3月30日(土) たまに雨

(金)と打って、間違えたことに気づいて(土)にした。

漢字が苦手であまり読書をしない人が、わたしが好きと言った西加奈子『i』を買ってくれたというので、わたしも久しぶりに読んでいる。

この作品が好きだということは結構しつこくツイートしている。とにかく時代性が強い、ということが、この作品を好んでいる、というか、読まれるべき作品だと思っている大きな理由のひとつだ。作品そのものの分類はフィクションだが、この中に描かれている心の動きはノンフィクションだ、と感じる。

作中では、実際に起きた世界的な事件が報道のような形でいくつも言及され、主人公・ワイルド曽田アイは、その死者数をノートに書き留める。「この世界にアイは存在しません」という言葉は、数学教師が虚数を紹介するために言ったものだが、なんども違った意味を伴ってアイの中に浮かんでくる。

この作品にはほんっっっとーにさまざまな要素があって(養子、LGBTQ、戦争……)多分それぞれについてたくさん考えることができるのだが、今読み返したのはまだ冒頭だということもあり、まずは早い段階から描かれている「恵まれた者のつらさ」のことを考えてみようと思う。

アイはシリアに生まれ、養子としてニューヨークに渡り、ダニエル・綾子夫婦の子どもとなった。自分の生まれた土地・シリアで紛争が起きていることや、自分たちが普通に暮らしている間にも、それが叶わずつらい思いをしている人もいるのだということを教える「よい教育」を、いささかその現実を飲み込むためには早すぎるのではないか、と思われるような時期から受ける。

もちろん自分が養子であることもずっと前に伝えられた。母がアイのお古の服を、小さな子どもが3人いる家政婦に「もらってもらう」様子も見ている。一人で部屋にいたくても、その子どもたちが来ているときは一緒に遊ぶ。義理の母が嬉しそうな顔をするから。本当はその家政婦とその子どもたちのほうが、自分に近い存在なのでは、と思ったりもする。

そんな中で「自分は選ばれて、今の恵まれた環境を手に入れた」「自分が選ばれたために、選ばれなかった人がいる」という意識をもつようになる。

この物語を読む分には、「アイ〜〜〜そんなことを思う必要はないよ〜〜〜〜😭😭😭」と思うのだが、現実世界で、アイにそう思わせるような考えや行動を自分がとっていないか?と考えたら、ちょっと怪しいなと思う。

わたしは田舎の、どちらかといえば低収入な家に生まれている。立地と金銭両方の問題で、文化的な経験といえば公立学校の文化関連行事や小さな図書館が命綱だったし、食うに困ることこそなかったものの(これには家の宗教が大きく関係していると思うが話が逸れるのでまた別の機会に)、自分の好きなものをほしいと言える状況ではなかった。

そんなときに、なんでも好きなものを買ってもらえ(る可能性があっ)て、自由に好きなところへ行け(る可能性があっ)て、家族の愛情のつながりも強固な(ように見える)人がいたとき、嫉妬しなかっただろうか。

幼いときはその差にそもそも気がついていなかったし、気がついた頃には多少の分別があったので、それを相手に伝えることはなかった。でもなんか、今になってインターネットで好き勝手やっているときに、恵まれた人への呪詛を意図せず放ってしまっていることはあるだろうなーと思う。

いや、不幸になれとは全く思わない、だけど「あなたが恵まれている環境にいたことを認識はしてほしい」というメッセージを含んだツイートは何度もしているはずだ。わたしが自分の環境への不満を話すとき、それがアイのような人に自罰的な感情をもたらすことはあるだろう。

そんで、この話にまとめはないんですけど、あともう眠くてかなりまとめるの難しくなってきてるんですけど、

・誰かの環境がいいせいで、自分が悪い環境にいるわけではないし、逆も然りである

という認識をしたほうがいいと思うんですよね。

でもさ〜この社会が本当にそうなっているか?と言われると、そうとも言えないよね〜〜〜〜〜つらい。だから誰かがメリットを得ていると自分が損してると思って怒っちゃう人もいるわけじゃないですか〜。それが見当はずれなこともあるけど、でもあながち完全にはずれてもいない場合って、あると思うんですよね〜〜〜。我々が安価でよいサービスを受けていることと、つらい労働をしている人がいることは、直接的な関係があるわけではないが間接的に関係したりするわけじゃないですか〜〜〜。いやだね社会、頼む再分配

なんかそういう、そのときの社会のつらさをさ……きちんと書いてる作品があると、あーこれっていつか遡ったときにその時代をよくあらわす作品になるんだろうなー、こういうのを書き残してくれるのは本当にありがたいな……と思うんですよね。だから人にもいいよ〜と言っている。もちろん面白いんだけど、それと同時に読むべき性が高いと思っていて、そういう読むべき本をきちんと読めるだけの時間を生活の中に作りたいですよね。おわりです。

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