「努力」についての価値観 その①
ご無沙汰しています。しゃーくです。
緊急事態宣言の発出されて以降(受けなくてもそうでしたが)、一昨年や昨年の同時期と比べたらずっと家にいるので、モチベーションを保つことに精一杯でしたが最近は割と精神的に余裕も出てきたので久々に物書きをしようと思います。
さて、今回は「努力した」という言葉に対する価値観について2021年1月時点での私的な意見を書きたいと思います。
一つ質問です。
『皆さんが一番力を入れていること(入れてきたこと)って何でしょう?』
この質問の答えは大した実績がなくても何でもいいと思います。
学業、仕事、趣味、イベント運営、特技、、、
具体例を挙げてもキリがないですね。
そして何ならこの回答に自信がなくたってこの時点ではそれでもいいのです。
次の質問。
『あなたが力を入れていることは自信をもって誇れることですか?』
この質問について僕は以下の2点の観点で多様性が生まれてくるんじゃないかと思い、興味深く考えています。
①回答としての「誇れる」or「誇れない」
②その回答に対する周囲の評価
この①と②のバランスが生活を営む上でとても大事になるんじゃないかと僕は考えています。
何が言いたいのか?
更に具体的な回答例として僕は以下の4パターンがあるんじゃないかと思います。
①自分としても周りから見ても誇れる。
②自分の中では誇れるが、周りから見ればそうでもない。
③自分の中では誇れないけど、周りから見たら誇れるものだ。
④誰がどう見たって誇れないことだ。自信がない。
これらを客観的に見ると
①「正しい努力」をして「正しい自信」を持っている。
②自信過剰だ。過大評価だ。
③過小評価だ。
④何もしていません。
という感じじゃないだろうか。
僕が今疑問に感じているのは、①「正しい努力」をして「正しい自信」を持っている人ってどのくらいいるんだろう?ということだ。なぜなら①のような価値観のバランスを保てていない限り、今後成長するなどありえないからだ。なんなら各々の業界で活躍をされている人って、意識的無意識的に関わらず、「正しい努力を経てきて、正しい自信を持っている人」何だろうと思っている。
僕は①のような価値観を持つためにどうなればいいのか考えており、自分の中で結論が出たら第三者と議論して価値観を深めたいと思っている。
というところで、ここから先を書くと長くなってしまうのでここまでにしておく。
続きの②は就職活動の合間を見て書こうかと思っています。
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