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珈琲の大霊師138

 それは、春から突然冬になってしまったかのような光景だった。

 プワル村に近づくに従って増えてくる道端の花々が、一様に細く、白くなって枯れているのだ。

 最初に気付いたのは、プワル村とマルクの間を往復する花売りの行商人だった。何十年も見慣れた光景だけに、違和感の正体にはすぐに気づく事ができた。

 白枯病は、その名の通り植物に取り付いて枯れるまで栄養を貪り食らう、凶悪な伝染病だ。固い幹を持つ樹木には影響が無いが、柔らかい茎の植物は数日で幹を中から食い散らかされ、枯れてしまう。

 しかも、花粉に乗って伝染してしまうのだ。

 行商人がシマ家に辿り着き、進言した時には、プワル村の10分の1が既に枯れていた。

 誰もが絶望しかけたその時、村の名士であるシマ家の家長が立ち上がった。

 彼が赴いた花畑は、完全に全滅していたかのように見えたのに、次の日になるとまるで枯れていた事がただの悪夢であったかのように、元通りの美しい花畑に戻っていたのだ。

 村人は彼を奇跡の神子として囃し立てたが、彼はそれをキッパリと否定した。

「奇跡を起こしたのは僕ではありません。20年以上前に亡くなり、今は花の精となった姉がこの村を救ったのです」

 当然、村人たちは半信半疑だったが、その後も蘇る花畑をその目で見た事や、マリュ=シマが普段見えない誰かと話しているという目撃情報、元々花の精の伝説があった事から、次第に花の精の存在を信じるようになっていった。

 クエルはその時、自らの存在を消耗しながら草木を蘇らせていた。病原菌を呪い、自らの命を植物に吹き込む事で、畑を蘇らせていった。

 20年以上に渡り男達から精気を吸っていたクエルの精力は決して少なくなかったが、白枯病を村から追い出した所でとうとう力尽きてしまった。

 それからは、マリュも殆ど外に出ることがなくなり、今にも消えそうな姉の姿を嘆くしかなかった。

 そんな、ある雨の日。

 他の人には見えない姉が横たわるベッドの横で、マリュが頭を抱えていると、トントンと扉をノックする音がした。

 ここに訪れる者などいないはずなのに、と思いながら扉を開けると、そこには花売りの少女が一人。手にバスケットを持って立っていた。

「花の精様のおかげで、お父さんの畑が元通りになりました。花の精様、皆の畑を生き返らせたから、元気無くなちゃったって聞きました。これ、花の精様に差し上げて下さい」

 たどたどしく喋る少女。バスケットの中には、歪なパンと、花の蜜を水で薄めた飲み物、それに沢山の花が入っていた。

 マリュは即座に理解した。これは、少女が独断で用意したものである事を。どれも、頑張れば少女一人で用意できる物だった。しかし、それは根気の要る作業だ。

 少女だからこそ、人の噂を純粋に受け止め、畑を元通りにしたのが本当に言い伝えの花の精だと思ったのだろう。そして、最近人前に姿を現さないマリュの事を噂する村人達の会話の中で、偶然本当の事を言い当てた者がいたのだ。

 少女は、「頑張れば疲れる」という当たり前の理屈を、花の精にも当てはめて、恩返しにやってきたのだ。

 礼を言って帰らせた後、クエルは弱々しくマリュに頼んだ。自分の代わりに、それを食べてあげて欲しいと。

 マリュは、溢れそうになる涙を堪えながら、固いパンを口に含み、花の蜜水を飲んだ。

 感覚を共有しているから、クエルにもその味は伝わったであろう。クエルは、苦笑して「美味しいね」と言って、マリュが食べ終わった頃には静かになっていた。

 姉が長くない事を感じながら、眠れぬ夜を明かした次の朝。

 マリュは、そこにいるはずの無い姉に、起こされるという珍事に見舞われた。

 一体どうしたのかと尋ねると、姉は「今日は気分が良い」と言う。

 不思議に思って、姉の家を訪れたマリュは己が目を疑った

 それまで無かったのに、家の隙間を埋めていた土から苔のように細かい花が沢山芽吹いていたのだ。

 三日後、再び少女が訪れた。その日は、クエルが少女にお礼を言いたいというのでマリュはクエルの言葉を代弁した。

 聞いてみると、少女の母親はクエルの幼い頃の友人で、クエルは懐かしそうにその頃の思い出を語ったのだった。

 その翌日、血相を変えて、少女の祖父祖母、両親がクエルの家を訪れた。

 クエルと、少女の母親しか知らないはずの事を、自分の娘が知っている。その事実に、とうとう半信半疑だった少女の家族も、花の精の存在を信じるに至ったのだ。

 マリュは喜んでクエルの言葉を代弁し、クエルの幼友達だった少女の母親は、泣きながら思い出を語り、クエルに畑を救われた父親は、何度も何度も頭を下げて、花から作った酒をマリュに進めたのだった。

 その日から、病から村を守った花の精が実在し、シマ家の裏手の家に住んでいるという噂を聞きつけた村の者達が毎日のようにクエルの元を訪れた。

 不思議な事に、その度その度クエルの体調は改善し、たった一週間で元より元気になってしまったのだった。

 クエルは、その恩返しとして村の中をふらふらと飛び回り、困っている人を見かけると自分の力の及ぶ限り助ける事にした。

 それからというもの、プワル村では不思議な現象が頻発した。枯れた花が蘇ったという事例は後を絶たず、しかも一度蘇った花は前より数倍長生きするとか、空の花瓶にいつの間にか根ごと花が生えていたとか、これから植える予定だった花の種が、全部苗になっていたとか、酔っ払って花畑を荒らした男が頭から花を沢山生やした状態で発見されたりとか。

 そんな事が起こる度に、クエルの元を訪れる人々は増えてゆき、同時にクエルは自分の力が日増しに強くなっているのを感じていた。

 そして、クエルは一つの仮説に辿り着いた。

 これが、「信仰」というものなのではないか?と。誰かから想われる、その想いの力がクエルの力となっているのではないか?と。

 その仮説を聞いたマリュは、村の経済発展との一石二鳥の案を考え、実行した。

 花の精霊が棲む村として、プワルを観光地に仕立て上げたのだ。クエルの家を花の精霊の神殿として位置づけ、より人が来るように仕向けた。

 思惑は見事に当たり、村には以前の倍以上の観光客が訪れるようになり、クエルの力はどんどん強くなっていった。

 その結果、なんとクエルは自らを信じる者の前に性別関係なく姿を現す事すら可能になったのであった。

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