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『進撃の巨人 完結編(前編)』はただのアニメ・漫画ではない!大学生が本気で語ってみた!

こんにちは!そこらへんの大学生です!

今回は私がアニメを見たりや漫画を読んだりするきっかけとなった、私が1番大好きな漫画である『進撃の巨人』の完結編(前編)を見て思ったことを書いていきたいと思っています!もしかするとネタバレに繋がってしまうかもしれませんので、まだ見ていない方は気をつけてください!

#アニメ感想文

『進撃の巨人』を見始めた理由

『進撃の巨人』を初めて見たのは中学生の時です。それまで全くアニメや漫画に興味を持っていませんでした。ある日、テレビで一挙放送(?)すると聞いた父が、「一緒に見よう」と誘ってくれ、夜な夜な見た記憶があります。進撃の巨人=グロいと言う印象がありましたが、予想よりもそういった印象がなく平気だったことを覚えています笑実際に見てみると(まだ壁の外に出ていない、トロスト区防衛戦当たりだった気が…)、壮大な世界観や命を投げ打ってまで人類を助けたいという兵士の強い信念に惹かれました。


完結編を見る前に

私はそこから一気にハマって、漫画も買って読んでいたのですが、正直いうと私のすっからかんな頭には理解するのに難しい場面が多かったのですが(それでも最後まで読んだ自分笑)、解説等を見ながら読み進めました。

そして、完結編がやると言うことでもう一度アニメを最初から見直しました笑
すると、もちろん「あ、ここ伏線だ」「あ、ここはこう言う意味だったのか」と気付かされることはあったのですが、それ以上に「小さい時と見方が変わっているなー」と実感させられました。経験や世代、知識などなど…それだけで見方が変わってしまう漫画・アニメは良い意味で恐ろしいなと思います笑


完結編(前編)

完結編(前編)の感想をここでは述べたいと思います。

まず作画が素晴らしい!元々素晴らしい作画でしたが、より残酷さが加わり、それだけで泣き出しそうでした笑

ずーーっと暗い雰囲気でしたが、唯一ホッとできた箇所はアルミンとアニのシーンでした。それまで泣いていたのに、一気に涙が吹き飛んで一人でテレビに向かってニヤニヤ状態でした笑笑あんなに可愛かったアルミンがこんなかっこよくなって…と感慨深かったです笑その後のアニの気持ちに気づいたミカサも可愛かった笑

私の1番の推しは兵長なのですが、兵長があんなにボロボロになりながらも、自分から戦う姿勢を示している場面で大号泣。このシーンを見ながら、今はボロボロでもこれが人類最強である責任なのか…と思っていました。飛行船に乗っているときに、「獣の巨人は俺が倒す」(のようなことを)言っているシーンで、亡くなった仲間やエルヴィンとの約束か…と思いだしまた大号泣。見ている途中で辛すぎて、チャンネル変えようかと思いました笑

ずーーーっと大号泣していましたが、1番大号泣した場面はやはりハンジさんの場面でした。ハンジさんがとても強いのは分かっていましたが、最後の最後に実力的にも「調査兵団」団長としても芯を持った強さがあることが伝わってきました。最後の最後まで燃えた調査兵団のマントを取らなかったのは、ハンジさんの調査兵団としてのプライドを表しているのかな〜(もちろん真意はわからないですが)と思います。かっこよかった…

ハンジさんが飛び立つ前に兵長が「心臓を捧げよ」と言ったシーンも同じくらい大号泣(ここら辺からずっと泣いていたきが…)ここのペアは死闘をくぐり抜いてきたからこその強い関係があり、兵長も耐えることができなかっただろうと思います。その関係性や口下手?な兵長の気持ちを言い表したのが「心臓を捧げよ」という言葉だったのかもしれません。(書きながらまた泣きそうになってきた笑)今まで兵長がこの言葉を言わなかったのは、仲間を大切に思っていて、死んでほしくなかったと言う気持ちの表れだと思います。それを最後の最後でハンジさんに言ったのは、それぐらいの深い関係だったと考えます。かっこ良すぎる…

ハンジさんが亡くなった後、多分あの世?で亡くなった仲間が、ハンジさんを迎えているシーンでモブリットが出てきた時は発狂しました。このペア大好きすぎて、気持ちが全部溢れ出たのを覚えています笑その後にエルヴィンが笑いながらハンジさんに話しかけているシーンを見て、ほっこりしたのを覚えています。(これが真のホッコリなのかと思っていました笑)


完結編(前編)を見て思ったこと

完結編(前編)を通して考えたことや感じたこと等をここでは述べていきたいと思います。

私は進撃の巨人を見ていて、もちろん推しはいるものの、「誰の味方になろう!」「この人の行動は意味がわからないから嫌い」と言ったように、敵味方を決めることができない作品だと思います。誰かの目線に立てば、他の人が敵に見えてしまう。しかし、その他の人の目線に立てば、その誰かが敵に見えてしまう。どちらが正義のヒーローでどちらが悪党というわけではなく、彼らが置かれている状況によって正義にも見えれば、悪党にも見える。エルディア側、マーレ側…のように(もっとありますが)。これは現実、この世界を表していると思います。国籍や人種、性別、文化、宗教などなど…このような要素の違いによって(現実にはもっとあると思うが)、敵になったり、味方になったりする。


これはアルミンの言っていた、

『良い人か… それは… その言い方は 僕はあまり好きじゃないんだ だってそれって… 自分にとって都合の良い人のことをそう呼んでいるだけのような気がするから すべての人にとって都合の良い人なんていないと思う 誰かの役に立っても他の誰かにとっては悪い人になっているかもしれないし… だから… アニがこの話に乗ってくれなかったら…… アニは僕にとって悪い人になるね…
進撃の巨人8巻より』

よく考えるとアルミンはこれを初期から言ってましたよね…恐ろしい(もちろん良い意味で)

『進撃の巨人』では私たちは”読者”(言い換えれば、部外者)なので、この「敵味方問題」を客観視して考えることができ、さらに様々なキャラクターの立場立って同情することができます。しかし、現実世界ではこのように客観視することや様々な視点に立つことができません。当事者だから。もちろんできる人もいますが、私の考える限り多くの人ができていないと思います。できたとしても、自分の利益のために、守りたい人のために、大義のために…(理由は様々ですが)、この客観性を切り捨てる必要があると思います。


今回の完結編(前編)だけでなく、『進撃の巨人』全体を通して、教育の怖さを感じることができると思います。特にマーレやその他の国が何度もパラディ島にいるエルディア人のことを『悪魔の末裔』と呼んでいたシーンが私にとってそれを最も表していると感じました。

お互いに何も知らないのに、大人達の教育(ここでは洗脳とも言えそう)によって、マーレやその他の諸外国は(もちろん義勇兵のように全員では無いが)、パラディ島の人々のことを化け物のように扱っていました。私は真実を知ろうと努力しない彼ら自身も悪いと思いますが、その真実を隠し(進撃の巨人では隠していたのかどうか分からないが)、子供に自分たちの思想を刷り込ませているように見えました。しかし、彼らが思想を刷り込ませたい理由も分かります。そうすることで、自分たちの立場を守ることができるから。それがアルミンが何度も言っていた、「話し合い」をする機会を失わせていると思います。その「話し合い」をしないことで偏見が膨れ上がる。最終的には『進撃の巨人』が描いたような泥沼の戦争しか待ち受けている。一部の人間によって作り出さらた思想が偏見を生み、戦争を起こす…『進撃の巨人』はこれを上手く示していると感じました。

かと言って、現実の世界でもアルミンが何度も言ったように「話し合い」をすれば解決するのかと言われれば、そうではないと私は思います。現実世界ではもっと他の要素が複雑に絡み合っていて、もう取り返しのつかないほど泥沼化しているものもあるので。さらに、『進撃の巨人』では描かれていたかどうか分かりませんが、プライドもその泥沼化に影響を与えていると感じます。

さらに最も見ていて気分が悪い(作品的にではないですよ!作品はとても素晴らしいです!)シーンはマーレ軍が何も知らない子供たちに間違った刷り込み(洗脳)をさせて、都合のいいように子供を動かしていたことです。幸い『進撃の巨人』の中では、その子達(主にガビ)が最終的に気づくことができたので良かったですが、現実世界で考えてみると、こんなに簡単に子供たちが刷り込まれた偏った思想から抜け出すことは出来ないのではないかと考えます。やはり、全く違う意見を受け入れるのは人間的(人間は自分の意見が正しい!と考える生き物であるため)に難しいと。

この偏った思想を大人が子供に教え、それを子供が孫に教え……と続いていくんだろうなと思います。でも、上でも述べた通り、その思想はある人や社会にとっては「悪」でも、他の人や他のコュニティには「正」なのかもしれない。こう考えると(もちろんどう考えてもおかしい思想や考え方はあると思いますが)、何が正解か分からない、まず正解を求めることも間違っているのかもしれません(いや多分間違ってる)。あー難しい。


私は『進撃の巨人』を通して、歴史の奥深さに気づくことが出来ました。これはあまり完結編(前編)では述べられていなかったと思います。どちらかと言うと、ファイナルシーズンpart1の70話『偽り者』でカヤとガビが言い争っているシーンにあてはまります(漫画の方は見返してないので何話かわからないです!)。

単刀直入に言うと、私は歴史を学ぶ意味がわかりませんでした。もちろん成績のために一生懸命単語を覚えていましたが、今振り返るとそれは「歴史を学んだ」とは言い難いと思います。

しかし、『進撃の巨人』を見てからはこの考えが根本的に変わりました。歴史を学ぶことは残虐な過去を繰り返さないことに繋がるかもしれない。また、歴史は国と国、民族と民族、人種と人種がどのような関係にあり、それが現在どのような形を遂げているのか私たちに教えてくれるものであると感じます。こう考えると、今起こっている社会問題を考える際、それらは歴史と深く繋がっていて、理解したいならその歴史を学ぶ必要があると考えています。さらに、歴史を学ぶことで踏んでは行けない地雷を踏まずに済むと思います(例えば国籍が異なる方とお話をしている時とか)。それは、相手を尊重することと同じくらい大切なはずです。

ただ、「歴史の中の悲しい過去(例えば、戦争・殺戮・迫害・蹂躙等)と現在の関係性」に関して、私はとても難しいトピックだと思います。人によって意見が別れるので。もちろん正解は無いと思います。カヤとガビの言い争っているシーン(final season part1 70話)を思い出して欲しいのですが…カヤの主張では「私たちの先祖がどれほど悪いことをしても、それはその方々が行っただけであり、私達とは関係ない」と言うことが出来ます。反対に、ガビの主張では「私たちの先祖が残虐非道なことをしたため、子孫である私達はそれを償っていかないといけない」とまとめることが出来ます。私は”個人的意見”として、どちらも本質を捉えていると思います。悲しい過去を引き起こした先祖(もちろん違う国籍の先祖が引き起こした悲しい過去も、学ぶべきですが)の子孫として、同じ過ちを繰り返さないために、他国・他民族・他人種の方々に行った罪を償う(すみません、いい言葉が思いつきませんでした)ために学ぶべきなのはとても理解できます。しかし、彼らと私達は全く関係がない、一緒にしないで欲しい、なぜ彼らがやってきた非道なことで私たちが責められないといけないのかという気持ちも理解できます。このシーンを見ている時、感情がぐちゃぐちゃになって、言葉で言うのはとても簡単なのですが「なんて難しいんだろう、どうすればこの答えのない問に決着?をつけることが出来るのだろう」と思っていました(先祖と私達が直接関係ないからと言って、歴史を学ばくていいという訳ではないのはわかっているのですが)。


あー言語化って本当に難しい。
私の心の中にあったものを少しでも皆さんに伝えることができていたらいいなと思います。

今回はこれで以上です!
最後まで読んでくださり、ありがとございました!

次回もまた読んで頂けると嬉しいです!




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