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宇宙文明が始まった星『ニューイヤー星調査行』/世紀の大発見③

前回の記事では「エスパー魔美」から縄文農耕説という大胆な仮説をテーマとした作品『ドキドキ土器』を紹介した。

市井の考古学者である老人男性が、自説を立証するためにたった一日の発掘に挑むお話で、結果的には証拠は見つからなかったが、この説を継承しようという少年の爽やかな決意で終わる傑作であった。

本稿では『ドキドキ土器』とほぼ同時期に発表されたSF短編『ニューイヤー星調査行』を見ていく。稲作と宇宙文明という全く毛色の違うテーマだが、構成は驚くほど似ている。『ドキドキ土器』のSF版といった風情となっている。


『ニューイヤー星調査行』「マンガ少年」1981年2月号

まず冒頭、ニューイヤー星についての説明から始まる。

銀河系の外れ、ロイカル系第三惑星
・2133年、フダラク探査隊が1月1日に足跡を残したので、この通称ができた
・探査隊は無人の星と断定した
・2240年、ワープ航法の開発によって大航海時代が始まるが、辺境の地であるニューイヤー星には目を向けられなかった
・2307年、人類を発見、言語と住居を持ち、神話を伝えていた
・2385年、78年ぶりに探査が始まる

今回の探査隊は、
①バンボルグ博士(隊長)
②イケガミ博士
③ロッシュ博士(地質学担当)
④主人公の青年(助手)

の4人のチームで、探査期間は5ヶ月(ニューイヤー星時間で6ヶ月である。

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探査隊は何を調査しようとしているのか。バンボルグ博士の仮説を証明するためだが、その説について下記にまとめておく。

<原始文化宇宙交流説>
・ニューイヤー星が全ての宇宙文明の母体である
・宇宙に散らばった文明の原始時代を探ると驚くほどの共通点を持っている
・ほとんどの星の神話は神が天下って万物を創造するパターン
・ニューイヤー星だけは神々が石の船に乗り、聖なる谷から宇宙へ飛び立った伝説がある。

この説の問題点としては、宇宙に文明を広げていったロケット(石の船)の推進力は何だったのか、ということである。それについては、バンボルグ博士は、星から離れてその場で制止することで、銀河の自転を利用して無数の星へと漂着していったのではないかと考えるのだった。

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バンボルグの説を聞いた、他のメンバーの反応は以下。

イケガミ博士 → 物理学の法則に反しているとして乗り気ではない
ロッシュ博士 → バンボルグは科学者ではなく童話作家。自分は巨額の参加報酬目当てで参加した。ただし仕事はきちんとする。
主人公の青年 → 結果はどうあれ思いっきり働こう

人生を懸けているバンボルグの熱意とは裏腹に、他のメンバーは全く信じていないという構図となっている。


早速調査を開始する。予備調査報告によって、白アリの塔のような集団住居にニューイヤー人が大勢住んでいるというのでそこへ向かう。はたして、世界遺産のカッパドキアを想起させる無数の穴の空いた岩山が見つかる。

そこにまるで原始人のような風貌の男が、多くの木の実を詰めたカゴを背負って歩いてくる。話しかけてもまるで反応せず、男は階段で岩山を登り始める。かなりの急坂だが、バンボルグは住民理解のために一緒に歩いて登ろうと提案する。

しかしバンボルグとロッシュは階段途中で挫折。若いイケガミと青年二人で何とか付いていき、登り切ったところで「自動翻訳ユニット」を使って話しかける。すると「用があるならそういえば良いのに」という呆気ない返答であった。

二人は住居内を見せてもらうことに。大小部屋は一万二千、約五千人が暮らしている。地球の古代のような生活様式で、求めれば何でも応じてくれるが向こうから積極的に近づくことはない

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ともかくも人類は存在していたので、本格的な調査が開始される。特に見つけ出したいのは、文字と「聖なる谷」の存在である。しかし、ここからの調査は難航する。それについてもダイジェストしておく。

・純粋な採取生活。一個で満ち足りる実を食べている。
・かつて石造建築の技術があったが衰退。遺跡は約5億年前(!)のもの。
・頼むと嫌な顔せずに頼まれてくれる人々
・部族最年長は229歳の老人。毎年石を積み上げる習慣から判明。
・年長者によると、遥か昔聖なる谷から神々が宇宙に向けて旅立った。この星こそが全宇宙の母なる星。しかし谷は天変地異で地底深く埋まってしまった。
・文字は見たことはない

手分けして他の集落に当たるも、聖なる谷の手がかりは出てこない。あっという間に五カ月が経過する。すると、調査隊を元気づかせる発見があった。


鍾乳洞があり、そこでは人間が石筍セキジュンと化しているのである。それは深眠者(ディープスリーパー)と呼ばれる人々で、宗教的動機から自発的に行われ、期間は数日から数万年に及ぶ。全員が参加する集団深眠もあるという。

この驚きべき事実は、古老によれば聞かれなかったので教えなかったと言う。ニューイヤー星人は独特な距離感を保つ人々なのである。

バンボルグはこの石筍化の現象を見て、「ニューイヤー星人は隕石となって他の惑星に訪れていたのでは」と仮説を立てる。古老の態度からわかるように、この星の人々にはしつこく聞かないと情報が引き出せない。今後は根掘り葉掘り聞きだそうということになる。

ここで、メタなナレーションが挿入される。

「それからの急展開は、目を見張るばかりだった。決して、ページが足りなくなったためのご都合主義ではない」

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主人公の青年がお世話になっていた女の子に、文字の遺跡がないかと聞きだすと、「見つけたいの?」と答えて、何と4、5日後に案内してくれるという。なぜ4、5日なのかという疑問はさておき、少女によってバビロニアの楔形文字そっくりの石板の元に案内される。

確かにご都合主義と言われても仕方のない、いきなりの大発見である。

続けて青年は、天へと石ころが上がっていくような「聖なる谷」はないかと尋ねると、あっさり知っていると答える。やはりこの民族は、詳細に聞き出さないと教えてくれないのだ。

そして連れて行かれた鍾乳洞で、驚くべき光景を目撃する。そこで石ころを普通に転がすと、何と高い場所へと転がり上がっていくのである。反重力の聖なる谷が見つかったのだ。

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大きな成果を得て、着陸船が着く夜、探査隊メンバーはお祭り騒ぎとなる。バンボルグ博士は自説が証明されて大興奮。乾杯が何度も何度も続く。すると冷静な表情をしていたロッシュ博士の存在に、青年は気がつく。「嬉しくないんですか」と尋ねると、思わぬ答えが返ってくる。

それは大発見の数々がウソだったという話である。

楔形文字は最近刻まれたもの。少女が本を見て掘った。
聖なる谷は錯覚。傾斜した鍾乳石によってゆるい下り坂が上り坂に見えた。
・ニューイヤー人は人がいいので、単純に欲しがったものを提示しただけ。

青年は博士のことを思うと、いたたまれなくなる。しかしロッシュは黙っておこうと言う。どうせ再調査などは行われないと考えているからだ。


青年は今回の残念な結果を受けて、どのようなことを考えたのか。青年は「エスパー魔美」の『ドキドキ土器」に登場した生徒と同じように、ある決意を示すのである。それはすなわち、

「今回実証に失敗したからといって、博士の説が否定されたわけじゃない。可能性は残されている!! いつの日か、僕は再調査に来よう! そして、今度こそ動かぬ証拠を掴み、バンボルグ説を証明して見せるのだ!!」

という、博士の後を継ぐ覚悟である。

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ということで、新説の証明に熱意を示す老学者と彼を慕う子供(青年)という、似たような構造の2作品を見てきた。この2作は立て続けに描かれており、何かそこにはF先生の気持ちがのっかっているに違いない。ではそれは何なのか?


ここからは完全なる私見。

まずF先生の、一つのことに人生を懸けている人への暖かい眼差しを感じる。信念を持つことによってその人は生きがいを強く抱く。そういう人生を肯定しているように思える。

もちろん本作などはビターな後味の作品で、いわゆるハッピーエンドではない。けれど人生、毎回ハッピーエンドでは終わらない。多くは挫折し、諦念し、それでもある者は再び立ち上がっていく。人生にはそういう紆余曲折がある。

さらに『ドキドキ土器』『ニューイヤー星調査行』では、後継者が自ら名乗りを上げる。それは結果を出せなかった師匠(先生)の強い志に感銘を受けたからだ。思いは伝播するのである。

この二作は、まるで兄弟のような作品なのである。


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