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読書感想文 #14 『15の夏 上』

みなさんこんばんは。今月最後の金曜日、いかがお過ごしでしょうか。

9月も残すところあとわずかですね。

本日は下記の本をご紹介したいと思います。

15の夏 上 

佐藤優 著

1975年に、埼玉県の高校1年生であったマサル少年が、夏休みを利用して、当時社会主義体制だった東ヨーロッパとソ連をひとりで旅する話です。

受験で難関高校に合格したご褒美で、お父さんからのプレゼント。元々ペンフレンドだったフィフィというハンガリー人の友達のところにも途中寄ります。

目次

第一章  YSトラベル

第二章 社会主義国

第三章 マルギット島

第四章 フィフィ

第五章 寝台列車

旅程

羽田(まだ成田も開港していない)→カイロ(エジプト、乗り継ぎ)→チューリヒ(スイス)→プラハ(チェコスロバキア)→ワルシャワ(ポーランド)→ブタペスト(ポーランド)→ブカレスト(ルーマニア)→キエフ(ソ連)

※ソ連の旅は、下編で書かれています。

あらすじ(一部抜粋)

40年以上前の話でありながら、かなり事細かくかかれており、なかでも食事の内容や味がどうだったまで覚えているのは相当スゴく、おそらく日記等で記録していたのでしょう。

マサル少年は、まずビザと旅券の取得に旅行会社に通い詰めます。

そこで若い女性職員にアドバイスを受けたり親切にされ、旅券を購入し、ビザを取得しに、東京の大使館まで行きます。

最も安くいけるエジプト経由のヨーロッパ行の飛行機で旅をすることになります。

マサル少年は、旅先で様々な人と出会いますが、決して英語が堪能ではないものの、必死で使い、現地の人も英語がわからない人もいるときは、辞書を引いたりして悪戦苦闘します。

東欧諸国」と一括りにしまいがちですが、ポーランドやハンガリーはフレンドリーで、マサル少年は現地の人と仲良くなります。同世代の人たちと語り合ったりしますが、日本の受験戦争の話等をしますが、まぁつまらないこと。

一方で、ルーマニアは、悪名高きチャウシェスク独裁政権の真っただ中で、外国人が泊まれるホテルもほとんどなく、交通機関も発達しておらず、観光を受け入れる体制が整っていない為に、マサル少年はトラブルで大きく挫折してしまいます

予定していたソ連のキエフ(現在はウクライナ)へ行く夜23時の寝台電車にマサル少年が乗ろうとしたときに、乗車券は所有していたものの、指定席券を持っておらず、車掌がだからと言ってその場では売ってくれないとなり、揉めて、結局乗れずに電車が出発してしまい、その場で泣き崩れてしまいます。

その前日に、街中の外国人用切符売り場まで買いに行き、切符を購入する時に、マサル少年が、職員が言った「指定席券は当日でないと買えない」という言葉を理解できなかったのが原因のようですが、絶望の淵に落とされたような気分だったのでしょう。

それを見かねた駅員たちが、マサル少年から事情を聴き、食事を与え、次の寝台車を案内してあげて事なきを得ます。

その後ソ連に到着しますが、監視が厳しい代わりに、必ずガイドがつき、それまでの国とは全く別の環境となります。

感想

現在と全く異なる情勢で、東西冷戦の頃に東欧に旅行するなんて、大人でも難しいような時代に高校生がひとり旅をしたというのはスゴイですね。

ボクが高校1年の頃を振り返って、このような旅ができたかと考えたら、絶対無理だと思います。

ボクが初めてひとり旅を海外でやったのが25歳でアメリカに行ったのですが、今思えば、正直それでは遅すぎました。

感受性の豊かな10代半ばくらいに、日本とは全くことなる環境に、一人でポーンと放り込まれて、必死に生きようとすることで、得る経験値は、何物にも代えがたいと思います。

マサル少年は自らの意思で、当時の日本では、謎のベールに隠されていた”東” の「東欧」「ソ連」を旅したのです。

その後、佐藤優氏は、外務省職員となり、ロシアのエキスパートとなります。

屈強な外国人とタフな交渉をするには、勉強ができるだけではダメなんですね。若い頃の経験が重要なようです。


それでは、また。


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