#298 鎌倉幕府の成立は結局何年?
「1192(いい国)つくろう鎌倉幕府」で鎌倉幕府の成立年を覚えたという人は、もう「若者」ではない年齢になっているはずだ。
2000年代に多くの教科書で鎌倉幕府の成立年についての記述が変更になった。
それまでは源頼朝が征夷大将軍に任命された1192年とされていたが、現在では源頼朝が全国に守護と地頭を置いた1185年と記述されることが多い。
「1185(いい箱)つくろう鎌倉幕府」という語呂合わせを聞いたことがある人もいるだろう。
源頼朝は各地に守護と地頭を置き、御家人を任命することで、軍事・警察・徴税などを行うことを可能にした。
これにより武家政権が確立したとして、1185年を鎌倉幕府の成立としている。
しかし、1185年にいきなり武家政権が確立したわけではない。
鎌倉幕府が成立の過程は以下の通りだ。
1180年:頼朝が東国支配を樹立し、鎌倉を本拠地に侍所を設置。
1183年:朝廷より頼朝の東国支配権を承認する宣旨が下される。
1184年:公文所(のちの政所)・問注所を開設。
1185年:全国に守護・地頭を設置。
1190年:頼朝が右大将(右近衛大将)、日本国総追捕使・総地頭になる。
1192年:頼朝が征夷大将軍になる。
をもとに作成
このように、頼朝は10年以上かけて武士政権を樹立していった。
さらに、西国にまで実質的な支配権を拡大するのは1221年の承久の乱以降のことである。
1185年か1192年のどちらが正しいかという論争は不毛な議論だ。
成立したのが何年かというよりは、1185年と1192年にあったできごとが武士政権確立の過程の中でどのような意味をもつのかを理解することの方が重要である。
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