珈琲の大霊師203
最初の光景は、川底から見上げる水面。きらきらと、太陽が流れる水面に千々に歪められて、綺麗だった。
ずっとそうやって眺めていた。ふと、水面の向こうが気になって、まるで手を差し出すように視界が浮かび上がっていった。
浮かび上がった先はこの家の近くで、水車がごうごうと回っていた。
「おう、もう帰りかい」
「ああ。悪くない稼ぎだった。キビト様々だな」
「じゃあ今日は飲もうぜ。ヤギの乳酒あるぞ」
「いいね。俺もあっちで買って来た生ハムがあるぜ」
「そりゃぁ楽しみだ」
そんな事を話しながら、楽しげに石造りの橋を渡って行く村民。
辺りを見回すと、少し開けていて、畑で数人の女達が農作業をしていた。
川の縁に手をかけて、じっとそれを見つめていた。
「おや」
不意に、頭の上で声がした。
見上げると、顔に皺の入った浅黒い老人が立っていた。
「……こりゃ知らない子だ。……キビト様の親戚かね。ふむ」
老人がしゃがみ、こっちに手のひらを差し出してくる。なんとなしに、多分反射的に、その指を両手で掴んだ。
「ほほ、こりゃひやっこい。ふむ。ばば、喜ぶかもしれんな。ちょいと、うちにおいでな」
と言って、手のひらが体の下に滑り込んできて、持ち上げられた。
景色が、凄く早く動いて、ゆっさゆっさ揺れてびっくりした。
びっくりしている内に、この家の前まで来ていた。
「ばば、今帰ったぞ。ちょっと見てみい。変わった子がおったわ」
そうはしゃぐ老人は、昆虫を見つけた男の子のようだった。
「あら、随分早く帰って来たねぇ」
連れられた先には、老婆がいた。今とまるで変わらない容姿の老婆だ。強いて言うなら、こちらは少し肌の色艶が良かった。
「なんだいなんだい?……あら?見たこと無い子だねぇ」
「じゃろ?さっき川辺におってな。わしが指出したら掴むもんで、連れてきた」
「へえ?どれ……」
老婆のしわだらけの指が伸びてくる。それも反射的に掴んだ。
「ほほ、ひやっこいねぇ。なんだか、ふにふにと気持ち良いわね」
「うむ。ばばが喜びそうじゃと思ってな。どうじゃろ?家で飼うっちゅうのは」
「いやいや、そんな軽く扱っていいものではないよ。きっと、これはキビト様の親戚でしょう」
「かもしれんが、周りに親もおらんかったぞ?どっかから流されてきたのかもしれん」
「ちょっと居た場所に行ってみないとね」
「いや、誰もおらんかったっちゅうに」
「あんたが見つけられない無くし物を、何回あたしが見つけたと思ってるの?いいから連れてきなさい」
「……誰もいないと思うがのう」
かくして2人は、元の場所まで移動したが、1時間程探すも何も見当たらず、帰って来るしかなかった。
「のう、やっぱり家で飼うのは……」
「あんたね、飼うなんて気持ちじゃ絶対許さないからね。見てごらん、まだ小さいからよく分からないけど、小さな子供みたいな姿でしょう?」
「む?………おお、本当じゃ。……男の子かのう?女の子かのう?」
「きっと、そこまで分からないくらいの子供なんじゃないかしらね。ふふ、よしよし」
老婆が差し出す指を掴む。それを老婆が縦に揺さぶると、掴んだ手に体がもってかれてゆらゆら揺れた。老婆は本当に嬉しそうで、皺だらけの顔を緩ませていた。
「可愛いねぇ……。あたし達にも、子供がいたら、こんなだったかねぇ」
「いや、わしらの子だったらこんなに小さくないじゃろ!」
「……ほんと、あんたって機微に疎いねぇ。まぁ、あたし達には分からない事が多すぎるし、一度キビト様に相談しましょう」
「ふむ……。ん?じゃあ飼う事はええんじゃな?」
「だから、飼うんじゃないの。育てる、守る、慈しむ。この子が何者でも、そのくらいの気持ちで向き合わなくちゃ」
「ふむ。ばばは、相変わらず細かいのう」
「あんたが大雑把すぎなのよ」
その日は、2人はこの小さな水の塊のような子供を食器に入れて寝た。
ずっと変わらない景色を見続けていた視界は、また景色が変わらなくなっても何とも思わなかったみたいで、次の日、2人が起きて挨拶してくるまで一度も動かなかったのだった。
それから数日経った頃、ドロシーは水筒に入れられてゆっさゆっさと揺られていた。
急に真っ暗になったわけだが、そもそも何かを思うという段階まで精神が育っていないのか、視界は揺らがなかった。
「おはようございます。キビト様」
ばばの声が聞こえた。それは、親しい人に対しての挨拶に聞こえた。
「はい。おはよう。今日はとても良い天気だね。……あれ?その水筒不思議な感じがするね。何が入ってるのかな?」
「流石はキビト様じゃ。何でもお見通しじゃのう!」
「いや、分かることしか分からないよ。それで、何が入ってるの?」
「川辺で見つけたんですけどね、キビト様の親戚か何かじゃないかって2人で話してたんですよ」
と、声がしてゴソゴソと視界がブレて、急に明るい所に飛び出した。すごく眩しい。
「この子と暮らそうかと思ってるんですけど、大丈夫でしょうか?」
ばばは不安そうに尋ねる。深めの皿に出されたドロシーは、初めて見るキビトと呼ばれる者に興味が湧いたのか、それをじっと見つめていた。
キビトは、薄緑色の肌に、茶色の髪が長い少年。そう見えた。しかし、その落ち着いた佇まいは、明らかに人間のそれではなかった。
「うーん……。へぇ、珍しい!この子、水の精霊だ。それも、自然発生した子!!うわぁ、僕生まれて初めて見たや。ちょっと触ってもいい?」
「どうぞどうぞ」
恐る恐るといった感じで、少年の指が迫ってきて、ドロシーはいつものようにそれを両手で掴んだ。
「うわっ。うふふ、可愛いね!ふにゃふにゃだ!」
「あらあら、キビト様が子供みたいに喜んでらっしゃるわ」
「ほっほっ、そうしてると本当に子供みたいじゃ」
「君達の何倍も生きてますよー。まぁ、同族の中じゃ新米だけど。それにしても可愛いなぁ。そういえば、2人には子供がいないんだっけ。いいんじゃないかなぁ、自然発生した精霊はしばらく不安定だし。構ってくれる人がいれば、安定しやすいっていうし」
「あら!嬉しいねぇ。ご飯は何をあげたらいいんでしょう?」
「えっ……?うーん、何だろう。水かなぁ。今まで水の精霊を飼った人なんて聞いたことないし。契約する場合は、勝手に人間の精気を吸うらしいんだけど。そうだなぁ、よく分からないから、よく構ってあげて。僕の方でも調べてみるから。あと、たまに様子を見に行ってもいいかな?」
「ええ、ええ。いつでもどうぞ」
「ふふ、やったね!あ、名前は?」
「水から出てきたから、みずのこにしようかなって」
「……えっ?」
「良い名前じゃろう?どこから来たかする分かるしのう」
「いや、まぁ……。うん、いいんじゃ、ないかな?」
爺さんが自慢げに胸を張るので、キビトは苦笑いして肯定するしかなかったのであった。
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