見出し画像

#362 「鎖塚」って何?

北海道に「鎖塚」と呼ばれる石碑がある。

明治時代に北海道の開拓を行っている中で死亡した囚人たちを弔うためのものである。

明治時代に正式に日本の国土となって開拓が行われた北海道。
内陸部を開拓していくうえで、沿岸部と内陸部をつなぐ道路の建設が急がれていた。

明治政府はその道路の建設に囚人たちを行わせた。
有名な「網走刑務所」がつくられ、囚人約1100人が網走と旭川を結ぶ「中央道路」の建設に動員された。

建設は昼夜兼行で行われた。
建設が進むと刑務所と工事現場との往復が困難になり、現地に簡易的につくられたログハウスのような建物は、「動く監獄」と呼ばれた。

明治24年(1891年)のわずか1年で、網走から北見峠までの約160kmが開通した。

建設は北海道の厳しい寒さや地形、熊などの野生動物との戦いだった。
過酷な労働と劣悪な環境で、栄養失調や事故で死亡する者、逃亡を試みたり看守に歯向かったりして殺された者など、死者は200人以上にのぼると言われている。

遺体が埋められた塚には、逃亡を防ぐために囚人につけられていた鎖が置かれたことから、その塚はいつしか「鎖塚」と呼ばれるようになり、現在に伝わっている。

ちなみに、網走監獄は囚人を効率的に管理する近代的な建物として知られている。
現在は建て替えられた建物が使用されているが、当時使われていた建物は移築保存され、「博物館網走監獄」として観光名所となっている。

【目次】

【参考】


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?