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呪いの考察、考察の呪い〜『THE CURSE/ザ・カース』【ドラマ感想】

さすがにこれを観て何も書かないわけにはいかないので、書き始めてはみたものの何から書けばいいのか分からない状態ではある。ひとまず概要。『THE CURSE/ザ・カース』というアメリカのドラマで、日本ではU-NEXTで独占配信中。

《あらすじ》
主人公は新婚夫婦のホイットニー(エマ・ストーン)とアッシャー(ネイサン・フィールダー)。2人は若き不動産業者で、ホイットニーがデザインしたエコ住宅を導入することで地域を活性化させるプロジェクトを推進している。さらにTVプロデューサーのダギー(ベニー・サフディ)と組んで、自分たち夫婦をメインにしたリアリティショーを売り込もうとパイロット版の製作の真っ最中。しかしアッシャーが街中で出会った少女に“呪い”をかけられたことをキッカケに、仕事でもプライベートでも不穏な空気が流れ始める。

(MOVIE WALKER PRESSより)

エマ・ストーンが、カナダのコメディアンであるネイサン・フィールダーと組んで、A24を背負って製作した本作。確かにあらすじの通りのドラマであるが最終話まで見ると全てどうでもよくなる程に奇妙な心地になるはず。どうにかしてこのドラマが描こうとしてるものを掴みたく、書き記す。

リアリティーショーの果てに

リアリティーは現実ぽさ、リアルは現実そのもの、という使い古された区分を用いずとも"リアリティーショー"という言葉から薫る胡散臭さは現代において誰もが共有してしまっている。自分たちの理想像を見せる場としてリアリティーショーを選んだ時点で、本作の主人公夫婦はズレきっていたのだ。案の定このドラマは思惑を外れ、2人の不都合なリアルを映し出していく。

ホイットニーはにこやかでいて利己的な人物。周囲を困惑させつつ自分たちの作る家を正しくて素晴らしいものに見せようとする。ヤラセ、取り繕い、犯罪の隠蔽など数多くの目に余る行動もキツいが、彼女がデザインしたSDGsなカーボンニュートラルハウスの見た目がマジックミラー住宅としか言いようのない代物で輪をかけてキツい。これを芸術作品であると言い張って知人のアーティストと肩を並べ芸術論を語り合おうとするイタさは苦笑を誘う。

ガラス貼りの家には鳥が誤って突っ込みがち。

アッシャーは基本的に妻の言うことを聞くどっちつかずな人物として序盤は描かれ、そんな自分にどこか嫌気が差している様子。しかし製作途中のパイロット版を観たモニターから「面白くない」と言われたことで拗れてしまい、ユーモアセンス講座という、ユーモアがないことが確定してしまうコミュニティへ参加するようになる。募る苛立ちは逆噴射するように八つ当たりや突飛な行動を引き起こし、得も言われぬ残念さを身に纏ってしまうのだ。

自分の行動が正しいと思うのならば黙ってやればいいし、本当に素晴らしいものなら結果も伴うだろう。また人の価値は決して"面白さ"のみで決まらないのは当然だ。しかし、こうしたアピール欲がリアリティーショーという現場において引きずり出されてしまう。これは人が本来隠し持った資質、というよりはSNSなどの台頭で承認欲求の優先度が高まった現代に特有の後天性の現象であろう。本作はその愚かしさを悪い笑いに乗せて突き刺していく。

このドラマは大半を隠し撮りのようなアングルで捉え続ける。リアリティーショーの裏側を描くドラマを、あたかもリアリティーショーかのようなアングルで映し出すのだ。劇中で2人の関係性を搔き回していくプロデューサー・ダギーは本来は裏方の存在だが、このアングルでは表舞台に出ざるを得ず、彼の出世欲に満ちた下世話な振る舞いも画面上に晒される。このアングルの前では全てが無力、という大いなる眼差しがこのドラマには宿るのだ。



何もうまくいかないケース

本作はあらゆる目論見がことごとくうまくいかない様に笑うしかなくなるという類のコメディだ。ホイットニー、アッシャー、そしてダギーも結果からすれば良くない選択肢を選び続け、良くないことが起き続ける。このきっかけとなるのが、あらすじにもある少女の"呪い"。アッシャーのケチり、そしてホイットニーの過剰反応が原因となり、"呪い"は2人の日々に影を落とす。

タイトルの"CURSE”とは"呪い"を意味する言葉で、本作の主題と言える。呪ってやる!と人に言われたら、少しビビった上でバカバカしいと自分に言い聞かせ、でも少し気になり続けてしまうだろう。そんなこちらがうっかり抱えてしまった"呪い"の効力は自分の認知次第ということもあり非常に厄介だ。うまくいかないことが続けば、その全てが"呪い"の根拠になる。うまくいかないから呪い、呪いだからうまくいかない。因果も混乱し始める。

こうした、うまくいかないことへの恐怖というのは、ネイサン・フィールダーが2022年に手掛けたリアリティー(?)ショー『リハーサル ネイサンのやりすぎ予行練習』でも主題になっている。この番組ではネイサン自身がホストとなり、人生の重大な局面を控えた一般人(?)をゲストに迎えて、その局面を想定して何度も何度もリハーサルを行う。うまくいかないリスクをなるべく低くするために、あらゆる選択肢を想定してリハーサルを行うのだ。

本物そっくりの建物のセットを作り、役者を何人も呼び、その場面を練習する。18歳までの子育てを練習するとなれば、年齢別の何十人もの子役を用意し、夜間は労働基準法に準ずるべく赤ちゃんロボを配置するという徹底っぷり。そんな予行練習の世界に身を置くうちに、ネイサン自身の不安が顔を出し、自分の人生、また関わる他者の人生についての予習や追体験を番組内で行い始める。彼の作品においては失敗への不安が物語の推進力となるのだ。

この番組を踏まえて考えると『THE CURSE』はあらゆる選択肢の中からうまくいかないケースを取り出して繋げたような徹底した不穏さが漂う。様々な不安をイメージしながら、シミュレーションを繰り返すネイサンだからこそ選び取れた、嫌な展開のオンパレードである。とりわけアッシャーに襲いかかる"チキン”の呪いが印象深い。随所に"チキン"が現れ、不安とともに笑いを呼び起こすのはもはや大喜利芸だ。執着が笑いを生む、奇跡のバランス。



最終話

とはいえ、今までの話は前段である。ここまでの文章で興味を持っていただけたならばひとまずこの項は読まずにおいて欲しい。それほどに、このドラマは最終回が突き抜けすぎている。まず幕開けから強烈だ。9話の終わりで最悪に不穏な空気が充満しきっていたのにその状況が変わっている。そして"呪い"に対しての(自己満足的だが)解決が得られた翌朝に事態は一変する。

朝目覚めるとアッシャーが家の天井に貼り付いているのだ。ホイットニーはベッドにおり、当然に戸惑う。なんとか下に降りようとするが浮力が強く、宙に浮いてしまう。しかもホイットニーは臨月で、この朝に陣痛が始まってしまう。そうこうしている内にアッシャーは外に出てしまい、庭の木にしがみつき何とか耐える。しかしアッシャーは助けに来た消防隊員にしがみついていた枝を切られてしまい、空へと飛んでいく。宇宙まで飛んでいくのだ。

このくだりがラスト40分を占め、呆気に取られてしまった。何と解釈すれば良い?と頭を抱えた。ここまで描いてきた諸問題の解決でもなく、散りばめた伏線の回収でもなく、夫が宇宙まで飛んでいくという破綻した結末である。挙句、妻は無事に男の子を出産する。終盤はこのシーンが交互に描かれるが、実に難解な対比だ。この投げ出され感こそが狙いなのかもしれない。しかし頭を捻ると、やはり"呪い"という主題に連なるように思えてくる。

アッシャーは酷い仕打ちを受けるもホイットニーから離れられなかった。"短小"を気にするあたり、旧来的な男性価値観に縛られてきた人物であろうし、変えられない妻との主従関係を彼の無意識は拒んでいるように見える。劇中では"父親になる重責から逃れようとした"と彼の浮遊は形容されるが、実際はより広い意味での男性性からの逃避願望が根底にはあるように思う。少女に呪いを掛けられる前から、自分で掛けた呪いが彼の中にはあったのだ。

そしてホイットニーの中にも"呪い"はある。これは血縁にまつわるものだ。悪徳不動産と名高い両親を拒みながらも、自分も同じような仕事を選んでいる。"子どもを持って欲しい"という両親の願望からも逃れられていなかった。彼女の出産によって描かれるのは呪いとの同化、または受容のようなものであろう。憎む両親と同じ、子を持つという状況に自分の身を置くことで、血縁の呪いを無意識の内に肯定しようとしている。そんな風に見えた。


人間関係の連鎖によって生まれる呪いのような"うまくいかなさ"から逃れるべく生物すら関与できない宇宙へとぶっ飛ぶ。または自らもその連鎖に身を置き、子育てという形で受容していく。両極端ではあるが、どちらもこの世界からの逃げ方を皮肉まじりで見事に捉えている。妙に感傷的に失われた友情について後悔するダギーの姿と、空を飛ぶアッシャーを見世物として楽しむ大衆を対比して閉じていくラストも、"自分自身が抱えた呪い"すらもエンタメ化されてしまう地獄を象徴しているように見えてきて、ゾクっとした。

整理整頓された確かなメッセージが喜ばれるこの時代において、この作品の結末はかなり贅沢な不条理体験である。ゆえに、こうして解釈してしまうと取りこぼしている興奮もあるように思えてもどかしい。この作品を観た方であれば、この異様な余韻を共有できるはずである。考察をしては勿体ない、と思いつつも、考察、というか考えて考えて考えまくるという行動からは逃れられない。自分に向けても容赦なく放たれてしまったこのドラマの呪いの作用が不安で仕方ないからこそ、考えてしまうのかもしれない。そういう呪いだとも思う。何言ってるんでしょうね?分かりません!



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