人生は、終わりがあるから張り合いがあるのだ!『自殺集団』/モジャ公を語らう④

知る人ぞ知る藤子先生の大傑作「モジャ公」。先生にとっても思い入れのある作品で、連載から20年経った1989年にも加筆修正をするほどである。

「モジャ公」の作品概要を簡単に説明すると・・・

主人公の男の子の名は天野空夫、見た目はのび太に近いが、のび太よりだいぶ無鉄砲な性格で、行動力のあるタイプ。
空夫を誘って宇宙に「家出」する仲間は、謎の宇宙生物モジャ公(モジャラ)と、謎のロボット・ドンモ
3人は何をやっても叱られて世の中が嫌になっているという共通点があり、意気投合して、ここではないどこか(=宇宙)へと冒険の旅に出る。

「週刊ぼくらマガジン」という雑誌の創刊号から約10ヵ月に渡って連載された作品で、様々な宇宙の星に行きついては、毎回命を落としそうになるという、非常に怖い作品となっている。

もちろん絵柄はいつもF作品ののんびりしたテイストなので、恐怖が迫るシチュエーションとのギャップが、恐怖や不気味さを一層引き立てる仕組みとなっている。

これまでに「モジャ公」の成り立ちや、いくつかのお話を解説しているので、是非こちらも併せてお読みください。


週刊連載を活かして、1話完結型ではない、何話かまとめた章立ての構成となっている。それぞれの章はかなりのボリュームで、読み応えという意味では、藤子先生の作品歴を通じてもあまり類のない作品となっている。

下記に章立てをまとめておく。(順番は初出順)

①『宇宙へ家出』1969年創刊号、2号
②『地球人はこわいよ』1969年3号
③『うまそうな三人』1969年4、5号
④『さよなら411ボル』1970年1号
⑤『恐竜の星』1970年2、3・4号
⑥『アステロイド・ラリー』1970年5~8号
⑦『ナイナイ星のかたきうち』1970年9~13号
⑧『自殺集団』1970年14~19号
⑨『天国よいとこ』1970年20~25号
⑩『地球最後の日』1970年26~31号
⑪『不死身のダンボコ』1970年32~35号

雑誌初出順は以上だが、少しややこしいことに、単行本収録ごとに作品が改稿されたり、収録順が異なっているのが、「モジャ公」の最大の特長となっている。

特に最終回の扱いが単行本ごとに変わっているので、一つの単行本だけ読んでいても全貌が見えてこない。

ただ、藤子・F・不二雄大全集では、改稿前のお話も収録されていて、ここでようやく僕の中でも連載順については理解できたところもある。

また稿を改めて、最終回の変遷についてはまとめたいと思う。


これまで藤子Fノートでは、ざっくりではあるが、1話目から7話目までのお話を記事化させてきた。本稿では8話目の『自殺集団』を取り上げる。

5週分・全76ページに及ぶ大作であり、最後の一コマまで緊張感が続くどえらい作品となっているので、その緊張感だけでもうまく伝えられればと思う。


『自殺者集団』「週刊ぼくらマガジン」1970年14、15・16、17~19号

次はどこの星へ行こうかとワイワイするドンモとモジャ公だが、一人冷静に空夫はこれまでの旅を振り返る。狼人に襲われ、恐竜に食われ、アステロイドラリーやらかたき討ちやら、命がいくつあっても足りない災難続きを思い返し、「もう生きるの死ぬのって騒ぎはごめんだよ」と嘆く。

そんな空夫が偶然パンチカードで見つけた「誰も死なない星」と言われるジュゲム三番星のフェニックスを次の行先として提案する。細胞の異常再生力を持つ人々がおり、過去1万年の間死人が一人もいないのだという。

そんな話し合いの矢先、宇宙空間で死んだように流されている宇宙人を発見する。救ってあげると、なんやかやがあって自殺をしようとしていたという。

この宇宙人、見た目はオットセイ型で、案の定、後ほど名前がオットーであることがわかる。「ドラえもん」の『未知とのそうぐう機』で、のび太に呼ばれてしまった宇宙人・ハルカ星のハルバルの親戚っぽい風貌である。

オットーは「自殺屋」を自称する男で、自殺のフリをして周囲に世話を焼いてもらったりして生計を立てているらしい。空夫たちは、お人好しの性格を見抜かれて、まんまとオットーの作戦にしてやられたわけである。

そしてこのオットーが、本作の前半を引っ張っていくことになる。


フェニックスに到着すると、フェニックス人たちには全く生気がない。さらにお金もないので食べ物にもありつけない。そこでオットーの手口を真似して、自殺をするフリをしてフェニックス人の目を引こうとするが、全く見向きもされない。

するとオットーが現われ、自殺屋をやりたいのなら自分をマネージャーにしろと言い出す。そして儲けさせてやると言って、「スポンサー探し」に向かう。・・・自殺屋のスポンサーとはどういうことだろうか??


そんな時に、モジャ公が予知能力を働かせる。モジャ公は時々未来を見ることができるようになるという設定があり、能力を発揮するのはこれで二回目。

一度目は『恐竜の星』の時で、モジャ公がと空夫が恐竜に食べられてしまう未来を見てしまっている。一度もハズたことがないという的中率だそうだが、確かにこの時は予言通り、恐竜に食べられていた。

今回モジャ公が見えた未来もとんでもなく不吉なもの。それは、3人全員が自殺をしている姿、空夫が腹切り、ドンモが首吊り、モジャ公がギロチン台の餌食となる様子であった。

モジャ公は僕が観た場面は必ずあると「断言」する。「シナクテモイ」とドンモがツッコむのだが、果たして3人の運命はどうなるのだろうか?


そこへ大金と車を持ってオットーが帰ってくる。自殺をすると触れ回ったら、フェニックス人たちがお金を出してくれたのだという。そして今晩、自殺をしようと思った理由などを説明する記者会見を開くことになったと告げる。

モジャ公の予言が気に掛かり、星からの脱出を考えたが、目の前の大金に目が眩み、3人は星に残って「自殺屋」を続けることにする。

あとから思えば、ここがリターン可能ポイントだったのだが、欲に溺れるとろくなことにならないものである・・。


オットーが準備していたのは、単なる記者会見ではなかった。何と大勢の前で3人が自殺するショーを計画していたのである。その名も「自殺フェスティバル」。

刷り上がったポスターを見ると、モジャ公が予言したように、空夫が切腹しようとしているし、ドンモは首を吊り、モジャ公は体が真っ二つになっている。しかも喜んで自殺しそうな表情を浮かべて・・。

なかなか悪ふざけしたデザインで、空夫たちを「先生」扱いし、「自殺集団」というネーミングで括られている。そして開催日は4月4日となっていて、おそらく仏滅に違いない(予想)。

当然死にたくない空夫たちはオットーに猛抗議するが、自殺屋がいちいち死んでたら商売にならないと返す。お金を取れるだけ取ったら、スタコラとフェニックスを後にしようという魂胆なのである。

オットーは、自分はプロであり、悪いようにしないから黙って任せろと言ってくる。彼の言葉は読者の誰も信じられないが、お人好しの空夫たちは渋々ながらオットーに従ってしまうのである。


さて、ここからは自殺フェスティバルまであと○○○時間というタイムリミットが掲示され、一歩一歩身の危険が迫っていく展開となっていく。

フェニックス人たちは、少なくとも一万年以上生き続けていた結果、無気力に、死んだように生きているだけとなってしまっていた。つまり、生きていても「生」が感じられない日々だったのである。

ところが、目の前にこれから死ぬ自殺集団が登場し、逆に生きることを思い出すことになった。自殺フェスティバルのチケットが買えず、暴動が起こるほどで、これをフェニックス大統領は「フェニックス人は生き返った」と喜ぶのであった。


フェニックス星ではもっとも若い女性(1万歳)のパイポに、モジャ公が一目惚れをしてしまう案件も発生。彼女の発言を通じて、死ねない人々の思い悩みが理解できるようになる。

曰く「好きな時に死ねるのは素晴らしい」「昨日と変わらない今日が永遠に続くのはたまらない」など、示唆に富む(?)発言のオンパレード。

モジャ公はパイポが自分を褒めてくれるので、感化されてしまい、明日いよいよフェスティバルという時に、「早く明日になーれ」などと浮かれてしまう。


タイムリミットが迫る中、空夫とドンモは、狂ったモジャ公も強引に連れて脱出を試みるが、一足早くオットーが裏切ってロケットを使われてしまう。お金も全て持っていかれてしまい、完全にしてやられた次第。

このオットーは少し先のお話で再登場を果たすのだが、完全なる悪人に対して天罰は下るのか否かは、また別稿にて。


そしてオットーと入れ替わるように、強烈な新キャラクターが登場する。それが、見た目タコ型宇宙人で、世界的記録映画作家のタコペッティである。

タコペッティは、イタリアの強烈なドキュメンタリー監督のグァルティエロ・ヤコペッティをもじった人物。彼については、続けて次作にも登場するので、ヤコペッティの詳しい説明などは、次稿に譲りたいと思う。

ヤコペッティは、空夫たちが自殺するまでを記録したいと、こっそりと空夫たちを撮影しており、空夫たちは脱出の邪魔をされてしまう。ところが、この後、空夫たちを密着していく中で、同情心が芽生えてしまい、意外な行動を取ることになる・・。


いよいよ自殺ショー本番の時間となる。嫌がって泣き出す三人を見て、フェニックス人は「嬉しさのあまり気が変になったのでは」と解釈し、脳波を操る機械「ブレコン」(=ブレインコントローラー?)で、自殺ほう助をしようとする。これでは逃れようがない。

会場となるジュゲム・スタジアムでは、失敗があっては大変ということで、空夫たちのロボットを用意してリハーサルをする。目の前で自分たちそっくりのロボットが、にこやかに血しぶきを上げる。

空夫たちの恐怖心を煽るための描写だが、それとは別に、モジャ公が見た自殺の未来予知は、このロボットたちの自殺リハーサルの模様だったというシーンなのである。


ブレコンで勝手に動かされて、本当に自殺をする寸前まで追い込まれるが、ここでタコペッティが、戦争映画の予告編をスタジアム内に映し出し、観客の興味を引き付ける。

映画は『宇宙㊙地帯』というタイトルの戦争ドキュメンタリーで、おそらくは地球上の戦争を追った内容と思われる。

タコペッティは「一つの星にいくつもの国があり、同じ人間同士が血を流しっている恐ろしい星」を記録した映画だと解説し、聴衆の耳目を集めて、戦争が終わらない内に野蛮な星へ行くべきだとけしかけて、自殺フェスティバルを終了させてしまう。

これで事なきを得た空夫たち。同情心を抱いてしまったことに意外だと思うタコペッティ。ただし、映画を撮り損なった代償は払ってもらうと忠告し、タコペッティと共に、次の星へと向かうことになるのである。


自殺に追い込まれそうになる空夫・ドンモ・モジャ公の高まる恐怖心。ずっと死ねないまま無気力に生きるフェニックス人たちが、死を目の前にして熱狂する様子。オットーとタコペッティという強烈なキャラクター。

類稀なるアイディアが詰め込まれた、非常にテンションの高い一作となっている。

タコペッティについては、まだまきちんと解説したい部分が残っているが、次回でも引き続き中心人物として登場するので、そこで大いに語ることとしたい。




この記事が参加している募集

コンテンツ会議

マンガ感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?