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「戦ったら同じレベルに落ちる」と考える人の『レベル』とは何を指すのか

※2580文字


時々、『被害者』からの相談や告発を受けて
「そういう時は戦わない方がいいよ。戦ったら同じレベルに落ちるから」という人がいますが、私はこう言われて「戦わないでおこう」とあっさり泣き寝入りするような素直で純朴な人間ではありませんでした。
でも、世間的には『こう言う考え方』のほうが美徳のように扱われているように思います。なぜでしょうか。泣き寝入りって本当に美しいですか?
めそめそして、黙って泣いているだけのことがどうして美しいのでしょうか?
それって実は『美しい』ではなく『扱いやすい』の間違いでは?・・・

そもそも『レベル』ってなんのレベル?

これって一体なんのレベルのことなのでしょうか。
魂は、産まれた時から『泣き寝入り選手権』でもやっているのでしょうか?
自分が加害されて困ったり、傷ついたりしているのに声をあげないことで一体なんのレベルが上がるのでしょうか?

今回の題のような使われ方をするときは往々にして『落ちる』と表現されますが、本当に落ちているのでしょうか?
もし落ちるとすれば何レベルから何レベルになるのでしょうか?
ゲームではどのようなことも経験値となり、『レベル』は上がっていくばかりで落ちることなどないのですが、現実では『戦う』という経験がレベルを落とすことにつながるのでしょうか?
戦いを仕掛けてくる相手のレベルはどのくらいで、泣き寝入りしたらどのくらい自分のレベルは上がるのでしょうか?それとも「落ちない」というだけであがらないのでしょうか?
また、相手のレベルのほうが自分よりも高い場合『同じレベルになる』というようなニュアンスであれば戦った方が良いのではないでしょうか?

このようなことを言うと、「戦わない方が美徳」と考えている人にとって私は馬鹿に見え「言い合う必要はない」とか「こんなの屁理屈だ」とか言われそう。
だけど『屁理屈』の意味を調べてみたら『筋道の立たない理屈。通りの通らぬ理屈』とでる。「戦ったら同じレベルに落ちる」も充分、筋道が通ってないと思うんだけど、私ってどこかおかしいのかな。

大事なのは戦い方

戦ったらなんのレベルが落ちるの?とは言うものの、私だって『何でもかんでも戦えばいい』とは思ってない。戦うのってそれなりに気力が必要だし、疲れる。
だから相手にする必要のないことなら誰だっていちいち戦わないと思うし、もし戦うという決断をしているひとがいるのなら、それはその人の人生の話なので『戦うのをやめさせよう』という考えにならないし、その手段として『同じレベルに落ちる』というフレーズは選ばない。
だって「何のレベル?」って聞き返されたらどうするの?

それよりまずは戦い方について考える。
その結果「戦わないほうがよい」と判断したのなら戦わないだろうし、「戦おう」と思うのなら全力で計画を練る。友達や家族の戦いなら応援するし、話を聞くし、気分転換にも付き合う。

結局のところ「戦うと同じレベルに落ちる」なんていうのは、相談者を支配したり、どことなく平和主義っぽくて良い人だと思われたい人間がつかう詭弁にしか思えない。

それに、いいじゃん。落ちても。戦って不愉快な加害が消えるのなら。
何のレベルが落ちたって、自分が快適なほうがいい。私はそう思う。
消えないのなら、消えるまで戦う。根気がいるし大変だけど、泣き寝入りしてエスカレートするよりいい。

戦いに疲れたら、休憩すればいい。内容によっては途中で放棄するのもありかもしれない。戦いかたや相手との相性で『うまくいかない戦い』というのも存在するだろうし、その戦いに『時代が追いついていない』という可能性もある。ジェンダーのことなんかは特に、時代の影響を受けやすいように見えるし、『途方もない戦い』がどれだけ人の心をすり減らすのか、いちおう経験則上、すこしはわかっているつもり。

それと『戦わない』という戦い方もあると思う。
戦わないとしても自分の中に葛藤があったり、なにか、悶々と考え続けることもあると思う。『戦わない』という選択で自分のなかにこだわりが生まれて、戦わないことにした案件からは逃れられても、新たなこだわりや歪みからは逃れられない。生きていくということは結局どこかで戦っているということになるんだと思う。今の私はそんな気がしてる。
そして、戦い方はなんであれ『自分で選んだ方法なのか』ということがとても大切なことのように感じる。第三者からのアドバイスを参考に『戦い方』を選ぶこともあるかもしれないけど、少なくとも『戦ったら同じレベルに落ちる』というのは詭弁なので聞く必要はない。だって『レベル』って誰にも見えないじゃん。何で測るの?資産?

そんなわけで

今回は幼少期から疑問に思っていたことを今更ながら文章にしてみました。

私の祖母はよく「戦ったら同じレベルに落ちる」と言う人でした。祖母はよくお店にクレームを入れたり、妹と大喧嘩したりして人と戦っているのに・・・レベルって何のレベルだろう・・・と思ったり聞いたりしても、ああいう詭弁を振りかざすタイプの人って全然落ち着いておしゃべりできないですよね。
私は祖母のこと嫌いじゃないし、感謝もたくさんしていますが、そういうところもあったなあ・・・って思うんです。

私は何かを理解するのに論理の数が祖母や妹よりもたくさん必要でした。物分かりがわるく感受性が欠如しているのかもしれない。祖母や妹のような人がニュアンスで汲み取ったり、大暴れしてアウトプットを試みるようなことでも『どういう意味?』と思ってしまいます。
祖母や妹からすれば「どうしてこんな時に平然としているの!?」という感じだったのかもしれないけど、だからといって無闇に泣き喚くのは違うと思うし、そもそも大声をだしたり家を走り回ることがどのような問題の解決に繋がるのか、私には今でも分からない。だけど、私もその様子をみて心の中でずっと戦ってきた。今でもトラウマだし、夢に見て汗びっしょりになって激しい動悸と共に飛び起きることもある。『戦っていない』のではなく『戦い方が違う』というだけだった。

ちょっと話が逸れてしまいましたが、もし、『戦ったら同じレベルに落ちる』と考えるひとが、どのようなレベルのことなのかを落ち着いて教えてくれたら、もしかしたら、理解できたかもしれない。


今回はそんな感じです。おわり。

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