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かおり
2022年7月9日 23:46
同行二人読み方:どうぎょうににんお遍路などの巡礼、霊場巡りにおいて、常に自分には弘法大師がついていてくれる、弘法大師が共にいてくれるという意味で書きつける語。一方、キリスト教の世界においても、似たような有名な話がある。キリスト教会において親しまれてきた「あしあと(フットプリント)」という詩があります。今日は、この詩と、この詩についての伝えられているエピソードを紹介します。あしあと
2024年6月14日 00:36
大渕寺の観音堂は、明治・大正と二度にわたる大火災で観音堂を全て焼失した。その後、本堂と観音堂を兼ねた仮堂として再建されていたが、平成8年(1996年)裏山を切り開き、三間四面の「月影堂(観音堂)」が再建された。本尊は「聖観世音菩薩」で、微笑んでいるようにみえる聖観音像である。昔、「宝明(ほうめい)」という名の行脚僧が、この影森の地で病に倒れた。そこへ訪れた弘法大師は、宝明からの病の話を聞くと、聖観
2024年6月13日 22:31
瑞龍山「法雲寺」は、臨済宗建長寺派の寺院で、開創は13世紀中頃の鎌倉時代である。本尊は「如意輪観世音菩薩」で木の坐像、像高約40センチメートル、唐の第9代帝王「玄宗(げんそう)」の作と言われている。皇帝が戦場にあって楊貴妃の冥福を祈り、観音の御心にすがる真情がうかがえて、美しく尊厳に満ちたものである。観音堂は六間四面、唐様の方形造り、過去帳に元和(げんな)元年(1615年)の建立とされている。この
2024年5月10日 15:31
柴又帝釈天参拝依頼、すっかりお堂や神社の木彫りマニアになってしまった私だ。そんな木彫り愛好家の私にピッタリなのが、ここ神門寺だ。この寺はもと修験寺で「神戸山・長生院」といい今宮坊(現在の第14番札所)に属して栄えたといわれている。本尊は、1㍍を超える「聖観世音菩薩」で、両手に蓮の花を持ち、室町時代の作と伝えられている。昔、ここは神社で大きい「榊(さかき)」があり、その枝が左右に分かれて空に伸
2024年5月9日 00:11
西武秩父駅から小鹿野町に向かうバス路線沿いに入口がある。ここ、岩之上堂。行く前から不思議だなと思っていたのが、〇〇寺という呼称ではないことだ。岩之上堂は、その名のとおり荒川河岸の崖上にある。「観音堂」は三間四面方形造りで流れ向拝を付けている。本尊の「聖観世音菩薩」は、平安時代の作と伝えられ、優美で穏やかな姿をしている。現在の観音堂は江戸中期の造営と思われるが、元禄年間に内陣の補修、宝永年間に
2023年11月17日 00:58
横瀬の民家の間をぬけ山門にいたる。 門をくぐると正面に平賀源内の設計といわれる堂々とした本堂が建っている。 天明二年(1782)の火災で観音堂が消失したため、本堂の奥に本尊の十一面観音が安置されている。 牛伏堂といわれるのは諸説あるが、一説には牛が伏して動かなくなり、去った後から十一面観音像があらわれたことに由来する、ともいわれている。由来には諸説あるが、中でも注目すべきものとして、平将門に
2023年11月16日 00:25
まず、こちらのお寺に行くのに、え?え?と迷ってしまった。札所6番はこちらの案内が出ているのだが、え?小松沢レジャー農園内じゃないの?いいのか?と悩んでしまったのだ。農園の方に道を聞くと、農園の小道を入って行くと近いようだ。ありました!!第6番 向陽山 卜雲寺(こうようさん ぼくうんじ)は、江戸時代初期、嶋田与左衛門によって開創されたとされています。卜雲寺というお寺の名前は、その嶋
2023年11月15日 14:29
庭のどこにいても、そのカエデの存在がある。こちらの寺はそんな印象であった。駐車場からは武甲山が綺麗に観える。「地獄」「餓鬼」「畜生」「修羅」「人間」「天」の六道を行脚する地蔵尊の姿を、それぞれ六体の尊像にあらわしたものがこの「六地蔵尊」である。山門をくぐると本堂前に樹齢約600年の巨大な「楓(カエデ=モミジ)」が境内いっぱいに広がっている。別名「こみねかえで」埼玉県の天然記念物に指定さ