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人の成長とは。。。

皆さんこんにちは。
先日母との会話でまた臺灣で考えてたことを思い出したサリーです。

今日はそのことについて少しまとめてみようと思います。

人の成長とは?

これまで24年間生きてきて”成長”この言葉を何回口にしてきたであろうか?
何かしらの面接や意気込みを語るうえで、
よくこの「成長するために頑張ります。」と発してきた。

高校生まではがむしゃらにこの言葉を発してきたが、
大学に入ってからふと成長とはいったい何を指すのか
考えるようになった。

今この記事を読んでくれている読者のみんなは
成長とはいったいどういった状態を指すこと
だと思うだろうか?

一度考えて言語化してみてほしい。
君が自分自身や他人が成長したと感じる時はいつだろう?
成長を感じたときにしていたことはなんだろう?

これらの考察をしていた際に、
様々な点においての成長があることがわかり、
それぞれで成長過程で必要なものが
変わってくることが見えてくると思う。

今日は私が考え方や自立心、脳の発達の成長を促すうえで、
必要となってくる部位や、私が考える成長の過程について
話していこうと思う。

あの行動が人を成長させる。

もったいぶらず、さっそく登場してもらおう。
そう。歩く。
この行動が人の脳を活性化させ、
且つ人の思考や自立心を成長させてくれる。

みんなは普段どれだけ自分の足で歩いているだろうか?

私自身、大学に行くまでの日本での生活で
あまり歩いてこなかった。

両親ともに車が運転出来て、
特に母が車の運転が好きだったこともあり、
小さいころから車移動が多かった。

小中学生時代も学校が徒歩10分圏内にあったので、
あまり歩いていなかった。

高校時代は学校自体は遠かったが、
自転車で通学していた関係で、
歩くことはあまりなかった。

ただ大学に行き状況は一変。
私が通った大学は丘の上にたつ大学。
キャンパス内を移動するだけで、
汗をかくほどの坂道があったり、
キャンパス自体も東京ドームほどの敷地面積があった
おかげで、毎日えらいほど歩きまくっていた。
また移動手段も限られていて、
バイクを手に入れるまでは、
基本徒歩と公共交通機関を使い果たしていた。

その際、自分の中で感覚的な違いがあることに氣がついた。

歩けば歩くほど、自分の脳が発達していって、
物事を整理する能力や、思考能力、記憶力、発想力、自己肯定感が
自然と増してきている感覚を得たのだ。

ひらめいた人たちは歩いていた?

これは大学時代にお世話になった教授に聞いた話がある。
これまで何かに真剣に取り組んでいて、何かに閃いた人の行動の中に
必ず散歩があるらしい。

またその教授自体も、研究で行きずまり、
外を目的もなく歩いていた時に、
ふとよきアイデアが浮かんでくることがあるそう。

この手の話は、学生時代よく聞いた話である。
その先生も言うなら一旦やってみるかと思い、
たまたまその時、校内外合わし、プロジェクトを3つほど抱え、
かつ授業のグループワークで行き詰まったり、
自分の脳の限界を感じていた時だったので、
とりあえず外を目的もなく歩くことを増やしてみた。

そうすると不思議なことに、
さっきまで沈んでいた氣分が自然と上がってきて、
思考もクリアになってくる。

そして歩きながら、さっきまで悩んでいたことを
もう一度考えてみると、自然とさっきまで
出てこなかったアイデアが出てきたりもした。

とても素敵な感覚であった。

あの部位と脳の発達が密接に関係している?

あの部位とはふくらはぎ。
ふくらはぎへの刺激が、脳の発達、活性化に一役買っている。
こんな話を聞いたことがあるだろうか?

太ももではない、ふくらはぎである。
どこで聞いたか忘れたが、私と母の中でこの説が
ささやかれている。

2人がなぜこの考えを信じているか、
それは母方の祖父に起因する。

私の祖父は御年85歳オーバーである。
祖父は定年後、健康維持のために毎日散歩に出ていた。
そんな祖父は数年前、認知症と診断され、祖母の力もあり、
在宅で元氣にすごしているが、去年
認知症進行で帰ってこれないかもしれないという不安や、
あのウイルスのおかげで、
一時散歩に出れない、床に伏せる時間が増えた時期があった。

その時に著しく認知症の症状が進行したのである。
毎週祖父母の家に通っている母が、そんな祖父に氣がつき、
少しでも外で歩くことを提案した。

最初は渋っていた祖父だったが、母や私が遊びに行くたびに
外に連れ出し、無理のない程度に散歩を再開させた。

そうするとみるみるうちにまた元氣を取り戻し、
最近はまた普通に散歩に出かけるようになった。

それから確かに物忘れの症状は残っていて、
日々ムラはあるが、元氣に家事をしたり、
ニュースに喝を入れたりと通常通りに戻りつつある。

そんな姿をみたり、自分の経験から
我が家では最近ふくらはぎへの刺激は脳の活性化に
密接に関係しているという仮説に信ぴょう性が増しつつある。

余談だが、わが父もこの10年間毎日片道1時間半の道のりを
電車と山道徒歩で出勤している。
この人は60手前ですでに、二度脳の病に倒れているが、
軽い後遺症だけで済み、今もバリバリに働いている。

この人が退職し、歩かなくなった時が、少し怖い。
うん、沢山歩くように進言してみよう。

コラム 江戸時代の人はどんな思考をしていたのだろう。

日本史を學ぶと必ず一度は聞く参勤交代。
車が発達する以前までは、人の移動手段は基本自力歩き。
江戸の武士は歩いて江戸まで参勤交代をよく行っていた。

今考えれば本当に同じ人がそんなことできていたの?
そう思わずにはいられない。

そして今歩くことが脳の活性化に繋がると信じている今、
生涯歩数が圧倒的に多いこの時代の人たちに会ってみたい。
そう思う今日この頃。
もしくは歩いて日本や世界を周っている人に会ってみたい。
。。。それか自分がそれを経験する?!
まぁそれはとりあえず置いておこう。

ただ確かに各地の街歩きはしたい。

まとめ

この仮説を得た後、なるべく歩くようにしているこの私。
またこの文章を機により意識して歩いてみようと思います。
それに最近は目的もなく外を散歩する機会が減っているから
そういう機会を持ってみてもいいかもしれない。

もしサリー本人と一対一で遊ぶことがあれば、
歩くことを前提に来てもらえると嬉しいです。

またもし今何かに行き詰まっていることがあったり、
自分を変えたいだとか、氣分が落ちていることがあれば、
是非だまされたと思って、目的なく歩いてみてほしいです。

その際に目線は前、もしくは上、背筋は伸ばして
歩いてみてほしいです。
この理由はまた機会がある時に、
筋肉と感情の話をして、一緒に理由を話そうと思います。

では今日はここまで。
今回も最後まで読んでくれて有難う♪
またお互い自分を大切にして、
元氣に豊かで楽しくて幸せで光ある一瞬一瞬を生きていきましょう!
ではまた。
サリー

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