見出し画像

大原家、物件探しのトホホな一日『百坪一万円』/夢のマイホーム①

ローンを組んで持ち家を購入するのか、借家住まいを続けるのか。先祖代々の土地や建物を持っている人を除けば、どのような終の棲家にするのかは、人生最大級の課題と言える。

また住まいを買うにしても、一軒家なのかマンションなのか、都心(職場)の近くにするのか郊外に離れるのかも、多いに迷うポイントとなる。

当然ながら職場から離れた場所に住まいを求めれば、通勤に時間がかかるわけだが、その分土地代や購入費も下がっていく。

しかし多少都心から離れた地域であっても、生活環境が良かったり、子供が育てやすい自治体だったりすると、土地代も簡単には安くはならない。便利さと土地の値段はうまいこと比例しているのである。


ある時期(バブル崩壊頃)まで、一軒家の購入が人生最大の目標となる時代があった。その頃のライフスタイルを男の目線からだけで語ると、就職して、奥さんを見つけて、子供を数人持って、そしてローンを組んで家を買う。

毎月の支払に追われつつ、職場では年功序列の出世をして、子供の学費を工面しながらも、なんとかローンを定年までに払い終わる。そうしてようやく本当の自分の家を手に入れて、それからの老後を僅かな蓄えと年金で暮らしていくのである。


藤子漫画の全盛期は、戦後の経済成長期と重なっており、登場人物(もしくはその親)は、物価の急上昇に四苦八苦しながらも、夢のマイホームを求めて一生懸命に仕事をしている。

時代のせいではあるが、都心近くのマンションではなく、電車通勤を踏まえた郊外での一軒家の購入を目指すパターンが多いようである。(実際の藤子先生もそうだった)

そこで今回から数回に渡って、「夢のマイホーム」を追い求める藤子キャラたちを見ていくことにしたい。数本の作品を検証することで、藤子作品全盛期(=昭和時代)の、夢のマイホーム像が理解できるだろう。

まず第一弾として、おそらく藤子作品では最も古くに描かれた「夢のマイホーム」エピソードをご紹介したい。


「オバケのQ太郎」『百坪一万円』
「週刊少年サンデー」1966年19号/大全集4巻

本作が描かれた1966年は、東京オリンピックが終わり、大阪万博を控えた、まさしく高度成長期のど真ん中となる年である。高度成長期には、GDP年率平均10%の成長を遂げて給与が増えたわけだが、そのペース以上に物価も急上昇していた。

戦後、男が働きに出て、女が家庭を守り、子供は2~3人程度を育てる。そんな一般家庭のロールモデルが示され、その延長線上にマイホームの購入があった。

けれど、物価の上昇はすぐに土地代に跳ね返り、多少頑張っても一件家が手に入らない状況となる。所得の上昇が土地代の高騰に付いていけない。それが、この時代のマイホームあるあるだったのだ。


本作の大原家も、御多分に漏れず、持ち家が欲しいがなかなか手が届かないという、庶民代表のような家庭である。そんな大原家の、マイホーム用の土地を探し求めるとある一日に密着する!


物価高騰の波は大原家を直撃し、家賃が値上げとなってしまい、正太・伸一・Qちゃんはそれぞれお小遣いが月額100円の減、パパも500円削られることになる。

「借家住まいではなく、自分の家が欲しい」とパパは愚痴るが、土地の値上がりがあまりに急で、多少の貯金ではマイホーム購入資金を賄えなくなっており、とても現実的な話にはならない。

すると、新聞広告に、庭付き3部屋の物件が20万円という金額で売りに出ている。これなら大原家の貯蓄でも何とかなる。さっそく正ちゃんとQちゃんを連れて、物件を見に行くことにする。

ママとしてはインチキに引っ掛かることが心配だが、パパは「そんなうっかり者に見えるか」と言いながら、うっかりズボンを履かずに出掛けようとする。

何やら一波乱ありそうな予感がプンプンだが、この後土地を巡るドタバタが繰り広げられることになり、ママの懸念が当たってしまうのであった・・。


さて、気になる物件は東京からはちょっと遠いようだが、駅から十分の立地で、周りには野球もできる広い空き地もあり、見晴らしは日本一だという。果たしてどんな拾い物なのか?

駅に着くと、この周辺は新規開発地域なのか、多くの不動産に声を掛けられ、中には強引に体を引っ張ってくる人たちもいる。インチキ不動産を警戒し、逃げ出す三人。


新聞広告に載っていた家は、農道のような舗装されていない道を進んだ先にある。最初は良い運動になるなどと余裕だったが、駅から十分とあったはずなのに、歩けども辿り着かず、「ちょっといい運動すぎるな」と正ちゃん。

結局一時間歩き、ようやく到着。現地の業者に「駅から十分など嘘だ」と抗議すると、「駅から十分(じゅうぶん)と読むのだ」と屁理屈をこねられる。

また、近くに町があると説明を受けるが、指さした先に建っていたのは、ビル群ではなく共同墓地。さらに、肝心の一戸建てはクシャミしただけで壊れてしまう、安いセットのような建物であった。全くの骨折り損で、また一時間掛けて駅まで戻る羽目となる。


さて、駅前で「買え!!」と不愛想に物件を勧めてくる不動産屋に出会う。よく見ると「悪不動産」と看板が出ており、全く信用できないが、三人は気付かずに物件案内を読ませてもらうと、徒歩30分ながらガス・水道完備で、一坪8,000円だという。

坪単価の把握こそが物件購入時には重要だが、一坪8,000円というのは、今の時代では考えられないほどに安い。都内のオフィスの月額賃料だとしても成立しない金額である。

坪単価の話題は、別の記事でもう少し詳細を記す予定だが、本作ではこの単価を聞いて、パパは「まあ、安い方だな」と感想を述べている点を押さえておきたい。


さて、悪不動産は物件まで車で送ってくれるという。これまた舗装されていない道を延々進んでようやく現地に到着。「徒歩三十分なんて嘘だ二時間はかかる」と指摘すると、「徒走三十分と書いてある。アベベ選手なら三十分で走る」と、こちらの業者も詐欺まがいの様子。

さらには、張りぼてのバスを走らせて「バスが通っている」と嘘をついたり、ガスや水道完備という触れ込みだったのに、仲間が隠れて水を流し込んだりしている。

Qちゃんの働きでインチキを見破ることができたが、帰りは車で送ってくれず、今度は二時間掛けて歩いて駅まで帰る羽目となる。


すっかり歩き疲れたパパは「真っすぐ帰ろう」と言い出すが、駅前の別の不動産屋が「売らないぞ、こんな安い土地、誰にも秘密だ」と逆アナウンスをしているところをQちゃんが着目する。逆に信用できるというのである。

すったもんだがあって、結局パパもこの話に乗ってしまい、一坪百円の土地を百坪(=一万円)で買ってしまう。

しかし、実際に土地を見に行くと、そこは急な崖になっていて、無理やりに「分じょう地」という看板が立てられている。ついにマンマと詐欺に騙されてしまう大原家なのであった。


お巡りさんの紹介できちんとした不動産に相談するが、この辺の土地なら坪2万円はするという。現在の価値で言えば破格の値段だが、この時代の大原家では太刀打ちできない金額である。

結局この日は一万円を丸損しただけで、「持ち家は当分お預けだ」とがっくりと肩を落として帰宅することになるのであった。


Qちゃんは一日を終えて、怒りが湧いてくる。

「土地なんて人間が作ったわけでもないのに、持ち主があるなんておかしいや」

社会主義の発想に近いが、土地関連で苦労している我々庶民からすると、至極まともな意見である。このような芯を食った発言を時々するのが、Qちゃんの素晴らしさなのだ。


オチについては、今回は割愛。Qちゃんの土地への執念を感じさせる終わり方となっている。

さて、藤子作品におけるマイホーム探しは、まだ始まったばかり。さらに時代を進めていく。次稿以降もお楽しみに。



この記事が参加している募集

コンテンツ会議

マンガ感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?