見出し画像

社労士になるまでの記録1

私は実に、人に流されやすい人間であった。

高校生のとき、私がなりたかったものは「小学校教師」だった。
ところが進路指導のとき、担任が私に告げたことは
「今は子どもが減っていて教師になれる可能性は少ない。教員免許が欲しいだけなら止めないが」という、まさかのものだった。

私はそんな担任の話を真に受け、即刻教師になる夢を諦めた。

進路に悩む私に、同じ部活の同級生が「介護やろうよ」と言ったひとことで
まぁそれもいいか、というノリで福祉系の大学に進むこととなった。

大学では勧誘されるままにサークルに入り、なんやかんや勧められるままに副部長、部長となり、順調に「人に流されるままの人生」を歩んだ。

私は社会福祉士という国家資格の受験資格を得られるものの4年間まったく勉強しなかった。当時は介護保険法が施行されたばかりで、世の中は介護職がもてはやされていて、資格などいらないとたかをくくっていたことと、勉強が嫌いだったので、不合格になっても「難しい資格だから仕方ない」と言ってもらえればそれでよしと思っていた。

究極の負けず嫌い覚醒

そんな私に人生最初の(最初と自覚している)ターニングポイントが訪れた。
就職活動で面接に訪れたのは、介護実習先でもある施設。
当時完璧なるバカだった私は「実習したんだから受かる」と完全に決めつけており、就職前の挨拶気分であった。
ところが面接は、私が社会福祉士に合格できる人材かどうか、ということにのみ注目していた。

わかりやすく言えば模擬試験のようなものをやらされたのだが、4年間一切の勉強をしてこなかった私は、当然何もできるわけがなく大恥をかいた。
基本中の基本みたいな問題にすら答えられないのだから仕方がないが、それでもあの試験官達の嘲笑(のように私には見えた)は今も頭の隅にこびりついて離れない。

2週間後、不採用の通知が郵便で届き、私はそれをビリビリに破って捨てた。

腹が立って、どうやってあの試験官達を見返せばよいか考えた末にたどり着いた答えが、社会福祉士試験に合格することだった。当時はまだ新聞に合格者の名前は掲載されていた。あの試験達はそれを見るかもしれない。見ないかもしれないが、見る可能性はある。そうすれば悔しがるかもしれない。

自分を不採用にした試験官達への逆襲、それだけが原動力となり、試験まで3か月を切った超周回遅れの勉強が始まる。

思えば高校受験も大学受験も、塾任せで適当に済ませてきた私にとって、初めての本気モードであった。すべては、復讐のために。
あの嘲笑(に私には見えた)を思い浮かべてはテキストと問題集を往復し続けた。

毎日10時間を超える勉強の甲斐あって、私は奇跡的に社会福祉士の試験に合格した。試験直後の2月に受けた採用試験にも合格して滑り込みで資格と仕事の両方を手に入れるに至ったのである。

つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?