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英会話の先生のエゴ、私のエゴ

現在、私は「先生」と呼ばれる立場にいる。


もう、いい大人と呼ばれてしまうぐらいには長らく生きているけど、その半生のほとんどを英語の勉強と英語を使う生活に充ててきた。

英語の勉強と、海外での生活に使ったお金はいくらになったんだろうか。
そういえば、学生の時は、夢の海外生活を目標にドロドロになるまでバイトをしていた。
寝ても覚めても留学費が頭にちらつくのだ。

自分が英語を本気で学びたいと思ったのは確か中学校の3年生の後半からだったと思う。

残念ながら「お勉強」で関わる英語とは相性が悪く、学生時代が終わるまではテストで取れてもせいぜい85点ぐらいだった気がする。

英語に時間を割いていたわりには、そんなものだったのだ。
だけど、私には救いがあった。

私はスピーキングがとても得意だった。


夢の海外生活を5年ほどした私は、お腹いっぱいになり帰国してみることにした。

もちろん、仕事を探さなければならないのだが、「先生」が良いのではないかと考えていた。

英会話の先生

この先どれだけ生きても、どの道を歩んでも必ず通っていた道だと思う。

私は英語を学ぶ素晴らしさと、どれだけ英語が人生においてアドバンテージになるかを伝えようと思ったのだ。

そして、思うままに私は英会話の先生となった。


熱血講師、そのものだと思う。

どうしても英語を身に着けてほしい。
海外に出て色んな人と出会って、お話してほしい。チャンスがあればどんどん外に出て刺激を受けてきてほしい。

単純にそんな思いで毎日業務に取り組んでいた。

私から何か一つでも今日学んでくれたら、それでいい。必死で教え続ける。

そんな毎日がもう1年弱経とうとする。


「英語を頑張って身に着けてほしい」
というのは先生としてのエゴであり、
私のエゴであるのではないか。

ふと我に返った瞬間があった。

生徒に楽しんで英語を学んでもらえるように一生懸命だった毎日にストップがかかる。

「せんせい、もう、えいごキライ、イヤヤ」小学2年生の女の子の生徒がふと漏らした。

ちょっと待ってくれ。
私は、いったい今何を聞いたのだ?!
これだけ毎回きちんとレッスンプラン組んで、でも飽きられないようにとおもしろ要素も入れて、一生懸命になって私が持っている知識をあなた達に与えようとしてるのに。

なぜ英語がイヤになるのだ。
分からなかった。

その日の帰り道、全身がドロっと重くなり手が痺れた。そして思った。

あの生徒はどれだけ私が頑張って教えても英語は身につかない。


生徒には、英会話がうまくなって欲しいと心から思っていた。
だけど、英語がイヤな子にはどれだけ教えてもイヤなのだ。

私は子供に英語を教えている。
もちろんやる気がある子供も沢山来てくれているのだが、悲しいことに親が通わせたくてイヤイヤ英会話に通っている生徒も中にはいるのだ。

そして、やる気のない「やらされている」と思っている生徒はもれなく英会話が身についていない。もっと意地悪に言ってもいいのなら、「全く身についていない」。

そうして、その生徒からは結局、スクールを退会したいと申し出があった。

その生徒の保護者様からは「おたくの教え方があまり、、、」と超遠回しに言われた。

私は私のエゴをその時きっちり、そして明確に認識した。

一生懸命に教えてるというのはただのエゴ。
英会話を身に着けてほしいというのもただのエゴ。
私が留学に行ったようにいつかあなた達も世界に羽ばたいて欲しいと思うのもただのエゴ。

私はエゴでしか、教えれてなかったのか。


どの先生にも当てはまると思う。

ヨガの先生でも、お料理の先生でも、学校の先生でも、テニスのコーチでも、なんでも教える立場にいる人。

"それ"はエゴなんですか?

「お金」だと言い切れるのでれば羨ましい。

だって、先生って仕事がどれだけ大変か私は知っているから。
お金だけだとやらない。と、私は思う。

だったら、先生が報われる時っていつか来るのかな、、、

英語は楽しいし、将来絶対に役に立つのを伝えるのがこんなに難しいとは思ってもいなかった。

エゴなんて捨てて、割り切ってしまえばいいのにね。

と、退会した「あの子」を思い浮かべながら私はまたレッスンに向かう。


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