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ドラキュラ伯爵のモデルの生涯とは?「T・Pぼん」『ドラキュラの館』/ちょっぴりホラーな物語⑤

子供の頃から歴史が好きだったけれど、きちんと体系的に勉強したのは大学受験の時だった。

歴史と言えば、政治史・経済史・文化史程度の認識だったのだが、詳しく勉強すると、一口に歴史と言ってもテーマが多岐に渡っていることに気付かされる。

例えば「貨幣史」というテーマがある。ここでは、いかにして物々交換の世界から「お金」が出現し、その時々の為政者や経済システムによって、「通貨」が変遷していったかを追っていく。お金の観点から歴史を捉え直す作業とも言えるだろうか。

この他にも「農業史」「建築史」「スポーツの歴史」などもある。ともかくも、歴史の中には様々な切り口があって、そこから大いなる物事が学べることを、受験勉強を通じて知ったのであった。


思えば藤子F先生の「T・Pぼん」を心から楽しめるようになったのは、歴史を学問として勉強した後だったかもしれない。「T・Pぼん」で語られる歴史は、政治史だけではなく、あらゆる文化・分野に広がっている。

エジプトのピラミッドの成り立ちなどのメジャーテーマも拾いながら、マラソンの起源や、文字の発明など、取り扱われるテーマは多士済々。

その中で本稿で取り上げる作品では、とあるホラー・アイコンの歴史について学ぶお話となっている。「恐怖史」とでも呼ぶべきだろうか。

ともあれ、何事にも過去(歴史)があるのだと思わせてくれる作品なのである。



「T・Pぼん」『ドラキュラの館』
「コミックトム」1981年5月号/大全集2巻

本作のテーマは「ドラキュラの起源」である。

ドラキュラと言えば、藤子不二雄的にはA先生の「怪物くん」のドラキュラとなるが、F作品である「T・Pぼん」で同じドラキュラが取り上げられたことは偶然ではないと考えている。

本作が発表となった1981年の前年、1980年9月に「怪物くん」がアニメ化され、大変な人気となっていたのだ。この当時は、藤子不二雄の二人で全ての作品を合作していたことになっていたので、「T・Pぼん」の題材として、敢えてドラキュラを採用したのではないだろうか。(注)

注)この説は通説ではなく、個人的な思いつきなので、流布にはご注意下さい・・。


「吸血鬼ドラキュラ」の作者はブラム・ストーカーという人物で、アイルランドのダブリンに生まれ、その後ロンドンを拠点に色々な活動していた方である。作家活動では、ロマンス小説を得意をしていたとのことだが、なぜかその中で、血に飢えたアンチ・ロマンス小説を書き上げてしまったようである。

「吸血鬼ドラキュラ」は、書簡体小説と呼ばれる形式で、複数の語り手による手紙や日記、新聞記事という形で展開されるゴシックホラーである。1897年に発表された。

もともとヨーロッパ社会において「吸血鬼」の存在や伝説は数多語られており、当時でも珍しいものではなかったようだが、本作で描かれたドラキュラ伯爵というキャラクターは、画期的だったとされる。

舞台化や映画化もされ、ドラキュラはホラー作品の定番となっていく。やがて、ベラ・ルゴシのような「ドラキュラ俳優」も誕生している。ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」が、いかに画期的で普遍的な恐怖を描いていたことがわかる。

ストーカーの死後、本作の執筆のために書かれた膨大なメモの存在が明らかとなり、特にルーマニアのトランシルバニアの郷土史を調べ上げていることがわかった。これにより、ドラキュラのモデルとして、トランシルバニアに生まれた串刺し公と呼ばれる猟奇的な国王・ヴラド公の名前が浮上する。


最新研究によれば、ドラキュラのモデルが誰かというのは決まった通説はないとのことだが、本作では「串刺し公」がモデルであったという前提で描かれている。

もっとも、本作で重きを置いているのは、ドラキュラのモデルが誰だったかではなく、モデルとされる串刺し公がいかに凶悪であったかである。歴史上において、人を虐殺することを躊躇わない為政者がいたことをあぶり出すのが、本作の真の狙いであろう。


また、本作では常日頃のT・P活動でのうっ憤を晴らす内容となっている。

T・Pは、「大勢の中からたった一人を救い出す」使命を帯びている。これは、別の角度から見れば、「一人以外の人々を見捨てる」という非常にストレスの溜まるやりきれない使命を負っているとも言える。

本作ではその負荷に耐えきれなくなったぼんが、暴走し、重大な過去改変事件を引き起こすことになる。歴史の破壊を試みたぼんが、その歴史からどのような処遇に遭わされてしまうのか。

その点において、非常に見所のあるエピソードとなっている。


それでは作品の中身を検証していこう。

まず本作は、ぼんが正隊員になり、安川ユミ子を助手にした「T・Pぼん」の第二部の作品となる。

夜中にドラキュラの映画を観たばかりに、T・P本部からのタイムシーバーの着信音にビビるぼん。今回の指令は一人の男を救うということだが、「血なまぐさい嫌~な事件だが、よろしくやってくれ」と気の滅入る予告をされる。

ユミ子を迎えに行くと、彼女もドラキュラ映画を見ていたらしく、ぼんを見てキャアと高らかに叫んでしまう。そんなユミ子にぼんは言う。「今度の仕事に比べればあんなの子供だまし」だと。

ぼんはユミ子の家に行く前に、あらかじめ事前学習で、今回の事件の背景を調べていたのである。


ぼんの口から、今回の任務の全貌が明かされる。

向かう先は1467年のワラキア。一人の男を串刺しの刑から救い出すという任務である。

ワラキアとは、ルーマニア南部にかつてあった公国のこと。ワラキアにはヴラド公という国王がおり、1458年にドナウ川で溺死するまでに、串刺しの刑を乱発して15万人も殺したのだという。

その中からたった一人を救うという、いつもながらに救出率の低い残酷な任務なのであった。


ここで先に本作のネタバラシをしてしまうと、最初にぼんが語ったヴラド公のエピソードには、歴史的な事実に反する「嘘」が含まれている。

嘘を含めた理由は、本作後半で、ぼんが歴史を改変してしまうからだ。あらかじめ嘘の歴史を語っておき、ぼんが歴史を変えて、本当の歴史に整うという構成を本作はとっているのである。


ここで、ヴラド公に関する通説を紹介しておこう。

ヴラド公(正式名:ヴラド三世)は、一説には、生涯で8万人を串刺しにしたとも言われている。あまりに串刺し刑を頻発したので、ヴラド・ツェペシュ(=串刺しにする者/串刺し公)と呼ばれていたという。

また、ドラキュラ公(ドラクル公)とも通称されているが、これはドラゴンの息子という意味になる。父親(ヴラド二世)がドラゴ公と呼ばれていたので、その名が付いたようだ。

ヴラド公は1431年に、ルーマニア中部トランシルバニア地方で生まれ、没年は1576年。ワラキア国王としての在位は1448年、1456~62年、1476~77年と長く、二度も復位を果たしている。

オスマン帝国との戦いに明け暮れた生涯で、途中帝国に屈してハンガリーで12年間も幽閉生活を余儀なくされている。最期もオスマン帝国との戦いで戦死を遂げている。

二度の復位という事実から、残虐な力を行使して恐怖政治を敷いていたという人物像とは別の側面も感じられる。ただし、本作では完全なる暴君として描かれている。


・・・と、ここまでが一般的な通説。本作では以下の点で、「嘘」の事実を用いて、ぼんにヴラド公の説明をさせている。

・串刺し刑で殺した人数15万人 (←8万人)
・1485年、ドナウ川で溺死 (←1477年に戦死)

ぼんが歴史の流れに介入して、その結果、ヴラド公が早死にして、串刺し刑で死ぬ人数を減らすことになったというのが、本作の構成なのである。


全体像を語ってしまったので、以下のストーリーはざっと見ていく。

串刺しの刑という、いかにも極悪非道な処罰を乱発したヴラド公。ぼんたちが着いた夜もまた、とある4人家族の内3人を串刺しにして、城内に高く高く掲げている。

一昨日、近くの村の住民を200人ほど刺したばかりで杭が足りなくなり、家族のもう一人である息子を串刺しにできなかったのだという。だが、明日には削りたての杭で串刺しにするのだと、ヴラドは笑う。

ぼんたちが救出する男性とは、この一日生き伸びた息子ということになる。

串刺しにする目的は、見た目の非道さもさることながら、実質的に死ぬ前に激しい苦痛を与えようとすることにある。ヴラド公の病的な残虐性をまずは読者に叩き込む。「T・Pぼん」では、こうした非道な歴史的事実から決して目を逸らさない


任務はうまく進み、礼拝堂に勤める僧侶の協力もあって、無事男性を城から逃がすことに成功する。しかし、あっと言う間に解決かと思いきや、予想外な出来事が発生してしまう。

ぼんが元の世界に戻った翌日。友人たちが昨晩のドラキュラ映画の話題をしている。そこで物知りの柳沢から、ドラキュラにはモデルになった人物がいると聞かされる。その名はヴラド公。

ヴラド公はドラクル(=竜の子/悪魔の子)と呼ばれていて、「吸血鬼ドラキュラ」の作者ブラム・ストーカーが、ドラクルと吸血鬼伝説を結び付けて小説化したのだと柳沢は説明する。

柳沢の解説通りならば、昨晩ぼんが向かったのは1476年だったので、その後もヴラド公は1485年まで生き続け、さらに何万人と殺していたことになる。


ぼんはユミ子の家に行き、ヴラド公とドラキュラについて伝聞する。ユミ子は何万人の内一人しか救えなかったことを残念がるが、ぼんは「一人でも助けたことで満足しなくちゃ」と語る。

ぼんにしては珍しく大人な態度を示しているわけだが、これはもちろん、事態が反転する時のための前振りのようなもの。

ぼんは、よせば良いのに、昨晩の続きをタイムテレビで見ることにする。ドラキュラが悔しがる姿を覗いてみたくなったのだ。

そこで思ってもみない後日談が発生していることを知る。男を逃がした僧侶が次なるターゲットとなり、ヴラド公によって串刺し刑に処されることになったのだ。

一人助けても、代わりに別の一人が殺されては意味がない。ぼんは本部へと緊急連絡をする。本部もこの情報を探知しており、事前調査の不備が原因であったという。

ぼんは再救助に向かう旨を告げると、それは駄目だと一蹴される。同一時点への介入は歴史を大きく変動させる危険があるからだという。本部から、T・Pの限界について説明がなされる。

「T・Pは神ではない。できるだけのことをする、それで満足するのだ。T・Pとはその程度のものなんだよ」

あまりに厳しい発言だ。T・Pに歴史を変える力があったとしても、それをむやみやたらに行使してはならないという諭しである。


本部からの連絡はそこで切れる。しかし、これで納得できるほど、ぼんは人間ができ上がってはいない。しばらくして、「ちょっと行ってくる」とぼんは立ち上がる。

航時法(藤子世界のタイムマシン利用に関する法律)違反は百も承知で、僧侶を救出に行くというのである。ユミ子も強引にぼんに帯同する。ぼんは「君もT・Pには向いていないね」と話を向けると、

「これを我慢できるようじゃ、人間とは言えないわよ」

と反論する。人間ができていないのではなく、人間ができているからこそ、向かうというのである。


向かったは良いものの、僧侶を助け出すアイディアはない。ぼんはユミ子を待たせて、単独で、ショックガン片手に城に乗り込む作戦を決行する。作戦とも呼べない、強硬策である。

殴りこみをかけたぼんだったが、多勢に無勢でヴラド公に捕まってしまう。そしてちょうど僧侶を刺すために削り出した杭を使って、ぼんを串刺しにすることに。

その頃、ぼんを心配するユミ子は、圧縮学習で覚えた操縦法を使って、タイムボートでぼんの消息を追う。間一髪ぼんが串刺しとなる直前に「タイムロック」をかけて、時間を止めて救出する。

ユミ子はまだ助手の立場だが、既に様々な歴史介入の技を吸収している優秀な女性である。ワラキア地方の前後数年間の記録を調べて、8日後にブカレストにトルコ軍が到着する事実を見つけ出す。

これを早めることで、ヴラド公の関心をぼんから、トルコ軍へと向けることに成功する。ぼんの命は救われたが、歴史は大きな変動を余儀なくされてしまう。


本部の人間(ゲイラ)は、ぼんとユミ子に対して、「君たちの処分は本部で判定する」と言い捨てて去って行く。

実際にどのように歴史が変わってしまったのか。ぼんは確認のため柳沢の家へと向かう。ドラキュラの本を開くと、ヴラド公は1476年にブカレストでトルコ軍との戦闘中に死亡となっている。ユミ子が8日早めた戦争で死んでしまったのだ。

9年早く死んだことで、彼が串刺しにした人数は約10万と5万にも減っている。歴史は確かに、大きく変更してしまっている。


その夜。ゲイラが処分を伝えにぼんの部屋へとやってくる。なんと、歴史の復元力が奇跡的に働いて、ぼんたちの起こした事件の影響は現代までにほとんど消えて、ルーマニアの人口が12人増えただけで済んだらしい。

結果として5万人の人命を救ったことになるので、ぼんたちの処分は取りやめとなったという。

「二度とやらないように、T・Pの人類史に負っている責任を忘れないように」と言づけるゲイラだが、その表情は明るい。彼もまた、人間ができている人物なのである。


ドラキュラの起源(モデル)を探るテーマで描かれた本作だが、読み終えてみると、残忍な為政者と対比する形で、T・Pの心のバランスを保つのが難しいことだと語っている話であることに気がつく。

T・Pは歴史に介入する力を持つ人々だが、その力を全力で行使すると、歴史は無秩序に破壊されてしまう。つまり、備わっている力を、常に自制して使う必要があるのである。

一方でヴラド公は、絶対的な国王という権力者にあって、その権力を力いっぱい行使して、何万人もの人命を奪い去ってしまう。権力に溺れた男といって良い。

ぼんは、自らの信念のもとに、歴史介入の力を使ってしまう。それは人間性があるからこその行動であったが、それを無闇に繰り返してはならないとも、本作では語られている。

力を使い続けることで、ぼんとヴラド公の区別がつかなくなってしまう恐れがあるということなのだろう。

「大いなる力には、大いなる責任が伴う」(注)という紀元前から語られているテーマが、本作には潜んでいるのである。

(注:スパイダーマンで有名となった格言だが、元ネタはずっと古いものである)




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