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感涙の動物劇団コロ助座、開幕!『動物芝居を作るナリ』/藤子Fの演劇しよう③

大人がしていないことで、子供がしていること。その一つが「演じる」ことではなかろうか。

幼稚園(保育園)~小学校くらいまでは、年に一回くらい学芸会があって、出し物はだいたい劇と決まっている。うちの子供の例だと、「大きなかぶ」だったり「スイミー」だったりする。大きくなれば、「竹取物語」や「銀河鉄道の夜」なんかが演目に加わっていく。

子供の頃は、毎年恒例の行事として芝居を演じるわけだが、俳優の道を選ぶ一部の人間を除いて、大人になるとその機会は失われる。そしてたいていの人は演じていたことすら忘れてしまい、やがて子供ができたりして久しぶりに思い出すことになる。ああ、昔はよく劇をやってたな、と。


藤子先生は子供たちを読者にしているので、当然「お芝居」が子供たちの身近な存在であることを知っている。そして、これまた当然のようにお芝居をテーマとした作品も数多く描いている。

そこで、「藤子Fの演劇しよう」と題して、演劇・お芝居をテーマとした作品群を紹介していく。

このテーマでは、描き方やジャンルも様々なのだが、あえてパターン化するならば、劇が滅茶苦茶になっていくコメディパターンと、感動的なオチが待っているドラマパターンがある。

これまで「ドラえもん」「オバケのQ太郎」から一本ずつ紹介記事を書いたが、二本ともコメディパターンであった。(記事は下)


本稿では感動的な終わり方となる「ドラマパターン」を紹介しよう。

「キテレツ大百科」『動物芝居を作るナリ』
「こどもの光」1976年6月号/大全集2巻

本作における主人公は、キテレツの作ったロボット、コロ助である。8年くらい続いたTVアニメでは、原作を使い切った後はコロ助を主人公にしたオリジナルストーリーが数多く作られていた。世間知らずで、自分の想いに一直線な愛すべきキャラクターであり、「オバQ」なんかに近い立ち位置にある。

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冒頭で「三匹のこぶた」の人形劇を見ているコロ助。だいぶ感情移入しているようで、オオカミがこぶたの家の屋根に登ると、「あぶないナリ」と大声を出して、「悪者めっ」と言ってオオカミの人形に飛びついてセットを転倒させてしまう。

お芝居と分かっていながら、つい興奮してしまったようだが、この芝居と現実がごちゃ混ぜとなる感じは、『ぼくが主役だ』のオバQを彷彿とさせる。


人形劇が終わり、見ていた子供たちは自分たちも人形を動かしてみたいと集まってきて、ワイワイとやり方を教わるのだが、コロ助は指がないから人形を動かすことができない。

コロ助はプンプンしながら家へと帰る。その道すがら、

「残念ナリ。キテレツがワガハイの手を、ゴムマリなんかで作るからナリ!」

と憤るコロ助であった。

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玄関に入ると、一匹のネコが、「ドアを開けっぱなしにしてはいけない」とコロ助に話しかけれてくる。「化けネコナリ!」と驚いて、キテレツの部屋へと逃げこむコロ助。そして二足歩行で追いかけてくるネコ。

部屋にいたキテレツが、コロ助にネタバラシをする。猫がしゃべったり二本足で歩いたのは、キテレツの作った「獣類操り機」という、動物を思い通りに動かすことができる発明によるものであった。

キテレツ大百科第一巻23ページ記載の「獣類操り機」。コントロール電波発信機と受信機から成り立っている。受信機は砂粒くらいの結晶体で、動物一匹につき60個あまりを貼りつける。指令電波を受けると筋肉に刺激を与えて、体を動かすのである。

スピーカーを口に取りつければしゃべることも可能。発信機には動作指令ボタンの他に、小さなモニターテレビや、命令を下すマイクが備わっている。

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コロ助は「これこそワガハイの求めていた発明ナリ」と大喜び。先ほど人形を操作できなかった借りを返そうということで、この機械を使って動物たちの劇を作ろうと思いつく。

なお、キテレツの登場はここまでで、この後ラストまで姿を見せない。物語はコロ助の独壇場となっていくのである。


コロ助は「動物劇団「コロ助座」を結成するナリ」と言って、タレント探しに出掛けていく。

最初に向かうはカナリアを飼っているみよちゃんの家だ。カナリアの名前はチッチ。カナリアと内緒の話があるからと、みよちゃんに席を外させて、無理やりチッチに受信機をつけるコロ助。

何とか付け終わり、続けて別のタレントを探す。

大型犬を見つけて、「強くて逞しそうで、アクションスターにピッタリナリ」と近づいていくが、ガウと吠えられ撤収。カワイイ野良猫に目を止めて「メトドラマのヒロインとして、きっと人気が出るナリ」と受信機を付けようとするが、ボコボコに攻撃されてしまう。「見かけによらないものナリ」とコロ助。

思うようにスターが集まらないコロ助は、

「みんなバカナリ!せっかくスターになれるチャンスを!」

と目を互い違いにして激怒する。

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すると電柱に紐で括りつけられたひ弱そうな犬を発見するコロ助。「いかにも大人しそうだが、スターという柄じゃないナリ」などとブツブツ言っていると、乱暴そうな男がズカズカと現れて、この犬を思い切り蹴飛ばす

「何するかナリ」と抗議するコロ助だったが、男は「自分のイヌをどうしようと勝手だ」と凄んでくる。そして「ムシャクシャするといつも蹴飛ばしてスーッとしているんだ」と言って、犬を強引に引っ張っていってしまうのであった。

コロ助は大激怒。何とかして犬を助けたいと思い巡らせて、こんな時こそ「獣類操り機」を使うナリ!と妙案を思いつく。


まずみよちゃんのチッチを動かして、先ほどの犬がいる家に飛ばして、無数の発信機を犬に取りつけていく。これで芝居の準備は整った

先ほどのDV男が不機嫌そうにやってきて、また犬を蹴飛ばそうとするのだが、そこで急に犬が二足で立ち上がって、

「またワガハイを蹴飛ばすのかナリ」

と男の足を押さえる。

「こんな男に飼われて不幸せナリ。殺さば殺せナリ」と腹を見せて寝転がる。男は気持ち悪がって家の中へと引き込んでしまう。

コロ助はもっと怖がらせようと調子に乗り、犬をそのまま部屋の中に上がらせて、

「犬をあまり苛めると化け犬になってウラミを晴らすナリ」

と男をさらにビビらせる。

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すると一気にパニックに陥った男が、完全にいかれてバットを持って追いかけてくる。コロ助は慌ててチッチをもう一度動かして、別のイヌ3匹に発信機を付けさせて、助けに向かわせる。

空き地で飼いイヌを殴ろうとしている男に、「イヌの敵ナリ! やっちまえ」と、3匹のイヌをけしかけるコロ助。イヌたちは男をズタズタにしてしまうのだが、発信機の外れていた飼い犬が、逆に男の防御に入り、三匹のイヌに一生懸命に吠え掛かる。

「勘違いするなナリ。その三匹は君を救いに行った仲間ナリ」

とコロ助は叫ぶのだが、飼い犬はワウワウと飼い主を守ろうとするのである。

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その様子を見た男は、「お、おまえ・・・」と涙を流して、飼い犬を抱きかかえる。犬もまた、しっぽを振って男に抱きつく。

キテレツが姿を見せて、「コロ助、動物劇はまだかい」と尋ねると、コロ助は、

「もう終わったナリ。なかなか良かったナリ」

と答えて、ポロリと涙を零すのであった。

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感動的なラストを迎えるお話ではあるのだが、冷静に考えればムシャクシャするたびに蹴飛ばしてくる飼い主を慕う理由はあまり見つからない。どこかで飼い主とペットの気脈を通ずるシーンがあれば説得力を増したのでは、と思ったりもする。

この話とよく似た筋立ての「ドラえもん」『ドロン葉』(1978年・本作の1年半後)という作品がある。こちらも暴君の飼い主が出てくるのだが、「ドロン葉」の力によって、ペットと飼い主の立場が入れ替わってしまう。

このお話では昔は仲良しだったという回想シーンが挿入されており、ペットと飼い主が互いを思いやって抱き合うという感動的なラストは、本作以上に泣ける出来となっている。

もしかしたら、本作を踏まえて『ドロン葉』が作られたのかもしれない。


さて次回は、「演劇もの」の中から、「感動」パターンの最高傑作を紹介したい。


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