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私の百寺巡礼

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五木寛之先生は70歳を過ぎてから百寺巡礼をされた。日本の寺院の多くは車が入れない険しい石段を登る事で辿り着く。横浜辺りの寺も、ちょっとした坂の上で、わざと車が入れないようにしてあ…
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2024年2月の記事一覧

ツツジ寺の名の如く 川崎市宮前区 天台宗神木山長徳寺等覚院 私の百寺巡礼213

ツツジ寺の名の如く 川崎市宮前区 天台宗神木山長徳寺等覚院 私の百寺巡礼213

ツツジ寺として名高い寺院だ。

ツツジの季節には、庭はこんな状態らしい。

神木(しぼく)山等覚院は、寺号を長徳寺という天台宗の寺院で、縁起(えんぎ)などの沿革についてはほとんどわかっていません。
参道を登り仁王門(におうもん)(1882年建立)を進むと整備された境内が広がり、正面に安政年間(1854~1860年)に再建された本堂が建っています。
本尊は秘仏で拝むことは出来ませんが、江戸時代の地誌

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禅師二人 横浜市緑区長津田 曹洞宗慈雲山大林寺 私の百寺巡礼212

禅師二人 横浜市緑区長津田 曹洞宗慈雲山大林寺 私の百寺巡礼212

長津田駅から徒歩数分。広い敷地にゆったりとした造りの寺院。
それが大林寺の印象だ。
こちらも又、東急花御朱印巡りの1つであり、それで知ったのだ。

大林寺は曹洞宗に属する寺院で、山号を慈雲山という[。釈迦如来を本尊とし、長津田を領していた旗本、岡野家の菩提寺であった。岡野氏は小田原北条氏の旧臣であり、1591年(天正19年)に旗本に取り立てられて長津田村に500石の知行を得た。
寺伝によると、創建

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見所満載で居心地の良いお寺 横浜市緑区長津田 高野山真言宗薬王山医王院福泉寺 私の百寺巡礼211

見所満載で居心地の良いお寺 横浜市緑区長津田 高野山真言宗薬王山医王院福泉寺 私の百寺巡礼211

東急花御朱印巡りでは知らなかった寺院を知るきっかけとなった。本当に感謝している。こちらもその1つだ。山梨県に行く際に横浜駅から八王子駅まで行き、なので、長津田駅は通過しているのだが降りた事はない。きっと、ずっと降りる事のない駅だろうと思っていた。

寺伝によると明應元年 (西暦 1492 年) 3 月 15 日、 尊祐という僧により開山、 後に徳川家康に仕えた千五百石取りの旗本で、 長津田初代の領

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庭の石仏群に圧倒 目黒区 天台宗松林山大円寺 私の百寺巡礼210

庭の石仏群に圧倒 目黒区 天台宗松林山大円寺 私の百寺巡礼210

目黒駅から目黒不動尊に行くには、行人坂という、かなり急な坂を下りて行く。私はその逆で、目黒不動尊から目黒駅に出て帰宅と思っていたものでそのキツイ坂を上ったのだ。
その途中にあったのが大圓寺だ。

この寺は「松林山大円寺」といいます。寛永のはじめ、湯殿山の大海法印が寺の前の坂(行人坂)を切り開き、大日金輪を祀って祈願の道場を開いたのがその始まりであると伝えられています。
本寺には”生身の釈迦如来”と

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岩屋弁天が魅力的 目黒区 浄土宗霊雲山称明院蟠龍寺 私の百寺巡礼209

岩屋弁天が魅力的 目黒区 浄土宗霊雲山称明院蟠龍寺 私の百寺巡礼209

こちらも東急花御朱印巡りの1つで知ったお寺だ。

目黒行人坂付近にあった称明院(慶安元年1648年開創)を、増上寺の霊雲上人が浄土宗の戒律を復興するため現在地に移し、宝永6年(1709)霊雲山称明院蟠龍寺と改名再建されました。
次いで、寛政6年(1794)律院となりましたが、「不許辛肉酒入山門」の結界石がその名残りを今にとどめています。
本堂には本尊として「木像阿弥陀如来像」(都指定文化財)があり

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圧倒される羅鑑像 目黒区 単立天恩山羅漢寺(五百羅漢寺) 私の百寺巡礼208

圧倒される羅鑑像 目黒区 単立天恩山羅漢寺(五百羅漢寺) 私の百寺巡礼208

中は撮影禁止の為、写真は寺院のページで見ていただけたらと思う。

こちらに1つ1つ丁寧に彫られた羅漢の像が掲載されている。

羅漢とは悟りを開いた高僧のことを言います。
阿羅漢と呼ばれ、羅漢は阿羅漢の略称です。

調べてみると、今までに訪れた寺院でも芝増上寺、川越市喜多院など、羅漢を参拝したようなのだが自分の知識がおぼつかず、気づいていなかったようだ。イヤイヤ、何とも恥ずかしい。

目黒にある五百

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目黒区 天台宗泰叡山瀧泉寺(目黒不動尊) 私の百寺巡礼207

目黒区 天台宗泰叡山瀧泉寺(目黒不動尊) 私の百寺巡礼207

かつては東急線沿いに住み、不動前駅近くの会社に少し勤務していた私は「目黒不動尊」という名前で呼んでいたもので、どこの宗派かとか正式な寺の名称を知らなかったのだ。
えらいすいません。

天台宗泰叡山龍泉寺は、大同3年(808)に慈覚大師が開創したといわれ、不動明王を本尊とし、通称「目黒不動尊」と呼び親しまれています。 江戸時代には3代将軍徳川家光の帰依により堂塔伽藍の造営が行われ、それ以後幕府の厚い

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お下の神さま 目黒区 天台宗瑞龍山能仁寺安養院 私の百寺巡礼206

お下の神さま 目黒区 天台宗瑞龍山能仁寺安養院 私の百寺巡礼206

目黒不動尊のすぐ近くにある天台宗安養院。
こちらは建築家・安藤忠雄が設計した「ひかりの園」という納骨堂で有名である。というよりも、ネットでの検索では殆どがそちらだ。

当初は目黒不動龍泉寺の子院四カ寺の一つとして開かれた寺であるが、開創の時期、開基開山等は不明である。
一時荒廃していたが、これを承応元年(1654)木食唱岳長音が再興した。木食唱岳長音は養玉院如来寺の五智如来等の造像を行った木食但唱

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タコが福を吸い寄せる 目黒区 天台宗不老山薬師寺成就院 私の百寺巡礼205

タコが福を吸い寄せる 目黒区 天台宗不老山薬師寺成就院 私の百寺巡礼205

東急目蒲線不動前駅から目黒不動尊に向かう途中にあるのが成就院。
別名タコ薬師だ。

天台宗不老山薬師寺成就院は、三匹のタコに支えられた薬師如来像がご本尊であることから通称たこ薬師とも呼ばれている。

天台宗の宗祖、比叡山開山伝教大師最澄の高弟、慈覚大師円仁は栃木県壬生町生まれ、幼くして伝教大師をしたって比叡山に登り、学問修行に励まれました。
承和5年(832)唐に渡り、同14年帰国されるまでいろい

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太田道灌を助けた黒猫のお寺 新宿区 真言宗豊山派西光山自性院無量寺 私の百寺巡礼204

太田道灌を助けた黒猫のお寺 新宿区 真言宗豊山派西光山自性院無量寺 私の百寺巡礼204

江戸城を築城した人は?
太田道灌!私はそう答える。

関東には至る所、太田道灌の伝説があるのだが、殊に新宿には多いようだ。

自性院は、弘法大師空海が日光山に参詣の途中で観音を供養したのが自性院の草創といわれています。地蔵堂には秘仏の猫地蔵が祀られており、2月3日の節分会に開帳されます。
真言宗豊山派の寺院で西光山自性院無量寺といい、秘仏「猫地蔵」を安置し、ねこ寺として有名。 寺伝によると弘法大師

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花に覆われた寺院 新宿区 真言宗豊山派瑠璃山医王寺薬王院(東長谷寺) 私の百寺巡礼203

花に覆われた寺院 新宿区 真言宗豊山派瑠璃山医王寺薬王院(東長谷寺) 私の百寺巡礼203

薬王院東長谷寺は鎌倉時代に開山された、真言宗豊山派の寺院です。牡丹の名所として知られ、別名は牡丹寺・ボタン寺です。総本山の奈良長谷寺から移植された牡丹100株が約40種・1,000株にまで増え、見頃を迎える4月中旬から下旬にかけては、都心とは思えない美しく雅やかな光景を見せてくれます。(新宿区観光案内より)

今年に入り、仕事、ボランティア、珍しくも真面目に家事を行い、と頻繁に出歩くこともなくなっ

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