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ちょっとアホとさえ思っていた夫を尊敬するようになったきっかけ

これは懺悔なんだけど、私は出会った当初、夫のことを
「こいつちょっとアホなんちゃうかな」
って思ってました。

あ、ちゃうねん。
ちょっと待ってください。
さすがにアホは言い過ぎた。
そうじゃなくて、えーと…。

何て言えばいいのかな?
「知性がない」…?
「考えが足りない」…?
(あれ、フォローするつもりが墓穴掘ってる…)

例えば、私が「一般教養」と思っているようなことを夫が知らないとか、一緒に映画を見ても考察も感想もなく「良かった」の一言しか出てこないとか。
そんな積み重ねで、「この人、すっごくカッコよくて素敵なんだけど、そういう面ではちょっとアレなんかな」って思ってたんです。
(表現を濁せば濁すほど酷い感じになる…)

とまぁ失礼にもそんな事を思っていた私なので、結婚3年目の夏に夫が「脱サラしてゲストハウス作る」と言い出した時は不安しかありませんでした。
「浅慮で向こう見ずなこの夫に起業なんてできんのか?絶対失敗せんか?」って。

ところが、私の予想に反して夫はゲストハウスを大成功させ、どんどん店舗を増やして会社を成長させました。
ビジネスにおける夫は
・トレンドやマーケットを的確に分析できる
・多角的に物事を判断している
・常に数歩先の事業の未来を見据える
などなど、それまで私に見えていた夫とは別人でした。

何年間も一緒にいたのに夫のこと全然見えてなかったなんて。
もし彼が起業していなかったら、彼のビジネスの才覚に気づくこともなく、今でも「ちょっとアホな夫」と軽く見下し続けていたのかもしれません…。
ごめんね夫。

これほど近くにいる人のことでさえ、すべてを理解することは不可能なので、私にはこれからまだ何十年も「夫の知らない一面を知っていく楽しみ」が残されるってことかもしれません。
そしてこれは私にとって「最も贅沢な趣味」でもあり得る。
なぜなら、「他者を深く理解しようと努めること」こそが、私の人生にとって一番の興味関心事だからです。

ただし、夫は「自分の感情を語ること」が極端に不得手です。
いや、不得手と言うより、必要性も感じていないし、したいとも思っていないし、そういう事はわざわざすべきでないと思っているふしがあります。

例えて言うなら、「他者を深く理解したい」と願う私は、「お互い素っ裸になって体の隅々まで全て見せ合いたいな」と思っているんだけど、
対する夫は、「ふつう裸で外を出歩かないし、たとえ夫婦でもわざわざパンツを脱いで陰部を詳細にチェックし合ったりするもんでもないでしょ」、という感じ。

なので、私は時々どうしてもその「私の願いの届かなさ」に対して無力感を感じてしまうのだけれども、
それでも、きっともっと些細なところからでも、私は夫の新しい一面を見つけようとし続けるのだろうと思います。

やり過ぎて「これ以上何もないって言ってんのに、まるで何か隠しているものがあるかのように詮索してくるのマジでいやだ」って言われたこともあって、涙目ですけどね…。

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