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「21エモン」を幼児向けにするとこうなる「モンガーちゃん」/ちょっぴりマイナーな幼児向けF作品⑯

藤子作品は、乱暴に言ってしまえば絵柄はほぼ一緒なのだけど、読者の対象年齢によって、内容を大きく変えることで知られている。すなわち、対象年齢ごとに描き分けが徹底されているのである。

例えば「ドラえもん」では、「幼稚園」から「小学六年生」までを同時に連載していたが、見事に読者の理解力に合わせた作品を発表していた。

後年、「中年スーパーマン佐江内氏」のような中年読者に向けた作品も描かれるが、ここでは絵柄は「ドラえもん」のままに、主人公は中年男性で、内容も中年の悲哀がたっぷりと描かれていた。

絵ではなく、中身を読者にアジャストしていくと言う点で、非常に細やかな仕事をされていたし、何よりも読者思いだったことがよく伝わってくる。


そんな中、「21エモン」という作品の立ち位置は、想定読者と言う面で非常に微妙である。「21エモン」は「週刊少年サンデー」において、「オバQ」~「パーマン」を引き継いだ作品だが、「オバQ」や「パーマン」と違って、「サンデー」だけで連載していたのである。

サンデーのような幅広い読者を獲得している少年漫画誌では、そのものずばりの読者年齢がはっきりしていない。作品ごとに微妙に対象読者がずれて、総合的に「少年マンガ誌」を構成しているのだ。

そういうある種ぼんやりとした読者が相手となるので、作品は「読者」ありきではなく、「作者の描きたいこと」ありきとなる。よって「21エモン」は、どこか小さな子供の読者を突き放したような、妙に大人びた作品が出てくることになる。


本稿ではそうした微妙な立ち位置のまま連載された「21エモン」への論評をしたいわけではない。実は孤高の作品と思われた「21エモン」にも「週刊少年サンデー」の他に、「幼稚園」にて番外編として発表された作品が存在しているのである。

それは紛うことなき「幼稚園」読者に突き刺さる作品で、先生の想定読者描き分けの極意が見てとれる。たった3作しかないのだが、今回はその全貌を記しておきたい。


「モンガーちゃん」「幼稚園」1968年7月号~9月号

「21エモン」の子供受けする可愛いキャラと言えば、それはモンガーに決まっている。モンガーはササヤマ星人が宿賃の代わりに置いていった宇宙生物で、高度な知能を持ち、自分や周囲の人たち、物体をテレポートすることができる。

一週間に一度しかしゃべらず、ほとんどムニャムニャ言うか、「モンガー」と声を上げる程度のキャラクターだったが、連載が進んで喋れるようになる。

「幼稚園」に「21エモン」を登場させるに当たり、この愛すべきキャラクターのモンガーを主役として、モンガーのテレポート能力をメインに据えたのは、さすがとしか言いようがない。

では、3作品しかないので、簡単にコメントを残しておこう。


『はじめましてモンガーちゃん』1968年7月号

第一話はたった2ページ、6コマだけのお話。ここだけでモンガーのテレポート能力の説明をしつつ、ひと騒ぎを描き切ってしまう。

まず最初の一コマで、21エモンがモンガーを、ギャラクシーホテルの社長の娘のモナに「どこへでもパッといけるんだよ」と説明する。単純かつ非常にわかりやすい。

そして試しにテレポートすると、そこはテレビ局で生中継をしている、そこに21エモンとモンガーが写り込み、ルナに「ばあ、ここだよ」と自慢する。中継では、カメラマンが何気に未来っぽくロボットだったりするのが、細かいところである。


『海か山か』1968年8月号

2話目は6ページにボリュームアップ。21エモンとルナが夏休みに山に行こうか海に行こうかで揉めている。モンガーは「じゃ、両方へ行こう」と言うことで、山と海に続けてテレポートする。

海か山か論争と言えば、「のび太の海底鬼岩城」を思い出すが、こういうところから着想が始まっているのである。


『ロボット屋そうどう』1968年9月号

ロボット屋でロボット購入を検討するパパ(20エモン)、21エモンとモンガーも付いていき、各種面白ロボットを見学する。名前は書いてないが、風貌から「お掃除ロボット(ルンバ的な)」、「子守りロボット」、「高いところのペンキ塗りロボット」などが見受けられる。

その中で最も強そうな巨大ロボットが置いてあり、21エモンが思わず稼働スイッチを押してしまうと、故障中であったらしく、暴れ出してしまう。

この手のロボットものでは、たいていの場合でロボットは人間の言うことを聞かなくなる。これは藤子作品においては、実質的なデビュー作の「UTOPIA  最後の世界大戦」以来ずっと取り組まれているテーマとなっている。


さて、余談ではあるが、「21エモン」が連載していた「週刊少年サンデー」と藤子先生の関係はその後どうなったのか。

「21エモン」は宇宙旅行篇となり、藤子先生の筆はますます冴え渡っていたわけだが、その反面、読者の人気が上がり切らずに連載は終わってしまう。それを引き継いだのは、逆に学年別学習誌で連載していた「ウメ星デンカ」であった。

こちらは、学習誌と差別化するためか、癖のあるゴンスケやナラ子を投入して、毒気のある作品としていた感もある。

この後、1971年にはA先生との合作である「仙べえ」が短期間連載されている。さらに1974年にはA先生の「プロゴルファー猿」が単発&短期連載され、75年から78年までほぼ丸4年間長期連載された。

F先生も「ドラえもん」の単発作品(増刊号中心だが)や少年SF短編を数本発表している。

思えば、創刊号から藤子両先生の合作「海の王子」から始まり、「オバQ」「パーマン」と合作作品が長きに渡って連載されている。「週刊少年サンデー」は、藤子不二雄両先生の活躍の場であり続けたのである。


*本稿は事実関係の誤った部分があり、読者の方にご指摘いただき、加筆修正しました。厚く御礼申し上げます。



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