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ああ僕はどうして 大人になるんだろう

「ドラえもん のび太の宇宙小戦争」が公開されたのは10歳の時だった。

僕はこの映画の主題歌のタイトルのように、「少年期」真っただ中だった。

この頃何をしていたとか、どんなことを考えていたのか、全く思い出せないが、毎年「ドラえもん」の映画の公開が近づくと、心がざわめいたことだけは、体が覚えている。


来年の「のび太の宇宙小戦争」のリメイク作公開を記念して、期間限定で旧作の「のび太の宇宙小戦争」が上映されると聞いて、居ても立ってもいられなくなり、仕事を急きょ休んで映画館に駆け込んだ

実に、スクリーンで見るのは、少年期真っただ中の頃から数えて37年ぶりとなる。いまや「少年期」「青年期」「壮年期」はおろか、「中年期」に突入している。時の経つのが早すぎる。


再見した感想は、ズバリ傑作の一言。

冒頭の戦闘シーンは、小さい子供では泣いてしまうのではないかという不穏な始まり方である。この時点でパピを乗せたロケットは、大きく見える。

続けて地球パートとなり、のび太がジャイアンを怒らせる。ジャイアンの叫んだ顔がMGMのロゴを模した形となって、オープニングソングが流れ始める。

オープニングテーマのお馴染みの曲に乗せて、様々な映画のワンシーンがパロディされていく。物語終盤で登場する「キングコング」のシーンも映る。そして「E.T.」の月を横切るシーンで曲は終わる。異文化の生物との交流を描く本作のテーマをここではっきりと明示している。


本作のテーマは「小さくなった世界」「異文化コミュニケーション」「勇気」と様々含まれている。しかし今回見直してみて、本作は「永遠に続くものはない」という、人生そのものを描き出す意欲作だったことに気がつかされた。

最初の方で、しずちゃんたちと映画を撮影して、ロボッターを付けたウサギのぬいぐるみが行方不明となってしまう。ドラえもんは「電池が切れるはずなので、700メートルしか動けないはずだ」と語る。ドラえもんの道具には、時間的限りがあるという設定を強く印象付ける。

永遠に効果の続くものはない。その後も「かたづけラッカー」や「チーターローション」の効き目が切れてピンチに陥るシーンが連続する。

もちろんこうした効き目の切れるシーンは、最終的に「スモールライト」の効果が切れて、大きくなるというどんでん返しの伏線となるものだ。「そんなのあり?」とツッコまれないように、映画を観ていく中で自然と「永遠はない」という刷り込みが行われているのである。


「永遠ではない」と言えば、パピがピシアに捕らえられ、死刑を言い渡された時に、「ギルモア将軍の悪政は長くは続かない」と演説する。

また、劇中挿入歌で「少年期」が流れるが、この歌詞もまた、いつかは少年期に終わりがくるという、切ないメッセージが込められている。


誰が見てもすっかり大人になった僕は、少年期真っただ中にいる息子と、お風呂なんかで「ドラえもん」の話をする。僕の血を受け継ぎ、大全集の隅から隅まで読み尽くした彼は、何巻のどんな話でどんなことが起こる、とほぼ全てを暗記している。

けれど、きっと彼もまた30年後には、そんなことはすっかり忘れて、全く違うことに夢中になっているのだろう。ひょっとしたら、そのまた息子が生まれて、ドラえもんを仕込んでいるかもしれない。


一人一人にとっては、永遠なんてものは無いことは良くわかっている。けれど、人から人へと思いや記憶が受け継がれていく。刹那が受け継がれることで、永遠となっていくものなのだ。

そんな人生の営みに思いを巡らせつつ、来年春の新作公開を息子と待ち望みたいと思う。もちろん、平日の真昼間にお父さんが一人でドラえもんを見に行ったことは、内緒である

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