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テレパシーにはご用心

ドラえもん 『テレパしい』
「小学五年生」1978年10月号/藤子・F・不二雄大全集7巻
SF・異色短編 『テレパ椎』
「漫画アクション増刊S・F6」1980年12月6日号
藤子・F・不二雄大全集3巻

F作品では、超能力が一つのキーワードといっても良い。

「パーマン」は、スーパーマンから渡されたパーマンセットの力を借りているが、F先生のメモによると、少年が超能力を持ったら?ということでお話を作り上げている。

「エスパー魔美」はそのものズバリ超能力を持った少女のお話。

「オバケのQ太郎」もオバケの能力という意味では超能力が扱われている。

他にも「ドラえもん」ではひみつ道具、「チンプイ」では科法、など毎回趣向を凝らしているが、基本線は非日常的能力を描いたお話がほとんどである。


そしてF作品では、こうした日常からはみ出る力を持った時に、その力に溺れてしっぺ返しを食うストーリーが多いのが特徴的である。

「ドラえもん」では、ひみつ道具を使って便利さを享受した後、調子に乗って力を使いすぎて、逆に痛い目に遭うというのが定番パターンだ。

「エスパー魔美」や「パーマン」では、超能力を持っていることが世の中に知られると、力を悪用されたり、自分が魔女狩りに遭ってしまうという、戒めの設定を課している。

超能力には、光と陰、作用と反作用があることを、F作品では繰り返し語られているのである。

そして超能力の中でも、「テレパシー」は、備わるとロクなことがない能力として描かれている。同じテーマで描かれた2作を紹介したい。2作とも「テレパ椎(しい)」というダジャレの同名タイトルが付いている。


一本目は1978年に発表された「ドラえもん」の『テレパしい』。ちょうど「エスパー魔美」の連載が一度中断されたタイミングだが、これはおそらく偶然ではない。


この作品では、のび太が凄いことをドラえもんに頼むところから始まる。

「口に出さなくても心は通う。僕が何をして欲しいのか、何を望んでいるのか…」「そんな機械はないかしら」

究極的な怠け者の願望を聞いて、さすがのドラえもんも激怒。

「口きくのも面倒くさけりゃ、もう死んでしまえ」
「君には呆れた。実に呆れた!」

怒り狂ったドラえもんだったが、のび太を懲らしめるため、道具を出すことにする。それが「テレパしい」というドングリのような木の実である。これを食べると、頭の中で思っただけで相手に通じちゃうという、のび太の願い通りの効用であった。

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最初は愉快だ、などと楽しんでいたが、すぐに事態は様相を変える。しずちゃんには、「大好き、可愛い、頭が良くて、やさしくて」と心を読ませて喜ばせるが、続けて「こうしておだてておけば宿題を教えてもらえる」と余計な思惑まで伝わって怒りを買う。

ようやくここで、思ったことが通じることが大変に困ったことだと気が付くのび太。しかし時すでに遅し。

スネ夫には借りてた本を失くしたことがバレて追いかけられ、ジャイアンにも何か怒らせるようなことを思いついてボコボコにされてしまう。

反省してドラえもんに泣きつくが、「お人好しだからちょっとおだてればすぐ機嫌が直る」という思いが伝わって、ドラえもんを再度怒らせてしまうのだった。

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このテレパシーネタ、大人向けにバージョンを変えて、「SF異色短編」として描かれる。これが2年後の1980年に青年誌にて発表された『テレパ椎』である。

こちらは売れないイラストレーターが、雑木林で椎の実を拾ったことから、周囲の人間の気持ちが頭に流れ込んでくるようになる、というお話。

先ほどのドラえもんは、テレパシーを送る側の話だったが、本作はテレパシーを受け取る側のお話となっている。

拾った最初は、「人の心の底を読めるなんて素晴らしい」と喜ぶが、すぐに素晴らしくもなんともないことに気付く。

イラストを持ち込んだ出版社では、「古臭い」という編集者の内心の感想が伝わってくる。町では人々の不満・不信・怒り・妬みが包み込んでくる。

そして良く顔を出していた友人夫婦の家に行くと、「また来たか」「絵の才能が無いので足を洗え」「こいつの無神経さには友人たち皆迷惑している」などと、にこやかなうわべのやりとりとは全く違う、心の内が聞こえてきてしまう。

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男の部屋に田舎から駆け落ちしてきた弟とその彼女からは、うわべの御託とは異なって、心の奥底では単純にSEXがしたいだけ、という本人たちも無自覚な意識も伝わってきてしまう。

そうした経験を経て、男は思う。人間が先天的にテレパシー能力を持っていたら、人間は群れを作らず、よって文明も開化しなかったのではないかと。

男はテレパ椎をさらにふたつ見つけて、弟とその彼女の服に忍ばせる。すると、大喧嘩を始めて、別々に郷里へと帰っていってしまうのだった。

男は椎の実を粉々に砕いてしまう。しかし、思う。

「もう僕には心の声は聞こえてこない」
「だが…、善意に包まれてぬくぬくと居心地の良かったあの世界は、二度と帰ってこないのだ」

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この二作の「テレパ椎(しい)」を通じて、テレパシーを受け取る方も伝える方も、碌なことにならないことが描かれる。子供向けにはギャグとして、大人向けにはアイロニーとして、人間の心の内が暴かれることの不愉快さを知らしめている。


超能力者を主人公とする「エスパー魔美」では、テレパシーの発動はかなり意識的に制限されている。超能力に憧れるF先生も、この能力だけは疎んじていたものと思われる。

エスパー魔美と今回取り上げた二作を並べて読み進めると、F先生の心の内がテレパシーのように伝わってくるのであった。


追記:
同様のテーマを描いた少年SF短編「耳太郎」という作品もある。こちらは「エスパー魔美」の連載が始まる直前に発表されたもので、このタイミングもきっと偶然ではないと思っている。

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