珈琲の大霊師058
ビヨン駐留から1ヶ月。砂煙を上げてビヨンにサラク軍が迫ってきた。その数6千。とても、いち傭兵団に差し向ける数ではなかった。
だが、その時点でラカンは町の手前に塹壕を築き、周囲に伏兵を完全配置するだけの余裕があった。
用意した武器だけで、2万の敵を相手にするだけの準備をしてきたのだ。
「思ったより少ねえな。他にもいると思うか?」
「この辺りの伏兵を置けそうなポイントには、すでにこちらの伏兵が張っていますからね。そちらで動きが無い事を考えると、恐らく真正面から挑み、蹴散らそうという作戦かと」
「かーっ、年寄りの大国が考えそうなこった。事前調査もして来ねえのか」
「全くですね。もし、『鋼の鎧』を知った上で真正面からでも打ち破れると踏んでいるならば、彼らの蹄鉄、へし折って口に詰めてやらないといけませんね」
早くもやる気を失いかけているガルニエに、残酷な笑みを浮かべるラカン。
2時間後。サラク軍は、たった一人の兵隊もビヨンに乗り込む事叶わず、壊走した。
ありとあらゆる戦法に、独自の対処をされ、それを打ち破る事ができずに戦術ボキャブラリーの欠如から士気が低下し、退路に敵軍の旗を掲げるという示威行為に、サラク軍の士気は底知らずの下落を続け、ついに崩壊してしまったのだった。
「呆れるな、ありゃあ。一人もまともな指揮をしてる奴がいなかったぞ」
小高い丘の上で、逃げていくサラク軍を見下ろしながら、ガルニエはげんなりとそう呟いたのだった。
諜報部に周辺の調査をさせていくと、崩れていくサラクの姿がよく耳に入った。聞けば気の毒な話だが、傭兵として各地を転々としているガルニエやラカンからすれば、「よくある話」の一つに過ぎなかった。
住民達は、薄々ガルニエ達が正規の駐留軍ではないと気付いていたが、誰も何も言わなかった。
流れてくる噂からは、サラク各地の治安が悪くなる一方だという事が容易に見て取れた。無茶も言わず、頼りになるガルニエ達が居てくれれば自分達は安心して暮らせるのだと、むしろ残留を期待していた。
そんな住民達の歓迎ムードが伝染していったのか、『鋼の鎧』はあっという間にビヨンに溶け込んだ。
そして、ビヨンに来てから5ヶ月後。ミシェルが子供を生んだ。双子の、黒髪の男の子と金髪の女の子。ラカンとガルニエの二人は見るなり「奇跡だ!」と抱き合って喜んだ。
「ははっ!!見ろよ!!間違いなく、俺達三人の子供だぞ!!」
「はい!ええ!見てますとも。あれ、おかしいな。ズズッ、良く見たいのに目の前が揺らいで良く見えません」
「赤ん坊は逃げねえから、顔洗ってこい!」
「ええ、ええ。うっく、ふうううう」
ミシェルの子供が生まれた事、そしてその子供が二人の特徴を受け継いでいた事は一夜の内にビヨン中に知れ渡った。
翌日は、三人が寝泊りしている兵舎にどんどん人が詰め掛けてガルニエとラカンはミシェルに変わって対応に追われた。
「ああ、めんどくせえ!!やるならどんとこいってんだ!!」
ガルニエの思いつきで、ビヨンの中央広場で即興のパーティーが行われた。溜めた金を放出し、食べ放題飲み放題の立食パーティーだ。
ガルニエとラカンは、始終祝われたり、小突かれたり忙しかったが、一生分ではないかと思うくらい笑ったのだった。
ミシェルの産後の疲れた取れたらビヨンを出発しようと考えていたガルニエとラカンだったが、団員の一人から相談された事を切欠にビヨンを離れがたくなってしまった。
「俺、実は宝石露天商の娘とイイトコまでいっててさ。頼むよ大将!長い付き合いだろ?一生の頼みだ。口説き落とすまででいいから、ここにいてくれ!」
同様の相談が、後から後から寄せられた。それは、団員側だけでなく住民側からも同じだった。団員の事が好きになってしまったから仲介してくれだの、今度結婚しようと思ってるだの。
団員達がビヨンに溶け込みすぎた結果、ビヨンを離れられなくなってきてしまったのだ。
そうこうしている内に、今に至る。
「……うわぁ。正直信じたくねえな」
と、ジョージは呟いた。
「紛れもない真実です」
と、ラカンが少し不機嫌そうに言うと、ジョージは手をふらふらと振ってそういう意味じゃないとジェスチャーした。
「あんたらを見てると、そっちの方が余程しっくりくる。そっちが正しいってのは良く分かるがよ、正直、その元部隊長の偽情報に騙されたリフレールの事を考えるとな。信じたくなくなるわ」
ジョージは苦笑して、ため息を一つついた。すると、喉が渇いている事に気付いた。
無性に珈琲が飲みたくなった。
「モカナ、アレ、淹れてくれ」
隣の、薄着姿のモカナに力無く頼むのだった。
やっと自分にできる事が見つかって、元気良く部屋を出て行くモカナ。
「はぁ……ああ、そういや自己紹介もしてなかったじゃねえか。ま、大したもんじゃないんだがな。俺はジョージ=アレクセント。元はマルクの衛兵だった。今はしがない旅人ってやつだ」
「ただの……旅人?ただの旅人を、サラク王女が連れて歩くとは思えませんが」
「護衛だ護衛。いざって時の捨石程度の男だよ。買い被るのはやめてくれ」
「でも、サラク王女を逃がしたのはあなただ。違いますか?」
「違うね。あいつは、自分で逃げただけさ」
間違ってはいなかった。ジョージは、リフレールが逃げるのを手伝ったに過ぎない。
モカナを、海面に突き落とす事でだ。
「……あ?わかったぞ。あんた、王女が逃げるタイミングであの娘を海に突き落としただろ。王女が飛び込む音を掻き消す為に。違うか?」
「そんな、王女の聞いている体格とあの娘では大きさが違いすぎますよ。どうしたって、王女方が大きい音がするはずです」
このラカンの言葉を聞いて、ジョージは内心安堵していた。この二人がどこまで情報を持っているか分からなかったが、リフレールが水の精霊を従えている事は知らないようだった。
サウロの力によって水の膜を体の周りに張り巡らせたリフレールが、水面で立てる音はごくわずかだ。そのごくわずかを消しきる為に、モカナは突き落とされたのだ。
「お待たせしました~」
モカナの華やかな弾むような声と一緒に、嗅ぎ慣れない香りが部屋に溢れた。
「んん?」
「これは……」
「よお、待ってたぜ」
ジョージは身を正して、自分の前に珈琲が置かれるのを見届けた。
「神経すり減らした後には、これが一番だよなぁ」
「はい!」
ニコニコとモカナは上機嫌だ。やっと自分の役割を果たせて嬉しいのだろう。
「芳ばしい……だけではなく、なんというか深みのある良い香りですね。それは飲み物なんですか?」
「ああ。こんなのだ」
と、ジョージはラカンの見える所まで珈琲を近づけてやった。ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべながら。
「うわぁ!!そ、それって呪い水じゃ!!」
「何ぃ!?おい、おまっ、敵か!?仕掛けてきやがるのか!?」
慌てて飛び退るが無様ではない。敵を前にした猛獣の俊敏さだ。
「はっはっはっはっは!!やっぱり、こいつを始めて見る奴は同じ反応をするんだな!ははははは!!」
「うー、呪い水じゃないです」
笑い終えたジョージは、香りを楽しんだ後、カップを緩やかに傾けた。苦味と、この豆の特徴である強い酸味が、上手にかみ合っている絶妙なハーモニーが口から鼻へと抜けた。
「ふぅ……。最初はどうなるかと思ったが、この豆も随分と美味く淹れられるようになったな」
「はい。えへへ、段々美味しくなるのが分かってくると、なんだか育ててる気分になるんですよ」
そう言って、モカナは照れ笑いした。
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