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2022.6 美座療法の実践を通じた体感的考察(一部 Crystal Medicineの知見あり)


1 「懺悔と感謝」がもたらす身体変化

懺悔は、体の中の汚水が抜けていく感じ。下がっていく感じ。
感謝は、空の体に清水が満たされていく感じ。上がっていく感じ。
美座療法による施術は、体の中から聖水が湧き上がってくる感じ。 

これは、人体が発するエネルギーの振幅(周波数)が変わっていっているのではないか。未言語コミュニケーションによる分析で、さらに粒度・解像度を上げて捉えること・説明することが可能だと推察する。
(Cf. 江本勝. (2001). 『水は答えを知っている』. サンマーク出版.)

2 美座療法における自己治療が「立位」もしくは「正座」の理由

立位と正座以外の体位では、物理的要因を始め、体の感覚に濁りが出る。したがって、自我を排して己を空虚にして(=クリーンにして)、大きな流れの中の力(人々は、これを神様や精霊や霊氣と呼ぶ)が通れるようにする。それらのお力を借りられるようにする。この己を空にする営みは、武学の観法に同じく(武学の観法にヒントを見た)、自然体でないと出来ない。だから、感謝と懺悔を行う姿勢が立位か正座というのは、観法的(武学的)に理に適っている。

逆に、正座以外で観法は出来るのだろうか。アストラル体に入る瞑想の最後は胡座だったが、果たしてどうだろうか。また、これは後手縛りや胡坐縛りなど、捕縛術が源流とされている現代緊縛に受け継がれた技が取る体位でも、同類の体層変化は見られるのだろうか。

3 感謝と懺悔の正体 − 生体エネルギー転換の振れ幅

感謝と懺悔というのが、エネルギー転換の振れ幅を作る。“表裏”、“プラスマイナス”、“陰陽”など、感謝・懺悔のどっちがどちらに相当するかは、まだ分からないが。美座療法における感謝と懺悔という、日常生活でも当たり前であるが重要な実践は、エネルギー転換の説明を論理的に行う際、こうした別の教義や実践(主に東洋の武術や伝統医療)に見られる符号で置き換えられるんじゃないか。こうした符号の枠組みでも説明ができるのではないか。 

東洋医学や東洋哲学、もっと言えばネイティブアメリカンやアボリジニなども含む古来からのヒトの営みは、大きな世界とつながることを志向し、それを当たり前とし、そうした世界の力を利活用し、自身もその大きな流れの中に利活用してもらっていたという点で、本質的には同じこと。

さて、例えば懺悔が陰のエネルギーのシンボルというか置き換えで、陽のエネルギーが感謝だと推察する(仮定する)。これは陰と陽の波長や波動の振り幅、すなわち差分が重要であり、どちらかだけではエネルギーが循環せずに、飽和する。だから、感謝と懺悔(異なる身体性による瞑想とでも言おうか)のどちらもが必要になる。その両方を、崩れた身体が求める。

最近、私が“感謝”ができなくなるとき、お腹いっぱいという感覚になるから。それは懺悔によって、再び感謝(の身体性、エネルギーの振幅)が入れられるようになる。なぜなら、体を満たしていく感謝に対し、懺悔というのは体を空にしていく営みだから。だから、両者による体の感覚を相互に(交互に)作ることによって、身体の調和が取れる。

このように、懺悔がある波長や波動に向かって行くなら、その反対を(交互に)やることで、逆側に感謝ができるスペースが開いてくる。波打つ、振り幅が大きくなるという感じ。そういう捉え方なんじゃないだろうか、陰陽というのは。実際、「男の気の流れ」、「女の気の流れ」が逆回転で存在する。また、ネイティブアメリカンとアボリジニのシャーマンたちの体系にもmasculine energy(男性的エネルギー、男性性)とfeminine energy(女性的エネルギー、女性性)が明確に登場し、物理世界に異なる作用をもたらす根源として実践に取り入れられている。 

そうやって見たときに、誰かに触れたり、下手をしたら近づいただけで、もらう、食らう、移る、憑く、ということが起こりうる。これは、例えば2者の持っているエネルギーの質(周波数?)が異なる場合、接触したら次の3つのパターンでエネルギーの転換や移動、変化が起きていると予測する(今回は、陰陽で記述)。 

  1. 【侵食】陰の者が強ければ、陽の者も陰化させられる(逆も然り)

  2. 【グラデーション】陰と陽が溶け合って半々となる

  3. 【オセロ】陰陽が逆転する(陰の者は陽に、陽の者は陰に入れ替わる) 

こういうことを繰り返す可能性があるんじゃないか。そして、これというのは、実は昔のちっちゃい子の遊び(ケイドロ、氷鬼、鬼ごっこなど)のルールの中にも見て取れる。つまり、タッチすると何かが移るのである。これは、日常生活に汚れや穢れという概念が根付いていた証左ではないだろうか。こういう児戯にも、身体(感性)文化が入っていたんじゃないか。昔の人は、自分と他者のエネルギー(波動・周波数)に対して、そういう感覚を持っていたんじゃないか。

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