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遺跡、それは歴史の証言者『トロイが滅びた日』/考察T・Pぼん

少し前の記事で藤子先生が活動初期に執筆された『ユリシーズ』を紹介した。ユリシーズとは英語読みで、一般的にはオデュッセウスと言われている。作品の内容については、下記の記事を参照いただきたい。

紀元前8世紀末頃に、吟遊詩人のホメロスが「ユリシーズ」とその前編にあたる「イーリオス」をまとめ上げた(ということになっている)。イーリオスとオデュッセウスを繋ぐ出来事がトロイア戦争である。

トロイア戦争は「ギリシャ神話」に登場する有名な戦争で、アジアの小国だったトロイアにギリシャが攻め込み、10年の歳月を経て陥落させたとされる。最後の戦闘では「トロイの木馬」という計略が使われたことでも有名。


と、こうして記事を書いてみると、この辺の出来事を端的に整理するのは難しいと感じる。ギリシャ神話は歴史書ではないので、現実を踏まえていたとしても、事実そのままを書き残しているわけではない。時系列に落とし込んだりして書くことが難しいのだ。

トロイア戦争は紀元前17~12世紀のどこかで実際にあったと言われたり、単なる伝説にすぎないという考え方もある。ホメロス自体、2800年前に活躍した人だが確かなことはわかっていなくて、彼の不在説すらある。

雲を掴む話ばかりだが、その中で確かなことはある。それが「遺跡」である。神話や伝承も歴史を紐解く重要なカギだが、実際に実物を検証することができる遺跡や遺物に勝るものはない

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若き日に『ユリシーズ』を拙い資料しか無い中、64ページの大著にまとめあげた藤子先生は、その後資料をきっちりと整えて、実に27年の歳月を経て本作「T・Pぼん」『トロイが亡びた日』を完成させている。

「T・Pぼん」は、できるだけリアルな歴史の断片を描くことをモットーとしているのだが、本作でも伝説ではない、リアルな「遺跡」をベースにした物語を作り上げ、さらに遺跡発掘のドラマも織り込むという、藤子先生本領発揮の一作である。


歴史の証言者=遺跡の重要さを伝える作品として、本作をご紹介してみたい。

『トロイが亡びた日』
「コミックトム」1984年6月号/大全集3巻

本作を語る前提として、まず「T・Pぼん」の概略について簡単に説明しておく。

何度か藤子Fノートでも紹介しているが、「T・Pぼん」は、主人公並平凡(なみひらぼん)が著名な歴史的事件の片隅で、不遇な死を迎えた人間を救い出すお話。

救出できる人は、救ったとしてもその後の歴史に影響を与えない人に限られる。なので、毎回大勢が死んでいく様子を横目に見ながら、数少ない人だけを助けなければならない。これがドラマを生む。


また並平凡にはT・Pのパートナーがいるのだが、その関係性によって、大きく三部構成に分かれている。具体的に

第一部:見習い隊員(メイン隊員はリーム)全14話
第二部:正式隊員(見習い隊員がユミ子)全11話
第三部:正式隊員(ユミ子が正式隊員に昇格)全11話

となっている。

本作は、この第三部の初回となるお話なのだが、ユミ子が正隊員となったことで二人の関係性に変化が見られ、これがドラマに組み込まれている。この点は後ほど詳細する。

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もう一つ、作品内でも紹介されるが、トロイ遺跡を発掘したシュリーマンについても、まとめておこう。

まずは本作で描かれている情報を列記する。

ハインリッヒ・シュリーマン
神話を掘り起こした男、少年の日の夢を一生抱き続けた人。
・父からのプレゼント「子供のための絵入り世界史」のトロイ落城の場面を見て、大きくなったらトロイを発掘してみせると思った。
・14歳から働き始め、この間語学の猛勉強を続ける。
・実業家として成功し、億万長者となるが、46歳の時に事業から手を引いた。
・1868年トロイ発掘の予備調査にて、巷間トロイの遺跡があるとしたらここと言われていたバリダーの丘を訪ねるが、ホメロスの叙述と異なる地形だと見抜いた。

基本的にシュリーマンの自伝の記述が採用されているようだ。


ところが、この自伝の一部には記述の信憑性に疑いがかけられている。例えば語学について15か国語習得したことになっているが、可能性は低いとされる。幼少期に聞いたホメロスの詩に感動したのが発掘のきっかけとしているが、これも後付けだという。また発掘のために事業を畳んだことになっているが、事業を畳んだ後に発掘を思いついたとも言われている。

自伝と批判のどちらが正しいかは僕には分からないが、夢を純粋に追いかけたという美談を、そのまま受け入れるわけにはいかないようだ。少なくとも清濁併せ吞む人物だったと考えておくべきだろう。

その一方で、彼が主導してトロイア遺跡が発掘された事実は変わらない。発掘にはお金がかかる。自腹を切って発掘作業を始めたようだが、自分自身を宣伝することによって、発掘の許可を取ったり、周囲の支援を集めることが可能になったのではないだろうか。

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最後にトロイア遺跡についてもわかっている事実をまとめておこう。

トロイア遺跡が発掘されたのは、エーゲ海に程近い現トルコの西側に位置するヒサルリックの丘という場所。シュリーマンは1870年に私財を投げうって発掘を開始、すぐに曲輪(くるわ)に取り囲まれた遺跡を見つける。紆余曲折を経て、1890年までには大きな9つの遺跡の層を掘りだした。

9つの層は古い年代ほど深くから発掘されるわけだが、シュリーマンは第二層をホメロスのトロイアだと推定した。ところが後の調査によって、第二層は紀元前25~22世紀ともっと時代が遡ることが判明。

結果的にはシュリーマンの死後、第七層がホメロスのトロイア遺跡だったと認定されたが、皮肉にもシュリーマンがこの層を重要視していなかったためにほぼ削り取ってしまっていて、遺構が残っていないという。こういうところにもシュリーマンの功罪が見て取れる。

なおシュリーマンがこだわった第二層の発見により、古代ギリシア文明以前に、エーゲ文明が栄えていたことが証明された。また、トロイア遺跡は1998年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。

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さて、長い前置きを終えて、お話をザッと見ていきたい。

先に書いたように、本作のストーリーには、先輩隊員であるぼんと、正隊員に昇格したばかりのユミ子との関係性の変化が、ドラマ部分を担っている。

ユミ子は初めての正隊員の仕事ということで、大張り切り。ぼんはその様子を微笑ましく思えるも、気張っているようにも見える。なので、ユミ子が出してきた救出プランを、力が入った奇抜なアイディアを言い出したというように映る。

ところが、ユミ子は第二部で見習いとして登場して以来、ぼんを凌ぐ優秀さをそこかしこで見せている。その点を考慮すると、先輩として独り立ちしていく後輩を指導しようと考えて、ぼんの力が入り過ぎているように見える。



本作の救出対象は、トロイアの落城の日に死んでしまう王妃付きの奴隷、少女メノアである。彼女は元エーゲ海の小島の王女で、胸のペンダントがその印となっている。いつの時代でも、王族が奴隷として戦争のたびに連れ去られることは珍しいことではない。

T・Pとしては、できるだけ自然に対象人物を救わなくてはならないので、いきなりタイムロックで時間を止めて、メノアを連れ出すことはできない。

どのように救出するか、ユミ子とぼんは話し合う。ぼんは先輩風をふかせて、ユミ子にどうするか聞くと、戦いの始まりを待ってそのドサクサで救出すれば誰も気にしないと意見を述べる。

ぼんもそれには賛同し、落城迫る一時間後へ向かおうとすると、ユミ子は、もっと後に行くべきだと言う。それはざっと3100年ばかり後(19世紀末)だと聞いて、ぼんは怒る。「先輩をおちょっくっているのか」と。

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ここで別行動を取ることになる二人
ぼんはさっそく戦いの火蓋が切られた時間に移動するが、混乱の中メノアを見失い、戦いが終わっても見つけることができない。状況を確認せぬまま突っ込んでいった準備不足を悔やむぼん

ぼんはユミ子の向かった先が1868年8月10日だとわかり、この日に何があったのかをボートの学習機能を使って調べる。すると、そこでシュリーマンの存在をぼんは知る。救出する前に、遺跡を調べて建物の構造や火の広がり方を調べておくべきだったと思いつく。

遅ればせながらシュリーマンの遺跡発掘の時代へと飛ぶぼん。するとユミ子が待ち受けていて、「やはり来たわね」と、どちらが先輩か分からない余裕うの構え。


二人はシュリーマンの遺跡探索から発掘の模様を見学し、作業の合間を見計らって、第七層の発掘現場を探ることに。タイムボートの新機能である透視機能を使って、メノアのいた寝室からの逃走経路上にある空洞を見つける。

ボートで入り込むと、酒蔵があり、メノアがしていたネックレスが見つかる。どうやらメノアはこの部屋に隠れて、そのまま焼け死んでしまったようである。

そこで、場所はそのままに落城の時間にテレポートし、酒蔵で気絶しているメノアを救出する。本部の調べによって故郷の島に兄がいることがわかり、メノアを連れて行って、任務は無事完了である。

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先輩風を吹かせて、後輩に後れを取った形となったぼんだが、反省するときはきちんとそうするのが彼の良いところ。ユミ子に対して「恐れ入った。君はもう立派な正隊員だよ」と素直に褒めたたえる。

ユミ子もぼんに冷たい対応をされたにも関わらず、「ぼん教官のご指導のおかげです」とあくまで謙虚に応じる。

先輩・後輩あるあるという感じのギクシャクを乗り越えて二人は、

「これからも力を合わせて頑張ろうね」

と決意を新たにするのであった。


本作はトロイ戦争を舞台にしながら、主題はシュリーマンの遺跡発掘のドラマに焦点を当てている。ここに先輩・後輩の新しい関係を描き入れて、第三部の清々しい幕開けを切っている。

また『ユリシーズ』で描いたホメロスの世界を、27年後にまた別角度で描いたという点も見逃せない。

なお、藤子先生は本作を書きあげたこの年の10月、トルコ・イスタンブール・カッパドキアとトロイの地を取材旅行で訪れている。


「T・Pぼん」の考察多数やっています。


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