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ヴィーガン 私の葛藤

こんにちは、かやです。前回の投稿から1か月くらい経ってしまいました。大学のレポート地獄の山を越えたところで、菜食について考える時間をちょこっと取ろうと思います。

さて、お肉を食べない生活を初めて1か月が経ちました。はじめはペスカタリアンということで菜食を始めましたが、前回の記事では「ヴィーガンになりたい」と述べました。実際、あれから私は牛・豚・鶏・乳製品・魚・だし系をほとんど摂らないヴィーガンの食生活を実践してきました。ではなぜヴィーガンに移行したのか、そしてヴィーガンに対する葛藤についてお話します。

ヴィーガンに移行したわけ

菜食を始めた当初は、「日本食と魚は切り離せないし日本人として魚は食べよう」と思っていました。しかし、私が菜食を始めたのは
・環境破壊の問題
・動物の倫理の問題
を少しでも減らすためです。
ちなみに私の心の中では環境7割倫理3割。環境破壊については多くの人が語っているので、ここでは触れません。倫理の問題については、他の人と少し違うかもしれないので少し。私は猫アレルギーと鳥アレルギーを持っており、動物を飼った経験がないこともあって、動物を「かわいい!」と思ったことが実はあまりないです。だから「動物がかわいそうだから」という理由ではないのです。家畜動物は私たちの欲望のせいでひどい扱いをした後に次々と殺されていくのが許せないというか、人間の身勝手さを感じたからです。と私が菜食を始めた理由を考えると、、、
理由1:
魚を捕ることも環境破壊につながるし、魚の倫理も守られていないのに、なぜ魚は食べるのか。」という疑問が浮かびました。自問自答すると、私は「日本人として食べたいから。」といいました。あれ、おかしい。身勝手な人間を否定したくせに、自分も身勝手な理由で魚を食べているじゃないか。
理由2:
私は食べ物の好き嫌いが多い人が苦手です。私自身好き嫌いほぼゼロで、自分からは進んで食べない食材はあるが出されれば普通に食べる程度です。確かに嫌いなものの1つや2つは多くの人が持っているだろうと思うので、そこまで気にしませんが、あまりにも多いとわがままな人だと思ってしまいます。それによってお店選びにも困ってしまうので「○○は食べられるようになってほしいな」とか、仲良くしている人には言ってしまいます。
そんな私が「肉は食べないけど魚は食べる」というのがわがままのように感じ、自分が許せないと思ったんです。

以上の2つのわがままが許せなかったからヴィーガンに移行しました。

ヴィーガンの葛藤

ヴィーガンになることに対する葛藤よりも、ヴィーガンになった後、どこまで許容するかの葛藤の方が正直大きいように思います。

確固たる気持ちがあれば、実はヴィーガンを始めるのは意外と簡単です。特に日本食では肉も魚もない料理はたくさんありますし、きちんと自炊すれば幸せなヴィーガン食を楽しめます。困るのは外食です。

今日母と駅で食事を済ませてから帰ったのですが、駅ビルの数あるお店の中で、私が食事をとれそうだと思ったのは2店くらいでした。今日はパスタのお店でバジル系のパスタを豚肉抜きで注文しました。母は私が食べられるお店に行こうといってくれましたが、「魚さえ食べられたら外食は全く苦労しないのにね」と一言。多分「魚くらい食べても良いのに」と思っていると思います。
一緒に食事をする人を困らせたくないので、外食の時は魚や乳製品は許容しようと思ったのですが、いざ食事に行くとやはり進んで食べたいとは思えませんし、無理して食べるのも変だと思います。でも相手もある程度我慢して店を選ぶことを考えると、無理してでも食べた方が良いのかな思ってしまいます。自粛中なので友人と遊びに行ったりすることはないので、まだそういった問題には直面していませんが、家族とでも考えることがたくさんあります。

政令指定都市の駅ならば食事に来る人にも多様性があるはずなので、「1店舗1菜食メニュー」みたいな制度が導入されたらいいなあ~・・・と考える今日この頃です。

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