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池袋▶︎横浜の帰宅録"行間"

完全フルフィクションです(と私が言えばそういうことになります。)


販売員研修

『さあ、あなたの体の尊厳を切り売りして、小分けに袋詰めしましょう。お得なセール品ですよ、若くて、活きがよくて、従順で、骨は取り除いてあるし、毒もない。アウトレットな理由は初物じゃないだけの特売品です。いかがでしょう!』

だなんて売り出されるぐらいなら、自分から個人店販売をした方がまだマシだ。自分でも気付かないうちに誰かに買われて、飼われて、吸い取られて、栄養分はもう残らない型落ち品になってから『さあリセール品だよ』とどこぞの男に買い叩かれる前に、自分で自分をまだマシな買い手に売り払った方が幾分か良い。

これは「尊厳の問題」だ。手段として形式的に叫ばれる性的同意やら性教育やらを超越して「今を生きる“女”が実際に直面している極めて現実的な問題」である。だから、私の内面に疼く女性性がまた誰かを傷つけてしまう前にこう思った。「買われる前に、自分から私のちっぽけな性愛ぐらいなら売っぱらってやろう」と。

蛸とアリアナグランデ

それでも、池袋は正直しくった、遠すぎる。自宅まで69分は電車に揺られる必要がある上に、ストッキングが伝染した状態で朝5時56分に山手線に乗り込む白いボアコートを着た若い女への社会の視線は非常に冷たい。久しぶりに品定めを受けた。こやつは夜の人か、ただの朝帰りなのか、どっちなんだろうと。俺等が大腕を振って無料で搾取をしてもいい女なのか、はたまたいつも俺等の資産に鍔をつけて富んでいるしみったれた女なのか、どちらなんだろうと。何はともあれ、あたかもな時間帯に、私の転倒癖と常時存在している脹脛の痣を知らない社会の皆様が“若い女”である私に向ける不埒な視線は非常に示唆に富んでいる。やっぱり、『そのコートかわいいね!』と頭ごなしにLUMINEで買えるものの中では比較的高価な方のアウターを賛美してくれる声は、インスタの狭いフィルターバブルの中だけの話なのだろうか。少しボリューミーなこのシルエットをファッショナブルだと感じているのは私と周囲の女性だけで、やはり派手好きな女は“夜”を想起させてしまうのだろうか。

示唆深いそれらの視線を通じて、ついさっき女を売り払ったばかりの私は、世間に見透かされている気分だ。アリアナグランデが、つい最近になって3年ぶりの新曲で『why do you care so much whose I ride ? 』と勝気に歌ってくれていて本当に良かった。小学生の頃にたまごっちの主題歌だったBaby Iを好きになった可愛げのある幼い頃の自分を強く賞賛したい。home wreckerとも罵られた彼女が、『yes, and ?』と言ってくれていたおかげでギリギリ私の自尊心が今、早朝のJRの車内の中で、最もらしく保たれている。「人間には二面性があって、色々な背景があるんだぞ!」と私の内実を知りもせず、破れたストッキングの貧相な糸の解れを介して、私の体裁を観察する車内の人々に反論できそうな気すらする。そう思えば、何故こんなド平日の月曜日に、私が都内から横浜に蜻蛉返りしなければいけないのかについて、誰に知らす必要も全く存在しないのに、この独白のあり方とその公開範囲に悩み苦しんでいるこの女を、かなり間接的に肯定してくれている気がする。

ああ、自宅についたらさっさと歯磨きをしよう、洗い流すべき事象と体液の残像がありすぎる。熱湯を浴びたぐらいでどうにかなりそうにはないのなら、研磨剤ぐらいは強いもので、こそぎ落とさないといけない。人間の執念や怨念は末恐ろしいものだから、市販品のシャンプーぐらいでは私の肌の表皮に付着したその情念は、削り取れない。それに今日も、私以外は誰も知らない“色々な本日の背景” はさておいて、こなすべき仕事やら学業やらがあり、果たすべき社会的責任がある。自身の売った春に関して、内省し自責の念を過剰に感じている暇すらない。

帰り際に見つけたオクトパスエナジーの電気代見直しの広告で、やたらポップで怪しい代理店がまあそれなりにちゃんとしたところだと、知ってしまった。先延ばしにしていた代理店変更の云々にも手をつける必要が生まれてしまった。最悪だ。タコの広告のおかけで、今日で一番嫌いな街が渋谷から池袋に私の中でアップデートされたよ。ありがとう。

込み上がる自身への様々な側面からの自己嫌悪を飲み込んで、生唾を飲み込む。たぶんまだ自分の身体情報をリアルタイムでこうして焦るようにスマホのメモ帳に記録できている時点で人間としての吟醸は保たれている、と信じたい。だって、こんなに自分のことを愛することができないと、自分はとことん安い女だと自覚し、たった今無意識的に涙が瞼から内向きに生産されていても、私の生理的な欠伸は止まらない。眠気より、今はまだ自分の惨めで気色の悪い性質と現状を記録しようという人間らしさと執筆意欲が優っている。お願いだから、私のスマホへのガラケー打ちに必要なわずかな体力とタイピングに最低限必要な指先の暖かさだけ、この身の物理的な倦怠感を上回っていてほしい。生理的欲求よりも自身のなけなしの文学性が、私がまだギリギリ“中村京香”でいられている確固たる証拠として残っていて欲しいのだ。そのためには、今すぐに山手線の座席のヒーターが故障するか、予定より2分は早く京急乗り換え前の品川駅に着いてくれる必要がある。

勝った、もう品川だ。
ああ、頭痛が痛い。

遅延性の乗り換え

風が冷たい朝で本当に良かったと、電車を駆け降りた先のホームをスマホを片手に12cmのチャールスアンドキースの安いパンプスで闊歩しながら思う。たった昨晩手放した女としての最後のプライドが、どれだけ尊いものだったかを、こんなにも如実に私に教えてくれるのだから。

体内温度の低下と同時に、私の決死のタイピングのスピードは滞る。もう2度と双方向の会話を交わすことのないが、私のエッセイにも満たない備忘録の常時一番の読者であった元友人は、私のこの疾走感にも満たないリアルタイム性に身を任せ、自身の文学性の欠如を自らひけらかしているこの文章を心底笑うだろう。その予測すらももう、シュレディンガーの猫なわけだが、生憎このしょうもないスマホへのメモ書き活動のせいで乗り換えの電車に乗り遅れた。

本来の予定より13分も遅い電車で私は帰路に立つことになる。まあいい、横浜から最寄りのローカル線に乗り換えるいつものコースをなぞるより、今日は神奈川新町で急行から普通電車に乗りかえて、普段の自分の残像を感じずに家に帰りたい。はやく帰りたい。

だって今日だけは、どこまで自分を見失っても、一人で組み立てから何から何までをこなした“あの一人暮らし20歳の大学生には少し広すぎるあの部屋”だけは、如何なる男も連れ込まないと誓ったのだから。パソコン一つで生計を立て、自分以外の誰かの人生にできるだけの責任を持つと誓ったあの場所に、私と同じかそれ以上には腹を括った目をしている人間以外は招き入れてはいけない。その感情の防波堤すら壊れてしまうぐらいなら、もう生涯私は愛した仕事に胸を張れなくなってしまう。造花とありがちなFrancfrancの家具で装飾された、本当の資産家からしたらおままごとのような内装に彩られたあの部屋を私は愛している。だから、はやく帰る必要があるのだ。

こんな朝っぱらから神奈川に向かう人は少なく、大抵の人は羽田行きの急行に乗り込んで去っていく。私は今から乗り込む準急で今何故こんなにも久方ぶりに“書いている”のか、その因果を自己内省の履歴として書き記さなければいけない。自分の裸を見るより惨い現実を、曝け出すことでしか、私は私が本当の意味で反省をすることがないと、自分をよく知っている。

13分間の懐古

「何か誕生日に欲しいものない?」男にきかれたから、欲しいものはなんでも自分で買うことができるのでいらないよ、と言った。だって本当だ。別にグラフの指輪とかエルメスのピコタンとか、Diorのブックトートとか。Twitterでは港区女子御用達の三種の神器に対する物欲はもうない。ちょっとした小金持ちに瞬間的に成り上がって、少しばかり買い物のフィールドがLUMINEから百貨店に移ったぐらいで、万年途絶えることがなかった私の際限のない購買意欲はすっかり満たされてしまったからだ。沢山服があろうが、鞄があろうが、手にできない幸福みたいなものがあると、何百万かの浪費で気づくことができた私は、子供の割には聡い方だと自分を褒め称えた。だから、別に物に頓着はないという意味で冒頭のように発言したのだ。いつしか、私は人に資本を配り、切り売りしすぎて、もう誰かに何かをもらうことを求めないようになってしまったけれど。

発端は元いた会社で身勝手に社長(笑)が未払いにしたスタッフ(友人)への給料。後から「え、京香が払ったんでしょ?」ときょとんとした声色でソイツに言われたが、19歳(当時)が、役員でもなく株も所持していなかった体裁上だけ労働力として利用されていた会社の債権を個人的に引き受けて、100万以上の大金を3ヶ月もかからず精算するのは、普通なことではない。はずだ。

美談にするつもりも、誰からかの評価を願うつもりもないが、泣く暇をかなぐり捨てて入金したその金よりも、給与未払いの被害にあった彼らが“来月の友人との遊びや収支に関する心配”を強く患っていたことは想像するに難くない。その事実に目を瞑り、けつを拭く、友人をクソみたいな会社に引き込んだ責任をとる、ただそれに恩着せがましさは感じさせずに、気前よく払う必要がある、ということが、自身が“経営者になる”ということなのだと悟った。法的な範疇を超えた保証、なるジャニーズ事務所的な行動(笑)を、欺瞞なく、心から行う必要があった。

百歩譲ってそれはいい、ただその振込を自宅で一人行いながら、それでもなお仕事にふける私に、形式的な体調への心配以上の恩赦をかけてくれた人はどれだけいただろうと考えてしまう。

それからだ。払ったほうが楽だ、という脳死の私が、タカリを周囲に許すようになったのは。もう割り勘も計算も面倒くさい。だいたいでいいや、私からしたら今でも横浜から三ツ沢上町にいく210円を高いと思う感覚は顕在だけれど、私の衣服や趣味をみると、人々はそうは思わないらしく、それを訂正するほうが面倒くさい。パブリックイメージの億劫な修正作業より、堕落して金への頓着を捨てる習性が根付いた。駆け出しの癖に、経営者としては最悪だ。一刻も早く治そうと、努力はしている。人間になるべく会わないとか。まともな金銭感覚と倫理を持った友人とだけ飯に行くとか。

そう思うとなんでも買えるから何もいらないという私が、本当に何もいらないと思っている男とは関わる意味がないのだ。なんでも買えるってことは、買えないものが欲しいと、本当になにか意味があるものが喉奥から手が真っ先に出るほどに欲しいと、それほどに意義深そうな愛情を渇望しているということなのに、それすら読み取れない行間という感覚と教養がない男を、私は嫌いだ。もらえるものは貰っておこうと、膣の力と男女のアンバランスな恋愛市場の動向理解で上手く世渡りをしている様々な女たちを傍によけ、タクシー代を律儀に「いらないです」と返そうとする女の私が、唯一貰いたいものを、一ミリたりとも考えつかない。その想像性の無さが、貧乏臭い。女は無料風俗なんかじゃない。だからそんな男に無償で何かを提供する脈絡もない。

だから、結論。
やっぱり私は一人がいい。
一人で、いい。

だって、私は自分が信じた男に裏切られた後、強い決意を持って背伸びをして手に入れた96万もしたシャネルのバックより、スタッフが様々な元顧客(生徒たち)からかき集めてくれた誕生日祝いのメッセージカードたちが何よりも尊いと思えたのだ。

火事になってどちらか一つしか、マンションの下には持って出られないといわれても、たとえそのカードたちの元データが別にあったとしても、たとえそれらが口うるさい予備校講師の私にパフォーマンス的に書いてくれた甘言たちだとしても。私は、その印刷された愛しい美しい言葉たちを一ミリの迷いもなく選び、かき集め持って出る。

寸分の迷いもなくそう考えることができた自分を知覚した瞬間から、私はただ“この感情”のために生まれてきたと、もっと私は愛を他者に分け与える使命が自分にはあるとはっきりと知った。生まれてこの方、自分の生き様にそのような運命性を感じたことなんかなかったのにだ。何者かになりたい大学生を嘲笑しながらも、”何者かになりたかった自分”という偶像より、優先したい対象が生まれた。そして、私はそれが男や交際相手でなかったことに心底安心したのだ。

69分間の独白

懐古を乗り越えて乗り込んだ京急の普通列車は以外にも早く、最寄り駅に私を運んだ。げんきんでナルシストの私は急いでここまでのメモ帳にしたためた文章たちを文字数カウントサイトに突っ込む。もう私はこの69分間に、5000字も書いていた。

改札を足早に抜けながら、雑な抽送のせいでおそらくかなり傷ついている私の子宮が収縮して、痛みを訴えて、震えている。ただ、今はこの何ものにも変え難い感情の変遷と履歴を残しておきたい。

この感情は、
この感情だけは、絶対に忘れちゃダメだ。
いつも迷ったらここに立ち返ることになるんだから。

明るい横浜の治安の悪い街に向かう。12センチのヒールは駅の構内よりも地盤が悪く、雑に舗装されたアスファルトとめっぽう相性が悪い。当社比の3倍は煩い足音を響かせながら、私はもう朝の7時を回った空を見上げて歩く。

嗚咽らしき吐息だけが込み上がって、顔の筋肉がカッコ悪く伸縮し、それなのに塩分濃度が高い液体は私の頬を伝わない。鼻が寒暖差で冷たいと、寒気を啜っている最中に私はとっくに家に着く。部屋を開けるのは、私じゃなく、私の秘密基地を今宵、どうでもいい刺客の侵入から守った、上京中で短期滞在している妹だ。

ピンポンを押して、池袋の部屋を出て以来、やっとイヤホンを外した。アリアナの新曲をたぶんもう五十回は聞いた気がする。ファンキーなディスコを聴きながら、良くもこんな文章が書けたものだ。

さあ、さっさと校閲して、仕事に戻ろう。
ここに69分の間に私が、書ききれなかったことは
“行間”だと思って、好きに読者が想像すればいいのだから。


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