生きづらさを抱えた若者たちが「My田んぼ」で変わっていく。大手百貨店の正社員からバー経営を経てたどり着いた「百姓」というマルチワーク。ソーシャルアクティビストの生き様ドキュメンタリー 高坂勝さん(NPO SOSA PROJECT)

高坂勝さん(NPO SOSA PROJECT、 My田んぼ)
聞き手 山田英治(株式会社 社会の広告社)

〜この記事は上記動画の書き起こしです〜

高坂さん)高坂勝(こうさか まさる)と申します。

山田)どういったことをされているのでしょうか?

高坂さん)分かりやすいところで言えば都会の人たちに米を作る場所を提供することです。米作りができるようになると、ちょっとした野菜も作られるようになり、ちょっとした土木もできるようになり、DIYもできるようになります。すると生きる知恵ができるので、どんどん自分ができることが増え、イコールお金を使うことが少なくなります。

この“ザ・消費社会”というものは温暖化で、究極の言い方をすれば、紛争戦争につながってしまっています。自分でできることを増やすことによって消費を減らしても幸せに生きていける、むしろ「こっちの方が楽しいじゃん、豊かじゃん」ということを伝えていきたいと思い、米作りなどを教えています。

山田)いわゆる肩書き的なことでいうと、どういうことになるのですか?

高坂さん)一言で、最近の働き方というカテゴリーで言えば、マルチワーカーということなのでしょうね。

山田)マルチワーカー。

高坂さん)なおかつマルチワーカーというのは一種のお金を稼ぐということが含まれていると思うのですけど、私の場合はあまりお金にならないようなことで走り回っているというのがあるので、カッコよく言えばアクティビストなのでしょうけれど。

山田)そのお仕事を始めるきっかけといいますか、今、高坂さんは田んぼをお持ちということですよね?

高坂さん)そうですね。自分自身の田んぼはもちろんあります。自分が食べるお米を作ることと、NPOとして今100組くらいの方と米作りを一緒にして、やり方を教えています。

山田)(田んぼは)結構広いのですか?

高坂さん)1町歩ちょっとあるぐらいですかね。1町歩とは1000平方メートル×10(倍)ぐらいということです。

山田)なるほど。その今の生業(なりわい)を始めるきっかけは、どういった流れでしたか?

高坂さん)2004年から2018年まで東京池袋でオーガニックバーをやっていました。さらに言えば、その4年前の2000年までサラリーマンをやっていました。

そのサラリーマンの時に常に、前年対比110%っていう目標が与えられるこの世の中に、自分も疲弊していたし周りも疲弊していっていました。人口減少が進んでいく社会の中で、どう考えても売り上げを取ることは難しい社会なのに全員がそこを目指していくっていうのはおかしいのではないかと気づいて、では(経済)成長しなくても幸せになれるモデルを作ろうと考えました。

山田)僕も30年前サラリーマンでしたけど、会社側はどんどん変な雰囲気になってきましたよね。

高坂さん)そう思いますよ。

山田)バブルが崩壊して日本はなんとかやらなきゃいけない。アメリカにどんどん追随して株主の顔色を見る成果主義が流行りましたよね。どんどんギスギスして足の引っ張り合いで(自分の成果の)アピール合戦のような。「俺はこんなことちょっとしているんだよ」、「私は全部やりました」、「いやいや、みんなでやったじゃないか」、というようなことなど、どんどん雰囲気が悪くなっていった30年でしたね。

高坂さん)あれですよ。部下の成果は上司の成果、上司の責任は部下に責任を押し付ける、そういう会社になっていきましたね。


【米が作れるようになったら、もう怖いものはない】


山田)お米作りはどういうきっかけなのですか?

高坂さん)2000年に会社を辞めて30歳でした。2004年にお店(オーガニックバー)を出すのですけれど、そのインターバルの3年ぐらいの間で、1年間は世界中や日本中を旅しました。

パレスチナにも行きましたし、国内では金沢に行きました。それまで米も研いだことなかったのです。30歳まで生きる知恵が全くなかったのですね。それで友人が始めた居酒屋で働き始めました。でも友人だと甘えちゃうから、いくつかフリーターでも働いていたのです。イタリアンも作りたいなとか、魚さばきたいな思えばそういうところとか、数カ月で変わるイメージで働いていたのですよね。

こうして生きているのだから米が作れるようになったら怖いものはないなと、その時代に思ったので、いつかお店を出してお店が軌道に乗ったら、次は米を作ろうとその時に決めました。

山田)それで米作りをやろうという時に、今のこのエリアの千葉県匝瑳市(そうさし)に行き着いたことは、どういうきっかけからですか?

高坂さん)もうさんざんお店で、これから米作ろう、野菜作ろうって、みんなを促して実践させていたのに、俺は口だけ番長でやっていないわけです。俺もやりたいなと思っていました。

でもバーが週休1日で米作りに行くのはハードかなと思ったので、バーを週休2日にしたのです。いよいよ米作りをやるという時に、すでにうちのお客さんが米作りを始めていたのですが、その中の一人が、「こんなところで田んぼを始めたんだ」と言っていたのです。それは俺がやりたい農法ができる条件に近いような気がして、早速、「連れて行ってくれ」と頼みました。

次の日にお店がありましたが、日中この匝瑳まで来て、「ここはどこかもわからない、千葉県のどこかわからないのだけど、ここへ来たら自分が理想とする8割を満たしているな」と思ったのです。

理想の100%を目指していたら見つからないので、「やらせてくれ」と言ったら、「いいよ」と一言で言ってくれたので、そこから急にスコップを借りて開墾を始めて、お店が始まるギリギリに帰ったというのがきっかけです。


【米作りも料理も独学。口コミだけで税理士や弁護士も来る人気店に】


山田)開墾っていうのは耕作放棄地からですか?

高坂さん)そうですね。

山田)そうなのですか。では、その師匠はなんという方なのですか?

高坂さん)師匠は、私があえて言えばという意味ではいるのですけど、独学です。

山田)そうですか。バーに来たお客さんを農地に案内するという活動と、先ほどおっしゃっていましたけど、どんな方が来て、実際に農業をされて、どんなふうに変わっていったのかを教えてもらえますか?

高坂さん)どんな人と言ったら、もういろいろな人です。本当にうちの店には、玄関前、お店の入り口の前で6時前から下向いて待っているやつがいると、あぁ、こいつは自殺を考えてきているなというやつから、本当に明日どう生きていけばいいか分からないというやつから、生き方迷子から。

一方で弁護士さんとか税理士さんとか、世間的に見ればみんなうらやましいと思っている人などもいます。でも、弁護士さんも公認会計士さんも公務員もそうですけれど、2000年代から法律というか規制が変わって、どんどん量産されているので過当競争が激しくなっているのですね。

だから弁護士でも税理士でも食えないっていう時代も来ていて、その中で特に社会派の弁護士なんて、夫婦の離婚の調停とかそういうことで日銭を稼ぎながらも、いろいろな社会運動なんか、お金にならないじゃないですか。
そういう人が田んぼをやりに来たりしています。もうピンからキリまで年齢も10代から70代までですね。

山田)高坂さんがされているバーが有名だから、こうやって集まっちゃったのですか?たまたまノックする人がそういう人が多かったのですか?どうして集まってきたのですかね?

高坂さん)最初は口コミですね。昔はお店を始める時には八百屋や鳶職でも畳屋でも大工さんでも別に広告なんかしなくてって、商売になったわけじゃないですか。そうだとしたら、ちゃんとしたまともなことをやれば、自分が生きていけるくらいの売り上げにはなるという何の根拠もない想定です。

でも昔の人ってみんなそうじゃないですか。かつてみんな生業をやっていた人達は、何か大きくテレビCMを打って、といったことをしなくても、八百屋は八百屋で食っていけていたのだから。そこにニーズがあれば自分一人、もしくは家族を食わせるくらいのものはやっていけるはずだと。それにはただ現代社会においては、少しとがったり絞り込んだりとか、多少の戦略は必要ですけれど、ちゃんとしたことをやれば、ちゃんとお客さんはつくと思ったのです。

今はなくなっちゃったのですけど、この宿や今日ご案内する自宅もそうですけど、落ち着く空間を作ることにはすごく気を遣ってきたというか得意というか。もちろん料理もですけど、家に来たら絶対にまた来たくなるという店にしたのですよね。

山田)そうするとお酒が売りというよりは、お食事も売りということですよね?

高坂さん)そうですね。一回来たらまたここは来たいなと思わせてしまえば、もう口コミ力で行けるので、一人来ればそれが二人になり、その二人がまた連れてきて四人になるっていう、その戦略だけですね。

山田)料理も独学ですか。

高坂さん)はい。

山田)お米作りもとおっしゃっていましたけれど、料理もそうして人を呼び寄せるまでいったというのはすごいですね。


【38年間ひきこもりの人も、米作りを通してNPOスタッフに】


山田)リピーターも増えて売り上げも上げ、「やばい、稼ぎ過ぎた」と言ってお米もやり始め、そうしたら「お米作りをやってみたい」という人がいてやり始めたと。それでやった結果、みんなはどうだったのですか?

先程、自殺したいとか、ある種の生きづらさを抱えた方も多かったと聞きましたけれど、そういった方がやり始めてどう変わっていったのでしょうか?

高坂さん)まず今年も26組が新規で入ったのですけれど、16組が来年も続けるのですよ。初めて米を作った人たちが毎年3分の1から半分以上の割合で、また来年もやりたいと言います。(その理由は、)特に畑ではなく、畑でもいいのですけど、田んぼはドロドロだから、人間の本能なのかなと思うのですね。それだけ土に触れられる居心地の良さがあると思います。

山田)そこから卒業して実際に、田んぼの農家さんになるのですか?

高坂さん)農家、それから地方移住です。

山田)高坂さんみたいな生業ということですね。高坂さんの中で印象的な人はいましたか?

高坂さん)山ほどあり過ぎて、誰かと言えないというか。

山田)今はひきこもりの方が146万人と、すごく多くいらっしゃるのですけど、本当に生きづらさで、もうずっと家の中で自分を責め続けている、ずっと苦しい状況が続いているという方が多いです。

でも、何かちょっとした同じような境遇の方にお話することで、少しずつ社会に出ていく。そこで農業に触れて土に触れて、農作業は一人の作業が多いから人と会う必要がないし、僕もそれならやれるという感じで農業をされる方がたまにいるのですけれど、そういったひきこもりの方とか、生きづらさを抱えた方もいらっしゃるのですか?

高坂さん)もうそれは、もう山ほど。まぁ生業っていうよりは今一緒にここで、
DIYを中心にやっているやつも38年間ひきこもりだったのですね。

山田)そうなのですか。

高坂さん)お兄ちゃんが私の主催する米作り体験の「My田んぼ」を申し込んでくれて、弟が30何年間ひきこもっちゃっていて、出てくるきっかけにできないかって、随分重い課題を果たせられたのです。

彼が田んぼに来ていて、そんなに全然ひきこもりという感じじゃないので、なにかと声を掛けて、今うちのNPOスタッフをやっています。ここでも一緒にDIYなどをやって、彼らしく生きられるようにと。

別の方で、パニック症の方もいました。パニック症って人が攻めてくるように、攻撃してくるように感じちゃうから、電車も乗れないしエレベーターも乗れない。

その子のお父さんお母さんが田んぼを7、8年やっていて、「息子がこうなっちゃったから、高坂さんどうにかできないか」と言うので、ちょうど抵当物件だったログハウスがあったのでそれを買い、ゴミ屋敷になっていたので、うちのスタッフと直しました。都会で人が怖くて住めないのだから、田舎に来るしかないじゃないですか。

それで彼は来て、今ソーラーシェアリングの仕事とか、いろいろな仕事をマルチワークでやっています。今でも知らない人に囲まれるのは怖いけれど、知っている人だったら大丈夫ですので。

山田)すごいですね。いろんな生きづらさがありますよね。発達障害のようなケースや、生きづらさが世にどんどん現れ始めていて。ひきこもりの件も、その本人が悪かったというよりはむしろ社会ですね。例えば、管理教育が厳しいとか。親が子供に価値を押し付けるタイプで、それが辛くなってとか。結局周りの物差しが間違っているようなところで、追い詰められているような。

高坂さんされているのはつまり資本主義の側に対してですよね。物差し側に対する問いかけから始まった活動故に、そうじゃない生き方とか、働き方とか生業があるから、救われるというか自由になれるというか、そんなところもあるのですかね。

データがあって、都会の子と田舎の子で自然に触れられる時間でいうと、都会の子の方が多いらしいのですよ。それが面白いなと思って。都会の子の方が逆に自然に飢えているから親が連れて行くなどで自然に触れる機会が多い。うちの子も都会育ちなので区が契約している棚田に行って田んぼをやるのですよ。でも逆に田舎はそこら中自然だらけだけれども行かない。川で泳いじゃ危ないし行かないですよね。そういうデータがあるらしいですね。

高坂さん)思い返してみると、私も横浜の隅っこで裏が山で、あと小学校にも山があったので、ドロジュンとか、町によってドロケイとかいろいろな言い方あるだろうけど、走り回って転げ落ちて年がら年中泥だらけになったじゃないですか。俺もいじめられっ子で、どっちかというと運動神経はいい方じゃなかったですけれど、それでも走り回ってやっていましたよ。

山田)やっていましたよね。

高坂さん)今、都会でも田舎でも、子供が山の中で走り回っている姿を見ないですものね。

山田)そうですね。たき火とか、やっていましたよね。でも、今は「危ない、ダメ!」と言われるし。

高坂さん)野球やサッカーもしちゃいけない。意味がわからないですね。

山田)騒ぐから公園作るなとか、もうかわいそうで。


【怒りが原動力。「百姓(マルチワーク)」で暮らしていけると伝えたい】


山田)高坂さんにとって、最初に勤務していた百貨店の丸井を辞めてから今に至るまでの原動力はなんですか。でもストイックにならなければいけないところもあり、何か犠牲にしているかもしれない、そのあたりの原動力は何なのですかね?

高坂さん)原動力は怒りですよね。

山田)怒りですか・・・

高坂さん)この世の中に対する(怒り)。今だったらパレスチナに対するイスラエル。もちろんハマスを応援している訳じゃないですよ。やはり社会人の時代の理不尽などから始まり、今の与党からこの経済界のやっていることから。
まさに子供たちのいじめから、構造的な資本主義のパワハラに対する怒りですね。

それに対して例えば自然エネルギーは不安定ですから、質素に慎ましく生きる、私はそれでいいのです。私は米も作っているし、電気も作っていますから私はそれでいいのです、って言えるのです。

でも世の中の人はみんな(それが)できないわけじゃないですか。そうだとしたら、自然エネルギーでも今と変わらないぐらい幸せを得られるんだよというモデルを作っていくことは、その怒りをそちらの方に転換しているということなのですよね。

山田)怒りがベースにあるけれども、まず作っちゃえというポジティブエネルギーですね。

高坂さん)こっちの方が楽しいのですよ。資本主義で毎日買い物に行って、その買う物を買うために、夜10時11時まで働いて、余った時間でまた買い物して。「そちらの方が不幸じゃない?というか矛盾してない?」、そういう問いかけがあります。でもこちらで「そうは言ったって」という時に、「だって俺やっているじゃん。俺のまわりはやっているよ、あいつはやっているよ」と、モデルをたくさん散りばめていけばいいと思ったのですよ。

山田)「こっちの方が楽しいぜ、おいでよ」、というのをどんどん作っていこうという感じですよね。

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