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正義はどう決める?【『これからの「正義」の話をしよう』を読んで】

はじめに

 政治哲学を専門にする、ハーバード大学教授のマイケル・サンデル(1953~)氏が、自身の大学での講義をもとに書いた『これからの「正義」の話をしよう いまを生き延びるための哲学』(鬼澤忍訳、ハヤカワ・ノンフィクション文庫、2011年)の感想をこのブログで述べる。

 本書の内容は、「正義」とは何か、またそれをどのように決めるべきかという問いに対して、身近な事柄や実際にあった具体的事例に沿って、過去の思想家の哲学を踏まえながら答えを探していくというものである。ただし、「この本は思想史の本ではない(p.55)」ため、思想家の出てくる順番は時代順ではなく、「正義」についての思考の変遷を辿った順番に出てくる。そして、最後にサンデル氏本人の主張が展開される。


題材が哲学なのに読みやすい

 「正義」の話と聞いたら、自分にはよくわからないような難しい議論が展開されるのではないかと心配になる人もいるかもしれない。しかし、本書は全体を通してとても分かりやすい。それはなぜか考えたが、私はその理由は豊富な具体例にあるのではないかと思った。

 多くの章は特定の哲学者や思想について述べられており、その説明に基本的な例示が出てくる。それに加え第四章と第七章(と第九章?)は、ひとつの具体例についてじっくり書かれており、今までの思想を個別具体的な例に当てはめて論じられる。これらによって、紹介された思想が何を大事にしていて、実際社会ではどのような意見に反映されているのかがイメージしやすくなる。また、哲学がいかに社会生活の中に溶け込んでいるかを実感できる。哲学はわれわれの思考・行動の奥底に「前提」として存在することに気付かされるのである。

 そして、本書ではアメリカでの事例が多いが、それを日本の似た事例に当てはめてみてもよい。一見別の問題でも、根底にある正義に対する考えやそれを支える哲学は共通していることに気付く。ハリケーン後の「市場の原理」による足元を見た価格のつり上げは、コロナ渦のマスクの転売と重なるし、アファーマティブ・アクションの議論は、ジェンダーギャップ指数のスコアが低いといわれる日本では男女格差是正の問題に結びつく。哲学的問題の普遍性が、読者の理解を助けている。

 このように、さまざまな具体例によって私たちの正義や哲学に関する想像が掻き立てられ、そこまで難解な印象を抱かずに読み進められるのである。


何が「美徳」かは全員同じか?

 「正義」に関してのアプローチは、「福祉」「自由」「美徳」の三通りに分類された。私は、この3つには関連しているところもあるように思った。

 終盤で、本書で登場したさまざまな哲学が、アリストテレスの哲学に回収されていくような感覚を持った。アリストテレスは「正義」を道徳的な美徳で決めるべきであるとしたが、その美徳自体が何かはわからず、言語化されていない(少なくとも本書では見つけられなかった)。美徳というものが「正義」の単なる言い換えに見えてしまう時もあった。とすると、各々が発見する「美徳」が異なり、福祉や自由を認めることが美徳だと考える人がいてもおかしくない。それらが「人間としての本質」を作るものだと言われても、論理的な反論はできない。このように、「何が正義かを善い行いをすることを通して識別する」というアリストテレスの考えは、「福祉」「自由」の一歩奥にあるより抽象的なものなのではないか。

 また、400年前、ひいては2000年以上前の文献が今も参考にされることに興味が駆り立てられた。これは、自然科学ではほぼありえないことである。人類は何千年も同様の、あるいは違うようにみえても根底では共通している普遍的な問題を抱えており、それに立ち向かい続けてきたうえ、その成果が現在も(一部かもしれないが)そのまま通用する、ということに私はロマンを感じる。


「共通善」を目指す民主主義

 最後に、マイケル・サンデル氏本人の主張の分析について述べる。彼の「共通善を作り上げるために全員で道徳的『善』は何かを議論するべき」という主張はまさに民主主義的政治の根幹にあることではないか。

 政治的決定をめぐる対立において、それぞれの立場には前提となる価値観が根底にある。それはつまるところ「何を大事にしたいのか」(=「正義」とはなにか)ということである。ときにイデオロギーと呼ばれるこのそれぞれの前提を支えているのがまさに、哲学なのである。

 こうした異なる立場の人間が存在する社会の中で、どうにか正統な意思決定をしなければいけないのが政治である。そのためには、前提を深く掘ってさらなる前提を見つけ(抽象的な思考様式、ひいては本書にあるような根本的な哲学まで論点を抽象化し)、お互いが納得(できなくても妥協)できるような結論を出す必要がある。それが共同体で「共通善」を作り出すということなのではないか。

 さらに言えば、本書の「思想の旅」自体が、民主主義的議論に類似している。3つの正義へのアプローチをくらべて考えるということと、さまざまな美徳の中でどれが正義なのかということが、次元は違うが並行している。さまざまな哲学に触れて問題の「前提」を洗い出すことが、「美徳」を探した結果道徳的価値が異なった場合、共通善を構想することにピッタリ重なっているということである。そしてそれは、私が前述した、アリストテレスの美徳を探す哲学の中で、「福祉」や「自由」を相対化する発想と対応している。

 このように、サンデル氏は本書で民主主義的な「正義」の見つけ方を提示しているのだ。ただ欲を言えば、具体的な議論の場所の提示やその可能性か知りたかった。政治哲学の分野ではないのかもしれないが、道徳的・宗教的信念を展開する場は実際社会ではどこであろうか。選挙であろうか。マスメディアであろうか。インターネットであろうか。こうした政治的、ひいては根底にある哲学的問題をフランクに議論できる場所の構築が現代の課題といえる。


おわりに

 このブログの中に、本文中(あるいは元の文献)の哲学的情報やサンデル氏の主張の理解についての誤りがあればぜひコメントなどで教えてほしい。それがまさに本書が要求する態度である。互いに質問し、討議し、共感しあうことこそが、他者に手を差し伸べる民主主義的議論の態度につながるはずである。

道徳的不一致に対する公的な関与が活発になれば、相互的尊敬の基盤は弱まるどころか、強まるはずだ。われわれは、同胞が公共生活に持ち込む道徳的・宗教的信念を避けるのではなく、もっと直接的にそれらに注意を向けるべきだ—ときには反論し、論争し、ときには耳を傾け、そこから学びながら。(p.418-419)

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