#297 寺子屋の授業料はいくらだった?
江戸時代、日本の識字率がほぼ100%だったのは寺子屋という民間教育機関のおかげである。
寺子屋は全国に15000校以上あったとされており、人口が幕末からおよそ3倍になった現代の小学校数が20000校であることを考えると、江戸時代の庶民教育が充実していたことがわかるだろう。
庶民(百姓・町人)の子どもが読み・書き・そろばんなど生活に必要な素養を学んだ寺子屋。
教師は僧や貧しい武士などさまざまで、女性が教師をしたり、家族経営をしていた寺子屋もあったそうだ。
そんな寺子屋だが、教師はボランティアではなく、授業料をとって生計をたてていた。
授業料に明確な規定はなく、地域によって大きな違いがあったようだ。
しかし、おおよそ次のような特徴があったという。
現在で言うところの、入学金と授業料だろう。
他にも、畳を新調するための「畳料」や、冬場の燃料費である「炭料」などをとる寺子屋もあったそうだ。
こちらは現在で言う「施設費」といったところだろう。
授業料の具体的な例としては、江戸で金一朱(約2万円)を年5回ずつ納めたという記録がある。
しかし、現在の私立学校のように一律で学費が設定されているわけではなく、家計に余裕のない場合は安くなったり、農村では授業料のかわりに野菜や酒が納められるなど、その人の状況にあった授業料が納められたようだ。
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