あの残酷な「モジャ公」の幼児版が存在する!/ちょっぴりマイナーな幼児向けF作品⑰

1954年に上京した藤子F先生は、様々な雑誌で執筆を続けていたが、1956年~60年頃は講談社系の雑誌をメインに作家活動を行っていた。

しかし、「週刊少年サンデー」の創刊号から連載が始まった「海の王子」(1959~)を皮切りに、徐々に小学館系の雑誌に移行していき、1963年以降は講談社から作品を発表することはかなり少なくなってしまった。

もちろん完全に途切れた訳ではなく、「ディズニーランド」という雑誌で「ベレーのしんちゃん」(1965-66)「てぶくろてっちゃん」(1966)などが発表されている。

そんな折、「週刊少年マガジン」の弟分雑誌として「週刊ぼくらマガジン」が創刊されるのだが、ここに藤子F先生にも連載の依頼が舞い込んだ。

この雑誌は1969年11月から1971年6月までという短命であったが、石ノ森章太郎の「仮面ライダー」や、梶原一騎の「タイガーマスク」や、赤塚不二夫の「天才バカボン」などが連載されており、非常に濃いテイストを持つ。

藤子F先生もその濃いラインナップの一角を担うにふさわしい、濃密なSF作品を連載することになる。それが「モジャ公」である。

「モジャ公」については、何本か記事にもしているが、週刊少年マガジンの「弟分」雑誌という想定読者からすれば、衝撃的な内容となっている。何しろ、連載期間中、ずっと主人公たちは生きる死ぬの大騒ぎに巻き込まれているし、残酷描写も厭わない作品だったからである。

そんなハイテンションの「モジャ公」に対して、講談社の編集者は何を思ったのか、「たのしい幼稚園」でその幼児版の連載を依頼する。客観的に見てヤケクソに見える依頼だが、藤子F先生は、それにどのように応えたのだろうか。

本稿では、知る人ぞ知る名作「モジャ公」の、おそらく誰も存在を知らない幼児版を見ていくことにしたい。


「モジャ公」「たのしい幼稚園」
1970年1月号~12月号(全13回)*増刊号含む

幼児向け「モジャ公」も、主な登場人物は本編と一緒。あまのそらお(地球人)とモジャラ(宇宙人)とドンモ(宇宙ロボット)である。

第一話目から何の説明もなく、3人は宇宙を旅しており、各話で色々なタイプの星を巡っていく構成となっている。家出したかどうかは描かれていないが、宇宙冒険という作品の骨子も本編と同じなのだ。

各話1~3ページの最小限のボリュームなので、それほど込み入った設定の星は出てこないし、幼児向けなので残酷描写や、人の生き死にに関わる内容も出てこない。

全体的に「ガリバー旅行記」のような不思議な国巡りという枠組みとしているように思われる。


それでは、各話のタイトルと中身をざっとまとめておこう。

『星のデパート』1970年1月号

記念すべきうちゅうまんが「モジャ公」第一話は、冒頭一コマ目からそらおが空っぽの缶詰を片手に、「食べ物がなくなっちゃった」と嘆いている。本体の「モジャ公」のテイストを少しだけ感じさせるオープニングである。

近くの星に立ち寄ってみるが、地表にいくつもの穴が開いているだけで、特に食べ物は見当たらない。お腹が空いて仕方がない面々だが、すぐに彼らのピンチは救われる。

そらおが「何か食べたいよう」と口にすると、地表の穴からぴょんと、お子さまライスが飛び出してきたのである。ジュースが飲みたいと言えばコーラのような飲み物が飛び出し、ケーキも出てくる。

頼めば食べ物だけでなく、おもちゃも出てくるので、そらおたちは「デパートみたいな星だね」と言って、3人で楽しく遊び倒すのであった。

お腹が減るという「恐怖」を少しだけ描くが、展開としては子供たちが大喜びの流れとオチになっていて、幼児向け「モジャ公」としては完璧な初回であるように思う。


『ねんどの星』1970年2月号

次の星も誰も住んでいない様子だが、地表が粘土でできていて、しかもそれは「生きている」という。そらおたちは粘土で人間を作ると、これが一人でに動き出し、町を建設し始める。

たった5コマのお話だが、かなり奥深い設定を持つ一本である。


『鳥にんげんの星』1970年3月号

続いて到着したのが、鳥みたいな人間が住んでいる星。ペリカンタイプの鳥人間に「うちに遊びに来ないか」と誘われるのだが、当然そらおたちは空を飛ぶことはできない。

ひとまずペリカン人の口の中に乗せてもらって空を飛ぶのだが、自分たちも自力で飛んでみたい。すると、ペリカン人が羽根を付けてくれ、3人は飛べるようになるのであった。

本作は3ページの分量ということもあり、この後ちょっとしたオチもあるが、本稿では割愛しておきたい。


『恐竜がでた』1970年4月号

次の星では恐竜がそらおたちに襲い掛かってくる。「モジャ公」と恐竜と言えば、『恐竜の星』という3人が血しぶきを上げながら恐竜に食われてしまうエピソードがあるが、本作もそれを一部トレースした展開となる。

恐竜に捕まったモジャラは口の中へと放り込まれる。血しぶきをあげるかと思いきや、モジャラは口の中から出てきて「虫歯を抜いて欲しかったんだよ」と一言。

すっかり恐竜と意気投合したモジャ公は、一緒に旅がしたいということで、無理やり恐竜をロケットに乗り込ませようとするのであった。


『たからの星』1970年4月増刊号

光り輝くお金が見つかる星だが、ここは大男の貯金箱だった、というオチ。そう、「ドラえもん」の『宝星』に登場するエピソードの先どりなのである。


『つるつるの星』1970年5月号

草が一本だけ生えているつるつるの星。・・・と思いきや、ここは巨大なツルッパゲ男の頭の上。前作の貯金箱の持ち主のような大男たちが住む星に到着していたのである。

お土産に巨大なお菓子をロケットに詰めてもらうのだが、居住スペースをお菓子に奪われてしまい、一生懸命に食べなくてはならなくなってしまう。


『あべこべの星』1970年6月号

「ドラえもん」にも『あべこべ惑星』が登場したが、ここの星はあべこべ加減が徹底している。

大人が赤ちゃんの格好してベビーカーに乗り、子供がダブダブのスーツ姿でそれを押す。「家に来て」が「家に来ないで」というあべこべのセリフとなるし、ご飯を食べる前には「ごちそうさま」と挨拶する。

火事が発生するがこの星では氷のように冷たく燃えるので、空夫たちは手掴みで火を捨ててしまう。すると星の人々から感謝されるのだが、あべこべなので「悪い人だ」「バカな人だ」と、あまり気持ちよくなれないのであった。


『ぐにゃぐにゃの星』1970年7月号

地面がぐにゃぐにゃの星。


『人が空をとべる星』1970年8月号

この星には吸うと空を飛べるようになるガスがある。モジャ公がガスの吸い過ぎでどこまでも上昇してしまうのだが、この展開は「ドラえもん」の『雲の中の散歩』でふわふわぐすりを飲み過ぎたジャイアンとまるで一緒である。


『木が人をうえる星』1970年9月号

木ではなく、人間が植えられる星。地球の木々と一緒で、水を掛けると成長し、きれいな花を咲かせたりする。

考えようによっては非常に不気味な星であり、恐ろしい展開にも発展しかねないお話だが、幼児版ということで、水をかけられるくらいで収まる。


『ふしぎな水』1970年10月号

きれいな水が溜まっているので顔を洗うと、目や鼻のパーツがころんと取れてしまう。「ドラえもん」のふくわらい石けんと同じ効果である。

渇くとくっ付くと教えてもらうのだが、目が取れて訳が分からず、3人のパーツが入り乱れてしまうのであった。


『一本足の星』1970年11月号

一本足歩行の宇宙人たちが住む星。ここでは靴屋の男性がくつがさっぱり売れないと嘆いている。空夫たちは他の星に引っ越すと良いと言い、ロケットで足が一人7~8本あるタコ足の宇宙人の星へと連れて行って上げるのだった。


『サンタの星?』1970年12月号

ロケットがついに壊れてしまう。不時着した星は一面氷に覆われている。ここは何という星かと言って泣いていると、まるでトナカイの形をした変なロケットが飛んでくる。

中からはサンタが顔を覗き、「ここは地球だよ」と教えてくれる。何と偶然ロケットが壊れて辿り着いた星は、空夫の故郷・地球なのであった。

サンタクロースの操縦するトナカイロケットで日本まで送ってもらい、さらには持ちきれない程のクリスマスプレゼントも貰えることに。

空夫、モジャ公、ドンモと、たくさんのプレゼントの入った包と一緒に、落下傘で空夫の家へと舞い降りる。たくさんの星々を巡った空夫の大冒険は、これに終了なのである。

「ただいま」と空夫が声を出すと、家からママとパパが出迎えてくれる。空夫の冒険が家出だったのか、両親公認の旅行だったのかは、このラストでも判断が全くつかない。

ただわかるのは、空夫の両親の外見が、のび太のママとパパそっくりであること。まるで同一人物である。

幼児版「モジャ公」の連載は、実はほぼ「ドラえもん」の連載開始時期とそっくり重なるのだが、作者が「ドラえもん」と勘違いしたのか、敢えて同じキャラクターに設定したのかは完全なる謎である。


改めて幼児版の「モジャ公」を読み込んでいくと、連載が重なっていた「ドラえもん」のその後のお話に大きく影響するエピソードが多かった印象が残る。

「モジャ公」と「ドラえもん」は遠く離れた作品のように思ってしまいがちだけど、実は根本となる部分で共通点があるのではと、今回気がついた。この良い発見を、今後の藤子研究の一助としたいと思う。




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