珈琲の大霊師178
その頃、ジョージが単独で探索をしていると信じて疑わないモカナほ、必死でシオリを探していた。
もはや周囲に人影は無く、気配も無かった。それでもドロシーは相変わらず下を指差していた。
店舗の無いスカスカの階には、風がうねって、進行を妨げる。
「まだまだ下みたいです。うむっ、うう、風強いですね」
フードがはためいて、モカナの顔に引っ付いていた。
「あはは、面白い顔さぁ!」
それを茶化すルビーに、モカナは頬を膨らませて抗議した。
しばらく降りていると、ふっと体に吹きつく風がぴたりと止んだ。
その瞬間、嗅ぎ慣れない香の匂いが鼻についた。明らかにそれまでと違う雰囲気で、さっきまで嵐のようだった風は穏やかに流れ、まるでモカナ達を歓迎するかのようだ。
それまでの階と違い、その階の入り口には、扉がついていた。その扉の隙間から、甘ったるいような、花のような香りが漏れ出して来ていた。
「んん?なんか、怪しい匂いなんですけどー?」
すんすんとツァーリが鼻を慣らす。ドロシーも、何かを感じたのか、難しい顔をしていた。
「モカナ、シオリは?」
「えっと………ここ、近くにいるみたいです」
じとーっと、変な香りのする扉を睨むルビー。
「嫌な予感がするけど、行くしかないさぁ」
「は、はい。じゃあ、開けます」
と、モカナが扉のノブに手をかけて、かちりと右に半周回す。
僅かに開いた隙間からは更に濃厚な香が流れてきて、ルビーは眉をしかめた。
中に一歩踏み出して、その踏み心地の良さに一瞬戸惑う。なんと、床には一面の毛皮が敷いてあったのだ。何の毛皮か判別不能な程沢山の毛皮が床を埋め尽くしていた。
入った先は小さい部屋で、隣の部屋に続くドアから、誰かの呻き声のようなものが聞こえてくる。
「ツァーリ、壁の向こうを見てきて欲しいさ」
「うん。分かったし。ルビーはここで待ってるしー」
と、軽やかに一回転すると姿を消すツァーリ。
ドアの隙間からするりと内側に入ったツァーリは、目を疑った。
中には女達がうつろな顔をして、使えていた。その中心にいるのは、ルビーの弟より小さな少年だったのだった。
「なんだ、子供かよ。お前ら、ここがどこか分かってるのか?」
と、少年は言った。その左には赤髪の女がかしずき、葡萄の房から一粒つまんで少年の口元まで運ぶ。
それを大きく口を開けて受け止める。少年は、満足げに笑う。その顔が、無表情な女の顔に対照的で、ルビーは何か背筋に冷たいものが走るのを感じていた。
「何言ってんのさ。あんただって子供じゃないさ」
その正体不明の不安を殺すかのように、強気に挑発するルビー。
「俺はもう子供じゃねえ。見えねえのか?こいつらが」
ずらりと並ぶ薄着の女達を手で示す。女達は、一斉に少年に寄り添うが、相変わらず無表情だ。
「こいつらは、俺の女だ。俺が言えば何でもする。これでも、俺が子供か?」
と、ルビーを睨み付ける少年。だが、何故かルビーはまるで怖くなかった。相変わらず不気味ではあったが。
少年の目には、対抗心こそ見てとれたが殺意はなく、また敵意も感じられ無かった。故に脅威となり得ない。
「……ボク、良く分かりませんけど……。それは、違うと思います」
真っ直ぐ少年を見つめて、さらさらと流れる沢の水のように淀み無く。モカナは言う。
「男の人と、女の人は、ルナさんとジョージさんみたいな、リフレールさんとジョージさんみたいな、良く分からないけどあったかい感じになるのが、本当の、俺の女っていうのだと思います」
何を思って言ったのか、ルビーには分かりかねた。
だが、モカナの目には憧憬が浮かんでいて、ただモカナは少年の言葉に抵抗を感じて言わずにいられなかったのだと直感した。
「誰だよそれ」
と、少年は突っ込みを入れる。
うん。だよな、とルビーは頭の中で呟いて頭を切り替えた。
「まあ、モカナのはいいとして。あたいらは、別にあんたに用は無いさ。ここに、あたいらのツレが来てるはずなんだ。そいつを探して来たのさ。金髪で冴えない女、今日降って来なかったかい?」
「ああ、そいつなら来たぞ。シオリ」
「えっ?」
少年が後ろに首を向けると、少年が座る椅子の後ろから、薄着の冴えない眼鏡女が姿を表した。
その顔は、他の女と同様、人形のように固まっていたのだった。
「……シオリ、お前何やってるさ」
「……………………」
シオリは応えない。虚ろな目で、少年を見つめたままだ。
「おい、あんたシオリに何をしたさ!」
ギリリとルビーが奥歯を鳴らす。すると、少年は怖い怖いとおどけて見せた。
「ただ、ここに落ちてきただけさ。そして、今は俺の女だ。ここに来た女は、全部俺の女になるって決まってるんだ」
「……へえ?どういう仕掛けか知らないけど、あたいも女なんだけどさ?あんたに従おうなんて、これっぽっちも思えないさ」
「ここにいれば、お前もそう思うようになるぜ?ゆっくりしていけよ」
ニヤニヤと、少年は余裕の笑みを見せる。その余裕にいい加減頭に来たルビーが、身を僅かに屈める。
「……何だよ?」
「あんたは他人を馬鹿にしてるみたいだから、教えてやるさ。身の程ってやつを」
そう言ってルビーは一閃の影と化した。滑りやすい毛皮の床などなんのその。気づいた時には、少年の眼前にルビーの拳があった。少年の目が大きく見開かれる。
が、次の瞬間見えない壁に当たるように、いや弾かれるようにルビーが大きく吹き飛ばされて跳ね返ってきた。空中で身を捻り、着地したルビーは楽しげに口元に笑みを浮かべた。
「はん。そんな事じゃないかって思ってさ」
ルビーが睨む先、少年の前には目を瞑った長身の精霊が立ちふさがっていたのだ。見えるというほどハッキリしたものではなく、舞う埃や毛皮の毛が形作る精霊だ。
「風の精霊、話には聞いてたけど見たのは初めてさ」
「な、なんだよお前!お前も風の精霊使いか?」
「あはっ、そんなに早く見えたさ?残念。あたいのは、自力さ」
楽しげにルビーは笑った。正直嬉しかったのだ。最近付き合う連中は、ルビーの身体能力に慣れてしまって誰も驚いたり褒めたりしてくれないからだ。
「……ムジカ、そうなのか?」
少年が、傍らの風の精霊に問う。その精霊は、僅かに首を縦に振った。
「この者達とは事を構えるべきではない。火と水の気配を感じる。二人とも、精霊使いだ」
ムジカと呼ばれた風の精霊が忠告する。一瞬怯んだ少年だったが、それを振り切るように不敵な笑みを浮かべた。
「……冗談じゃねえ。むしろ上手くいきゃ、精霊使いを俺の女にできるんじゃねえか。おい、あの手でいけ」
「……忠告はした」
と言うと、ムジカはルビーに手をかざしたまま静止した。何かをされると思って身構えたルビーだったが、しばらく様子を見ても何も起きなかった。強いて言うなら、甘ったるい香りが強くなった気がする。そんな事くらいだった。
「はぁ、故郷じゃあたいを女扱いした奴なんていなかったから、なんか複雑な気分なんだけどさ。あたいにだって、選ぶ自由があるさ。次は本気で行くさ。止められるもんなら、止めてみな」
猛獣を思わせる前傾姿勢をとるルビー。そのルビーを、少年は勝ち誇った笑みで迎えた。
「そのまま、そこに伏せろ」
一瞬、ルビーは少年が何を言って自分が何をしたのか理解できなかった。ルビーは、前傾姿勢を崩し、そのまま床に突っ伏していたのだ。
「はっ!?なっ、ど、どうなってるさ!?」
只今、応援したい人を気軽に応援できる流れを作る為の第一段階としてセルフプロモーション中。詳しくはこちらを一読下さい。 http://ch.nicovideo.jp/shaberuP/blomaga/ar1692144 理念に賛同して頂ける皆さま、応援よろしくお願いします!