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漂流生活に憧れて『ロビンソン・Qルーソー』/藤子Fのロビンソン漂流記①

藤子先生は幼少期に読んでいた冒険小説に大きく影響を受けていたとされる。直接的に、好きな物語をそのまま自分の作品に取り入れる「オマージュ作」もかなりの数を残している。

これまで藤子Fノートでは、藤子先生は好きだったと公言していた「西遊記」「ガリバー旅行記」などをモチーフとした作品をまとめた紹介記事を書いてきた。(気になる方は「目次」から飛んでください!)

本稿から数回に渡って、藤子先生が大きく影響を受けたとされる「ロビンソン・クルーソー」、特に「ロビンソン漂流記」をテーマとした作品を紹介していきたい


まず第一弾として、典型的な「ロビンソン・クルーソー」パロディとなる「オバQ」作品を見ていく。

「オバケのQ太郎」『ロビンソン・Qルーソー』
「小学五年生」1966年8月号/大全集10巻

まずは「ロビンソン・クルーソー」とはどんな物語か、一応確認しておこう。

作者は17~18世紀に活躍したイギリスの文筆家・ダニエル・デフォー。本作は1719年、デフォーが59歳の時の初の小説で、大ヒットを飛ばしてすぐに2冊の続編を発表した。「ロビンソン・クルーソー」と言えば、3部作のシリーズ作品を指し、一作目を特に「ロビンソン漂流記」と呼ぶ

この頃は、大航海時代の最終盤を迎えており、世界中のほとんどが「発見」されている。しかし、それでも未踏の無人島は多く残されていたし、航海中に遭難・漂流するということも珍しくなかった。

「ロビンソン漂流記」は、そうした時代のリアリティを取り込んでおり、それが読者の心を掴んだのかも知れない。


たった一人漂着した無人島で、孤独と戦いながら、知恵と勇気と逞しい生命力で27年間という途方もない時間を過ごし、帰国を果たす。食料の調達や調理、衣類や居住地の確保などリアリティのある描写が、ついつい子供ながらに引き込まれてしまう作品である。

ちなみに、ロビンソンが途中で命を救って、苦楽を共にすることとなる召使いのフライデーという人物が出てくるので、ずっと単身で暮らしていたわけではない。一応補足まで。。


こうした前段を踏まえて、『ロビンソン・Qルーソー』をざっくりと見ていきたい。

本作は、正ちゃんとドロンパが、「ロビンソン・クルーソー」の話題をしていて、フライデイ(フライデー)という単語だけを聞き取ったQちゃんが、食べ物のフライだと勘違いする所から始まる。

ドロンパはオバQには「ロビンソン・クルーソー」なんてわからないとバカにしたので、Qちゃんは思わず知っていると答えるのだが、

「すごく高いドビンを壊して大ゾンして頭がクルイソーになった人の話だろ」

と、単なるダジャレな受け答えであった。


正ちゃんはQちゃんに「ロビンソン漂流記」のあらすじを伝えると、すっかり無人島生活に憧れを抱く。そこで、今日から二人で無人島に漂流したつもりで暮らそうと、ロビンソンごっこを始めることに。なお、ドロンパはいつものようにQ太郎と喧嘩を始めて、帰ってしまう。

自分たちの家を無人島に見立てる二人。まずは食べ物を探そうということになる。ママにご飯だと言われるが、無人島の漂流中にママのご飯を食べるわけにはいかないと、ビスケットのかけらなどを拾うのだが、結局ママのご飯を食べてから無人島の漂流の続きをすることに。。


食べ物の次は寝る場所。ベッドで寝ては無人島生活にならないということで、部屋に無造作に転がって寝るQちゃん。朝起きると、正ちゃんがパンの木を作ったり、カンズメを生やしたりしていて、無人島ごっこはさらに続く。

食べ物・寝る場所ときて、次は衣服。きれいなままでは漂流者に見えないということで、Qちゃんの服を破ったり(!)、絵具で汚したりする。やりすぎに怒ったQちゃんが正ちゃんにし返して、結果的に二人とも服がボロボロになる。


二人は島の探検ということで、ボロボロの服のまま家を出る(ボロ着を見て近所に噂される)。弓とヤリなんかを作ったりしていると、突然町中でライオンが襲い掛かってくる。藤子作品では、「町中にライオン」という展開は、何度も見かける定番パターンである。

すったもんだでライオンを倒すと、薄々分かっていたが、それはドロンパが化けていたライオンだった。昨日は仲違いしたが、今日は「漂流の仲間に入れてくれ」とドロンパ。結局ドロンパもロビンソンに憧れているようだ。

いつの間にかどこかの家の庭にたどり着いる3人。池に鯉が泳いでいるが、無人島ごっこにおいて、「池」は「海」で、「鯉」は「食料」である。勝手に庭の木を折って、火を起こしたりする。

すると、「人の家の庭で何やっているんだ」と木佐君がクレームを付けてくる。ここは木佐の庭なのであった。ロビンソンごっこをしていると聞いて、木佐も「そりゃ、面白い」と賛同し、場所を提供する代わりにロビンソン役を譲ることに。。


こう見ていくと、みんなロビンソンになりたがっている点が、少し興味深い。大人になった僕らからすれば、無人島に漂流なんてしたくはないのだが、子供たちからすると、自力で食材集めて、寝床を作って、島を冒険して・・という一連の「漂流」作業は憧れの対象だということだ。

なお個人的に思うのは、「ロビンソン漂流記」を読んだかどうかで、漂流への憧れ具合が変わるということだ。子供の頃は、想像力発達に寄与してくれる「物語」がつくづく大事だと思わせてくれる。


ここで、一点追加情報。オバQで「漂流」を扱った作品は、本作の前に既に描かれている。それが、ズバリ『Q太郎漂流記』である。

『Q太郎漂流記』「小学二年生」1965年7月号/大全集7巻

こちらは正ちゃんが実際にイカダを作って南の島へと探検に向かう。川を下って海に出る。正ちゃんは思わず「海は広いな大きいな」と歌い出すが、Qちゃんはその続きを「月は上るし、船沈む」と縁起でもない歌詞に変えて歌ってしまう。(実際は日は沈む)

船の上で服がびしょぬれとなってしまい、Qちゃんが乾かそうと言って、船体を燃やしてしまう。船が無くなってしまったので、真っ暗闇の中、Qちゃんが正ちゃんをおぶって空を飛ぶのだが、力尽きて落ちてしまう。

するとそこは南の島なのか、獣たちの鳴き声が聞こえてくる。そして現れたのはライオン。藤子作品では、本当に何かとライオンが主人公たちに襲い掛かってくる。

Qちゃんが飛び疲れて、ライオンの前で眠ってしまうのだが、凄まじいいびきで、ライオンも逃げ出してしまう。いびきで獣が逃げ出すという展開も、パーマンなどで見かけるありがちなシーンである。

で、翌朝。そこは動物園だったというオチ。こういう終わり方も、藤子作品におけるザ・定番と化している。


さて、こんな感じで、ロビンソン漂流記に関連する作品は、たーくさんあるので、何回かの記事に分けてゆっくり紹介していきたい。



「オバQ」考察充実してきています。


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