯なのであった。


魔美は部屋へ戻り、百回記念出動となった今回の事件を日記に記す。

「一応殺人だけは食い止めたが、あとは何一つ解決できなかった。自分の力の無さが悔しい。今日も暑い。ほっぺたを流れるものは汗だろうか、涙だろうか」

いつになく深刻な目つきと表情の魔美を映し出して、答えの無い物語は幕を閉じる。


本作は、若者の暴走行為によって最愛の息子を失った男が、殺人マシンと化して、轢いた男に復讐をしようとするという、悲劇的なエピソードが描かれる。

魔美もエスパー日記に書いているように、殺人行為を止めることはできたが、男の心の傷を癒すことは、時間の流れに任せるしかない。

魔美は超能力の使い手だが、その力は万能ではない。起こってしまったことを変える力や、人の心を修復する能力もない。ただ、自分の無力さと向き合った魔美は、人間としての成長を遂げたようにも思う。

本作は非常にやるせない読後感をもたらすが、魔美の人間としての成長にスポットを当てたお話だと考えると、少しだけ救われる思いがするのである。




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