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ゲームでつくる理想のおうちをリアルに再現!?「村をつくる」はリアルなあつ森【noteをホッピング③】

こんにちは。シェアビレッジ広報の鈴木です。
過去のnote記事を再解釈するnoteをホッピングシリーズ。

今回ご紹介するのは2021年の10月に公開した丑田代表のこちらの記事!

楽しそうなタイトルと裏腹に、内容は少し難しめ。

コミュニティ初心者の大学生インターン鈴木が、執筆者の丑田代表、キュレーターの赤坂さん、清田さんとお話ししながら読み解いていきます。

先に過去記事を読まなくても楽しめる、予習不要の記事になっています!
本記事をご覧いただいた後、過去記事をお読みいただけると数倍楽しめること間違いなし!


テクノロジーで生産コストはゼロになる?

鈴木:この記事、面白いんですが難しいですね。

数年前に巷で話題になった『限界費用ゼロ社会』(ジェレミー・リフキン著)という本がある。テクノロジーが加速度的に進化していくことで、徐々にモノやサービスを生産するコストがゼロに近づいていくという考察だ。

「村をつくる」はリアルなあつ森?!コモンズとテクノロジーの関係

ここまでは理解できた気がします。テクノロジーによって移動コストや輸送コストが減ったり、形あるものがオンライン上で手に入るようになって材料費が減ったり、生産コストがゼロにはならないまでも少なくなっていくのは納得です。

ただ、このあとにわからないポイントが。

その過程として、「共有型経済(シェアリングエコノミー)」が盛り上がりを見せていく。たどり着く先は、売り手・買い手の境目が溶けた「生産消費者(プロシューマー)」による「協働型コモンズ」、と予測する。

「村をつくる」はリアルなあつ森?!コモンズとテクノロジーの関係

「売り手・買い手の境目が溶ける」ってどういう意味なんでしょう?

消費者が生産者にもなりうるということなのか、それとも本当に生産者と消費者という概念が薄れていくのか。


丑田:今まではみんながそれぞれ設計図を作るからコストがかかっていたんです。

でも今は、世界の誰かが作ったものをオンライン上で公開すれば、それを世界中の人たちが使えます。今まで情報を手に入れるのにかかっていたお金が、ほぼ無料になる。

そうなってきたときに、その情報を無料で利用して新しいものを生み出す人って果たして生産者なのか消費者なのか。


鈴木:なるほど。生産したものを無料で利用する人がいて、その人がまた生産するというサイクルが生まれるんですね。

私が「ここまでは理解できた!」なんて言っていた、生産コストが下がるっていう部分も、私が解釈していた以上の意味を含んでいて、情報を手に入れるためのコストが限りなくゼロに近づいているというイメージでしょうか?

身近な例でいうと、今までは本を買わないと手に入らなかった情報がインターネットで無料で手に入ったり、CDを買わないと聞けなかった音楽がYouTubeで無料で聞けたり。

これと同じようなことが、製造業や建築業の設計図や、エンジニアリングのソースコードでも起こっていると考えるとわかりやすい気がします。


丑田:もっというと、昔は個人の所有物っていう概念が今ほどぱきっとしていなかったと思うんです。

家を作るにしても、みんなのものである山から木を切り出して、みんなで家を建てた。建った家も、集落のみんなのものだった。

資本主義や高度経済成長によって個人所有になっていくにしたがって、生産者と消費者が生まれたけれど、これからの時代はテクノロジーによって、この関係がまた変化していくのではないかと思っています。


鈴木:テクノロジーによって所有がなくなると考えると少し難しいけれど、昔の人たちが山や木などをシェアしていたように、次は情報をシェアするようになると考えると、確かにどちらも「所有」が明確じゃないですね

昔は「みんなのもの」だった資源を個人が分けて所有するようになったけれど、今またテクノロジーを通して、新しい「みんなのもの」が生まれている。


テクノロジーでコミュニティは広がるのか狭まるのか

テクノロジーの発展は、どちらかというとアナログな世界の手触り感やつながりを弱めていくように見られがちだし、実際そうしたことも起きる。けれど、その先に「コモンズ」や「コミュニティ」という合言葉で合流するかもしれない、という視座は面白い。

「村をつくる」はリアルなあつ森?!コモンズとテクノロジーの関係


鈴木:
「アナログな世界の手触り感やつながり」が弱まったという部分を読んで、コロナの影響を思い出しました。

私は高校2年生の時にパンデミックが始まり、そのまま大学に入学、もうすぐ大学生活も3年目に入る世代なので、あまりコロナ前後の比較ができず…。

この前後でコミュニティの在り方ってどのように変化したんでしょうか?


赤坂:不必要な飲み会が減ったことで、「そんなに仲良くないけど知ってるやつ」が離れていきました。ほんとに共有したいものがある人との関係だけが残っていったともいえます。

偶発的な出会いはほぼなくなりましたね。


清田:
私はコロナ禍に今暮らしている沼津に引っ越して、そこからコミュニティを感じる生活になったので、直接コロナ前後で比べるのは難しいんですが…。

私は音楽をやっているので、それが集まれなくなったのは大きな変化だったと思います。

オンラインでつながることもあるんですけど、共通の友達がいる前提だから、コロナ禍だからつながれた人ではないのかな。


鈴木:そうなんですね。

私は逆に、今まで東京や大阪で集まっていた学生のコミュニティがオンライン上に移行したことで、出身地の愛知県や今いる秋田県では参加できなかったイベントに参加できるようになりました。

コロナ禍で高校から大学へと環境が大きく変わったので、必然的にコミュニティが広がったり、逆に高校時代の知り合いとは今までより疎遠になったりしたこともあり、あまりコロナで関係性が薄れたと感じたことはなかったので意外でした。

小中学生達の放課後を見ていると、「あつまれどうぶつの森(以下、あつ森)」や「フォートナイト」の中で友達と待ち合わせをしたりもする。バーチャルのみの付き合いや人格もあれば、リアルな世界と地続きだったりもする。自然と行き来をしている、というか、“行き来”と認識していないくらい自然だ。

「村をつくる」はリアルなあつ森?!コモンズとテクノロジーの関係


丑田:オンラインでつながるというのに抵抗がない世代なんでしょうね。

小学生たちを見ていても、物理的に集まりにくい状況でも、家からオンラインでつながってゲームをしている。リアルとバーチャルが地続きになっている感じがします。

ただ、やっぱり五感でコミュニケーションをしていくという点については人間の本能的に必要な部分じゃないかなとも思います。


鈴木:世代なのかわからないんですが、私はリアルで会うかバーチャルで会うかであまり親しみやすさに差がない気がしています。関係があるとしたら会う頻度。

大学入学直後はみんな同じ寮に住みながらオンラインで授業を受けるという不思議な状況だったんですが、1週間に3-4回対面で会う隣の部屋の子よりも、毎日3時間オンラインで会っていたクラスメイトとの方が親密な関係を築けました。

彼らと対面であってもあまり接し方は変わらないかな。


柔軟にホッピングできるコミュニティ

鈴木:丑田さんが記事で引用されていてとても興味深かったのが、このFacebookに関する記事。

大規模コミュニティが作られると新たな課題が発生します。それは、誰もに情報をさらけ出すような環境ではなく、自分と親密な関係の人たちとのやり取りを重視しようとする動きです。社会インフラとして働くFacebookは、より小さなコミュニティに主眼を置いた開発が求められています。

拡張時代の到来で起こる「3つのこと」


丑田さんも記事でおっしゃっているように、世界中の人とつながりあえる時代に、手触り感のあるコミュニティに立ち返る動きはシェアビレッジにも通ずるところがありそうです。

一方で、こちらも気になりました。

Facebookの機会平等の戦略は、小さなコミュニティが積み重なり、今以上に多くのサービス機能を与えられたユーザーが作り出す巨大コミュニティとなります。

拡張時代の到来で起こる「3つのこと」


小さなコミュニティが集まって大きなコミュニティを作る。

一見するとこれもまた、小さなコミュニティがゆるくつながりあってプラットフォームを構成するシェアビレッジと似ているように感じます。

そこで気になったんですが、シェアビレッジの今後のビジョンとしては、テクノロジーを用いて、シェアビレッジを通してつながるコミュニティを「巨大」にしていきたいという思いはあるんですか?


丑田:コミュニティごとに、あるいはその人ごとに、居心地のいい大きさがあると思っています。

ゆるくつながりたい人はゆるくつながればいいし、強烈に結束したコミュニティがあってもいい。それらを横断している人がいてもいいし、物理的に住んでいる場所のコミュニティで生きている人がいてもいい。

大事なのは一人一人が選択できること。

1つ1つのコミュニティの膜が完全に閉じ切らず、自由さや多様さのある状態にしたいです。

「自分のポリシーはこれだ!」って決め切らなくても柔軟に行き来できるのが理想ですね。


ゲーム内の理想のおうちをリアルに再現!?

鈴木:丑田さんはラーニングビレッジのゼミで、デジタル集落を秋田に作ってらっしゃいますよね?

そこでは具体的にどのようにテクノロジーと向き合っているんですか?


丑田:さっきの話と関連したところで言うと、デジタルファブリケーションという技術を使っていて、木材の加工がとても楽に、低コストでできるようになります。

面白いのは、素人でも子どもでも比較的簡単に使えること。
自分の性別とか年齢とか体力とか関係なく、データを出力することで木材加工ができるんです。

本当に大変なところはプロの手を借りつつですが、自分たちの手でできるデザインや、危険じゃない部分の組み立てとかはできるだけ自分たちでやりたい。

この技術を使えば、将来、日本の小学生が作った本棚のデータをSNSで公開して、それを使ってほかの国の子どもが本棚を作るなんてこともできるようになります。

そこにオリジナリティを加えることも可能。「色を変えたい」とか「ここに角つけたい」とか。

子どもが自分の理想の子ども部屋を作れたらなんか楽しそうじゃないですか。


鈴木:楽しそう!

記事のタイトルだった「リアルあつ森」って言葉がしっくりきました。

今までゲームの中で作っていた理想のおうちやお部屋が、リアルに再現できるということですね。


丑田:そうそう。

そして冒頭で話したように、そのためのコストもぐんと下がっていっている。めちゃめちゃ金持ちじゃなくても「リアルあつ森」を楽しめる時代が来るかもしれません。

そうすると地球上が遊び場にみえてきます。
ひとりでやっても寂しいじゃん!ってなってコミュニティができていったりする。

今作っている集落がその実験村になる予定です。


鈴木:めちゃめちゃ楽しそう!

丑田さんのゼミではこれからもみんなで集落をつくっていくんですよね?

先日のワークショップも楽しそうでした。

デジタルファブリケーションで木材の加工中

興味のある方は、ゼミへのご参加をお待ちしています!

YouTubeでは丑田代表がコミュニティやデジタル集落についてお話しする動画を配信中!1分でサクッとご覧いただけます。ゼミへの参加を迷っている方はまずはこちらをチェック!

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あつ森ブームから見るポストコロナの社会
大量消費の時代になぜクラフトは流行ったのか
地元の木材で作るネオ集落
五城目から始まるコミュニティのある暮らし

今回引用した記事はこちら

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