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「まんが道」のことを少しだけ

今週は仕事もそれなりに忙しく、会食も2回あり、さらに世界で二番目に好きな漫画家・藤子不二雄A先生がお亡くなりになるというショックも受ける、とんでも無い一週間だった。

一昨年前の11月末からコツコツと書き始めた藤子Fノートは、奇しくも安孫子先生への追悼記事でちょうど500本となった。

本当は500本の記事達成ということで、自画自賛する記事を準備していたのだが、とても祝う気持ちも失せて、お蔵入りにさせることにした。

本日はそんな一週間の疲れからか、記事執筆の気力が湧かない。ただ、連続投稿500日達成まで間もないので、その継続のためだけになんとか文章を書いている状況にある。

おそらくここまで執筆意欲が湧き立たないのは、note開始以来初めての事ではないかと思う。


ここで文章を終えてもいいのだが、時間ギリギリまで適当に書いてみたい。

繰り返すが、安孫子先生の急死のニュースを聞いた時、本当に脱力した。ぐったりする中、追悼の記事を書き、その後A先生のマンガを適当に引っ張り出してきて、読み耽った。

僕が大好きなA先生の代表作「まんが道」は、安孫子先生自身をモデルにした満賀道雄と、パートナーである藤本先生をモデルとした才野茂の、漫画に懸ける青春物語である。

ポイントは「才野茂」という名前である。これは「才能が茂っている」という意味合いでの命名だが、つまり安孫子先生から見て、藤本先生は才能豊かな天才だったという気持ちが込められている。

安孫子先生はいつも自分の尊敬する人物は、手塚治虫と藤本弘だと公言されていた。パートナーとして一緒に活動している人物を、手塚治虫と並べて尊敬すると言えてしまう安孫子先生を、僕は心から尊敬する。

安孫子先生は、いつも新人のような気持ちで原稿を書いていたと言っている。大御所であり、漫画黎明期を支えた巨匠であるにも関わらず、そうした謙虚な姿勢、飾らない様子を取り続けている。それは本当にすごいことだ。

仕事で言えば、ポジションに就いた人間が、偉そうにマウントを取ってくることが良く見受けられる。過去の業績をいつまでも誇る人間も多い。

安孫子先生は、質量ともに、藤本先生に負けず劣らずの作品群を残している。今でも繰り返し読めてしまう普遍性もあるし、衝撃を与えてくれる先見性や深みもある。

つまり、安孫子先生も天才だったのだ。

でも「まんが道」などを読んでいると、藤本先生や手塚先生を天才と見なしている一方、自分自身については、劣等感や自身の無さなどを強調して、あたかも凡人のように描いている。

藤本先生がいなければ自分はマンガ家にならなかったと語っているが、これは心からの実感なんだろうけれど、安孫子先生の溢れる才能は、おそらく一人で活動されても、漫画界が放って置かなかったように思う。


始まりは天才が引き上げてくれたことがきっかけかも知れない。劣等感を抱いていたのも本当だろう。けれど、コツコツ積み上げていった作品が、全てを物語る。安孫子先生が皆に愛された天才だったことは、亡くなった時の報道をみればよくわかる。

改めて、藤子A先生のご冥福をお祈り申し上げます。そして長き「まんが道」の旅、お疲れさまでした。


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