瞑想って何?/09.瞑想する人の性質①
瞑想する人とは誰でしょう?
当然、私。
はい、そうですが、もっと深い意味で、
どのレベルでの「私」でしょうか。
瞑想する人は私の中の「ベーシックパーソン」です。
和訳するなら「基本の人」
例題を使ってベーシックパーソンを発見してみましょう。
今、PCやスマホなどの画面を見ていますね。
どうぞその画面を見て、集中してください。
(そのまま、目を閉じるという行いはしないでくださいね)
その状態のまま、その画面を見ないようにしてください。
できますか?
不可能です。
では、次に手で拍手してみてください。
・・・・・・・・
あなたはどうしましたか?
拍手した人と、拍手しなかった人がいるようです。
拍手しなさいと言われたので拍手しました、という人。
ちょっと今そういう環境じゃないので拍手しなかった人。
拍手したくないから拍手しなかった人。
いろんな選択をする人がいます。
拍手は「意志」に基づくものです。
一方、「見る」というのは意志に基づいていないのです。
対象物があって、目が開いていれば、光景は勝手に飛び込んできます。
意志に関係なく、必ずそうなります。
(※視覚に障害のある方にはあてはまりません。ごめんなさい。あくまで例えなのでご理解ください)
この「見る」人がベーシックパーソンで、
意志をもって行いをする人はその後の人です。
お花を見て、それを摘みに行きます。
まず最初に「花を見て」、その後に「花を摘みます」
順番が逆になることはありません。
花を見る人は意志に基づかないが、花を摘む人は意志を使っています。
認識する人がベーシックパーソンで、
選り好みから無縁で、極めて客観的です。
・ベーシックパーソンの私(見る人)
・行い手の私(意志を使って何かを選択する人)
・考えの私(意志や感情など)
・肉体の私
他にどんな私がいますか?
「私」の中にどれだけの私がいますか?
どの私を「私」と呼んでいますか?
その私は、私以外とどのように関わっていますか?
(次回に続く)