「好き」=原動力

以下、とっても当たり前だと思われていそうなことを書きますが、
今回も読んでいただければとても嬉しいです。
「お前それは違うだろう」という批判、「そこはそうだよね」という共感
なんでも受け入れようと思っています。
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自分の原動力ってなんだろう?

誰しもが考える問い。
今までの人生で、
どんなやりたいことができて、
どんな壁にぶつかって、
どうやって壁を乗り越えてきたか。

そんな時に壁を乗り越える原動力となるもの。
それは「好き」って思える心だと僕は思う。
「好き」だからひたむきになれる。熱中できる。
「好き」だから無理をせずとも自然な形で意欲的に向き合える。
「好き」だから壁にぶち当たっても、それを乗り越えるんだと強い意思が働く。

その繰り返しで成長⇒壁⇒成長⇒壁⇒…というサイクルを繰り返すことが、
自分が成長できる最大値に導くプロセスになるんだって。


例えば、運スタがすきだったとき。
好きな組織だったから、色んな情報を自分で調べて先人の考えを吸収する。
その吸収した考えを持っても解決できない壁にぶち当たったとき、
自分で思考したり、周りの人と話し合ったり壁を乗り越えようともがく。
そして、壁を乗り越えて新たな考えを上積みしていく。
その過程が人間としての強さを養っていくんじゃなかろうか。

逆に、運スタが嫌いだったとき。
上の意見に不満を感じる。仲間内で愚痴を言い合う。
その結果なおさら組織が嫌いになる。悪循環。
愚痴などといった言葉や仲間内の雰囲気にネガティブをまとっているときというのは、そのまま自分を泥沼に沈めてしまうものだと思っている。
愚痴があるなら、直接言ってしまうのがベストなはず。(むろんそうはいかない方が多いだろうけど)

だったら、いつでも「好き」なことを仕事にしたい僕は思う。
好きだからこそ、自分でもそれにとっての最善を考え続けられる。
好きだからこそ、仲間内で前向きな議論ができる。
好きだからこそ、「YES」「NO」の意見を明確に主張できる。
好きだからこそ、最高品質のアウトプットができる。
この状態を保つことが、研究する、働く、日々を生きる上で求められるんだろうなと想像している。

凡人にとって、「好き」という気持ちを継続するのは難しい。
その最中で壁にぶち当たれば、痛みで竦んでしまうこともあるだろう。
それでも継続した先には、きっと良い未来が待っているはず。
そう信じて、今を生きるしかない。

しゃーく

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