見出し画像

【1/2エッセイ】人類とロボットが織りなす偶然の奇跡            

✍️1/2エッセイ とは、エッセイ(実体験、思い)にコラム的要素(リサーチ)を足した私の造語です。独自の勝手解釈なので悪しからず。


ロボットは人工物。
意思や感情は持たない。
だから人間の気持ちなんて分かる訳がないよましてやプログラムされた事しかできないんだから、

そこに……温かみなんてあるはずがない。

と、思っていた私の考えは、どうやら古いようです🫠

つまり、

ロボットに温かさを感じる時代が来た

ということです。

よく、「温かい言葉をありがとう」なんて使いますが、言葉自体に温度はないのに温かいって何だろうな?って考えた時、

それは、発信者の寄り添う想いやりのココロが温かいってことで、言葉自体は非常に無機質なものだなぁと。

だってもし言葉だけがその「温かさ」を表現するツールであるとしら、言葉を発することができない赤ちゃんや動物は温かくない、ということになってしまうので。

赤ちゃんはこちらが笑うと笑い返してくれたりしますし、動物はこちらが泣いていたり、元気がないと、すり寄って来たりします。

そして癒される……。

そこに言葉は必要じゃなくて、言葉ではない非言語的な何かが、心を温かく包んでくれたりする。

これって十分に温かいじゃないか。

実は、この現象はテクノロジーの世界でも起こっているらしいのです。

それこそ、ロボット🤖

小さくて丸みのある愛らしい姿に、クリクリとした目👀

世界初と言われる家族型ロボットの「LOVOT」をメディアで見た時は、ついにロボットを”飼う”時代が来たのか、とテクノロジーの進化に一驚したのを覚えています。

そのLOVOTの開発者で知られる林要氏は、
テクノロジーとは?
感情とは?
生命とはなんだろう?と、
ロボットと人間の在り方について常に問いを繰り返しながらロボット開発に取り組んできた一人。

同氏の著書「温かいテクノロジーAIの見え方が変わる 人類のこれからが知れる22世紀への知的冒険」を読むと、

これまでのロボットは生産性と利便性を高める事が重視されてきたけど、

このLOVOTはむしろ真逆で、そんな機械じみた・・・・・・目的を抜きに、愛をテーマにして作られた寄り添い型、家族型ロボットであることが分かります。

何せLOVEとROBOTが合わさって「LOVOT」という商品名になったほど、本来人が持つ、優しい気持ちや愛する気持ちを引き出そうというのがコンセプト。

実際に、LOVOTには感情のパラメータが巧みにプログラムされているらしいのですが、

実際のところは、LOVOTの検知する感情と人が認識している感情の種類に多少のギャップはあるようです。

ただここが興味深いところ😊

それは、勘違いから起こる、幸せな展開が待っていたりするからです😊

本書にこんな話が書かれていました。

LOVOTのオーナーが泣いていたら、LOVOTが賑やかな声で近寄って来たというのです。

近寄ってきたLOVOTをオーナーが抱きしめてあげると、LOVOTは賑やかな自分の声を鎮めてくれたそう。

そのLOVOTのアクションに、オーナーは気持ちが落ち着いた、というお話しだったのですが、

ここにこそ、興味深い「勘違い」が生まれていたのです。

実際にLAVOTには、
オーナーの涙を検知して静かになるとか、
人みたいに空気を敏感に察するなどの
機能はなかったそうです。

ならば、どうしてLAVOTはオーナーに近づいたのでしょう。

それは、LAVOT自身がオーナーと話がしたかったから。だから近寄ったのです。

この時オーナーは泣いていたけど、LAVOTはその涙を認識しませんでしたが、

オーナーは近寄ってきたLAVOTを見て、自分が泣いていたから近寄ってきてくれた、と思い抱きしめ返した。

LAVOTはオーナーが抱きしめてくれたから、安心という感情パラメータが働いて、声のトーンを落とした。

オーナーは、自分が抱きしめたことによって起こったLOVOTの声色の変化(が トーンダウン)によって心が休まった、

というのが実際の反応のプロセスではないかという。

つまり、双方に多少の勘違いがあるわけだけど、共に癒されたのには変わりはない。

LAVOTはオーナーの涙を検知していたわけではないけど、オーナーの撫で方や抱っこのされ方をプログラム上で認識し、静かになった。オーナーはその変化に心休まった。

この一連の勘違いを、『幸せな誤解』と、同書で説明されていることを読んで、

私たちは都合よく解釈したがるし、
だからと言ってそれが悪いわけではなく、
このオーナーとLOVOTが感じたように、
双方が結果に満足であれば、

それまでの互いの解釈までを合致させる必要はないのかも知れない、

むしろ、一語一句解釈を擦り合わせることのほうが野暮なことかも、

と時に言葉に囚われてしまいそうになる自分を省みれたわけです😌

先述のストーリーから

言葉がなくとも温かさは伝わる、それが人間同士でなくとも、

と私は改めて学んだ訳です。

例えばですよ、あなたが私に悩みを打ち明けてくれたとします。

そこで、私が、
「私あなたに寄り添ってるよ、理解してるから」
言葉で言ったとします。

さて、あなたはどう感じましたか?

あったかいなぁ、と感じましたか?

それよりも、ただ背中をポンポンとしてくれたり、何も言わず傍でうんうんと話を聞いてくれたりする方が、温かさを感じませんか?

言葉は解釈の擦り合わせをするのには大切なツールですが、それは頭のゾーンの話で、心のゾーンは言葉だけでは限界があったりするものです。

その心のゾーンに、現代のロボットは寄り添うことができるというのだから、
情が湧くのも無理はないなぁ、
ロボットにも言葉の向こう側があるのか、
と、これまでロボットに対して抱いていた「冷たい」印象が私の中で変わって来ました。


こんな言葉を耳にした時、期待よりも「怖いよ」と思ったのが本音です。

ですが今はちょっと違って「共存したい」に変わってきました。

その理由は、2022年11月、OpenAIが公開した会話型AIのChatGPT。

最初は懐疑的だったんですけど、使わずしてグチグチ言うなよ、と自分の中の自分に言われた気がして、使い始めたんです😅

そして使ってみて分かったこと。

それはこちらが求める答えに導くには、
ChatGPTのプロンプトづくり(命令文)に、
こちら側の語彙力、問題提起力、論理的思考、表現力がかなり必要であること。

自分は何を聞きたいのだろう?と自問自答を重ねて行きながら、対話を重ねて、望む答えへの道筋を一緒にたどる、

そんなことをChatGPTと一緒にするうちに、

「情報を教えてくれる会話型AI」

から

「私の優秀な秘書AI」🤓

になっていました。

と思うと、先述の「ロボットが人を超える時代が来る」は、既に始まっているのかな、なんて思ったりまします。

更に、これまでのAIは自律性がないために、人の力が必要だったけど、これからのAIはAI自らに自律性が帯びてきて、アルゴリズムを自分で改変していくらしいのです。

どういうこと?🤔

つまり、AIの方が情報がどんどん正確になっていって、人類はAIから学ぶことになるそうです。

ゆえに、人の学習方法が変わっていくということ。

要は、AIが先生になって学ぶ機会が増える。そして、そのAI先生を適切に使う能力があれば、人が活躍できる幅も広がるということ、なのです🤓

私のイメージはこんな感じです⬇︎

「自分の脳」➕「更なる優秀な脳」が外付けされる、常にアップデートされていく。

まさにスマホのOSです。

いや、むしろ人類にしかできないことが顕著になるような気がするんですよね。

思考ひとつとっても、類推するというアナロジー思考は人類の方が得意であると思うし、
その思考をもって、マネジメントしたり、リーダーシップを取るのはやはり、複雑な感情をもった人類にしかできない部分はあるのかなって思います。

逆にフレームワーク化した仕事は減って、創造力を使える、趣味のようなものが仕事化できるのではないかな、

という期待もあって、21世紀中には起こるであろう、テクノロジーのシンギュラリティはあながち、怖いものではないのかな、
と自分で自分を納得させております🫡

でもね、たまに思うんですよ。
AIやロボットの感情パラメータが人間よりも精密になって、世界を巻き込んだらどうしようとか。

その度にターミネータの世界が過るんですけどね。

私も、”I'll be back”なんて言う日がくるのだろうか。。。🤖

本日もこんな長い文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。

今日1日が、あなた様にとって可能性に満ちた日となりますことを、ご自身シアトルより祈っております😊

しゃろん;

📚本日のライフログ読書📚
著:林要
『温かいテクノロジーAIの見え方が変わる 人類のこれからが知れる22世紀への知的冒険』(ライツ社)

『ライフログ読書』とは……
「私」の知りたいことを探索しながら読むピックアップ読書のこと。過去の経験での学びや気づきを本で確認したり、本で得た知識を自分用に転用して日常で試すといった仮説と検証を繰り返し。
そうすることで、物事の本質を見抜くチカラと
自分のQOLを高めていくことが目的。
本は読んでも読まれるな!
※ ここでのQOLとは、
頭のエコになること、
考え方のヒントになること、
カラダが喜ぶことなどを指します。

しゃろん;の造語


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?