永遠の愛とは
永遠の愛。
永遠に愛する。
最大限に愛情を伝える際によく使われる言葉だ。
永遠とは、どれだけ長い時間が経とうと、どんなことが起きようと、ずっと変わらずその状態をキープするということ。
実際、私たちに永遠なんてものは知り得ない。
誰も未来のことなんてわからないし、“永遠の命が欲しい”と願ったところで叶うわけではない。
永遠の始まりも終わりも、知る術がないのだ。
“永遠”は、そんなとても重たい言葉だ。
だからこそ、“永遠”なんて一度でも言ってしまったら、普段にまして発言者の責任は重くなる。
小さい頃、まだ言葉の重みなんて知らなかったから、欲しかったものを買ってもらうと“ずっとたいせつにする”と約束した。
今じゃ、それが何だったのかも、どこにあるのかもわからない。
だから、“永遠”という言葉はさらに不明瞭であるような気がする。
自分の思いを伝える最上級の手段として、どんな人にも共通した伝わりやすさから、多くの人が軽い気持ちで使っているんじゃないかと思うこともある。
だから、その言葉を使うことが許されるのは、天と地がひっくり返ったとしても、人生がこの先何十年続いたとしても、その中で自分の趣味や嗜好が大きく変わったとしても、長期的かつ継続的にその状態を維持することができる時だけなのではないだろうか。
それを証明できるのは、自信でも経歴でもない。
なぜなら証明できる手立てがないからだ。
”永遠に“という言葉を使ってから、命の灯火が消えるその瞬間まで同じ状態をキープできて、初めて証明ができる。
だから、その言葉を使ってしまったら文字通り”永遠に“その言葉にかかる義務を果たさなければいけない。
それが発言者の果たすべき責任だ。
それでも、一生涯その責任を負ってでも、”永遠の愛“を誓いたい人がいるのならば、そこにあるのは”愛“なのだろう。
それが永遠かどうかはまだ誰にも分からない。
今とても深く愛している人がいたとしても、自分がいつか悲しい決断を下してしまうこともあるからだ。
”永遠の愛“は、いつか自分の人生の幕が閉じる瞬間に証明される。
今、その人のことを愛しているのか。
人生をかけて愛したのか。
無条件の愛を与えたのか。
”永遠の愛“
とても重い言葉だけど、同時にとても深くて優しくて温かい言葉でもある。
愛は盲目。愛は偉大。愛は全てを乗り越える。
色々なことが言われているけど、自分の愛はどんなものなのか。
長い時間をかけてその答えを知っていけばいい。
愛の基準なんて曖昧だし、人それぞれなんだから、後悔しないように最大限の愛を伝えてみればいい。
もうそこに愛はあるのだから。
最後に、今までの人生の数倍に及ぶ長い時間をその人を愛するために使うことができるか、と問われたら、どう答えますか?
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