見出し画像

珈琲の大霊師085

 その日の夕方、砦のバルコニーでリルケへの懲罰が執行される段取りとなった。

 執行時間の30分前。バルコニーには、モカナと、一つの鉢植えだけが、その時を待っていた。

「……本当に受けるんですか?」

 殊勝にも座して待つリルケに、モカナは心配そうに尋ねた。

「うん。これは、私の為だから。私が、改めて皆の仲間になるための。だから、ちゃんと受けなきゃ」

 どんな痛みも耐えてみせると意気込むリルケを見て、モカナは余計心配になってきた。

「罰って……、ジョージさんが考えたんですよね?」

「うん。きっと、私の気持ちを分かってくれたんだと思う」

「……あの、リルケさん……。ジョージさん、ですよ?」

「ん?」

「ジョージさん、なんですよ?」

「え?どういうこと?」

 何度も繰り返し聞くモカナに、リルケはやっと何か含みがある事を感じ取った。
 
「ジョージさんが、普通の罰なんて考えるとは思えなくって……。リルケさんが言ってたみたいに、鉢植えを落とすなんて絶対しないと思うし……」

 と、もじもじしながら呟くと、リルケもはっと気付いたように表情を固くした。

 その時、バルコニーの扉がバーンと勢い良く開いて、何故かエプロン姿のジョージが姿を現した。
 
 異様に、異様に黒いエプロンだ。いや、そうではない。黒く、なったのだ。良く良く見ると、エプロンの端にベージュの生地が見える。
 
 そして、その右手には陶器のコップが握られていた。

「うっ……!!」

 モカナが鼻を押さえて後ずさる。リルケには嗅覚が無い。強いて言うならば、取り憑いた人間の嗅覚を借りればいいのだが、今は問題を起こしたばかりで自粛中なのだ。
 
「えっ、何?」

「モカナ、お前には辛い光景だ。中に入ってろ」

「……いいえ、ボクも、ここにいます。リルケさんを、一人に、でき、ません」

 モカナの目から、涙がにじむ。モカナには、それが何であるか、そしてそれをどう使うかがもう予想がついているらしかった。
 
 それほどの、何かがその小さなコップに入っている。リルケは、言い様の無い不安にかられた。
 
「さあリルケ。よくも俺を殺しかけてくれたなというわけで、俺から心の篭った罰を持ってきたぜ?」

 ニヤリと、楽しげだが暗い歪んだ笑みでジョージはそう言った。
 
 そんな笑い方を見たのは始めてで、リルケは己の罪を意識せずにはいられなかった。

 生きていたら、生唾を飲んでいる場面だろうな。と、リルケは思った。

 そして執行の時が訪れた。
 
 ジョージは、ゆっくりとリルケの鉢植えに近づくと、手にしたコップを、ゆっくり、ゆっくり、しつこい程ゆっくりと傾けていった。
 
 そして、まるで一本の糸の様にコップから黒い液体が降りて、リルケの鉢に注がれた。
 
(?)

 リルケは首を捻る。覚悟していた割に何も感じなかったからだ。それもそのはず。少量の液体は浸み込むまでには、時間がかかるのだ。
 
 じわりと、リルケは味覚に違和感を感じた。
 
 次の瞬間、地面に接しているわけでもないのに、リルケは、跳び上がっていた。
 
「~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!」

 口を押さえてリルケは悶えた。花が根から吸った成分が、直接リルケの味覚を、問答無用で刺激するのだ。
 
 それは、途方も無く苦かった。途方も無く酸っぱかった。匂いは炭としか言いようがなく、咽てもどうしようも無い程致命的な風味が後から後からリルケを襲った。
 
 そんな液体が、実に絶妙に、細い糸のように注がれ続けている事にリルケは気がついた。このままでは、注ぎ終わるまでにどれだけの時間がかかるだろうか?
 
 リルケは肉体が無い事も忘れてジョージに掴みかかり、やはりすり抜けてしまった。集中もできなくて、青い世界も広げられなかった。
 
「これはな、リルケ。俺が煎り損ねた珈琲豆を溜め込んだのを使って、しかも無理矢理濃くしてるんだ。正直、作りながら思ったぜ。豆に申し訳ねえってな。しかし、お前のお陰で役には立てたみたいだ。ありがとな」

 そんな事はいいから、この拷問をやめてくれとリルケは言いたかったが、苦すぎて口がおかしくなって、なにがどうやらもう訳が分からない酷い事になってしまっていた。
 
 とにかく、味覚の戦争地帯というか、ありとあらゆる味わい方の、人間の感じうる全ての味覚を冒涜したかのような苦味と酸味のせいで、リルケは早速猛烈に反省する事になった。
 
 二度と、ジョージやモカナを襲ったりするまいと、二度と嫉妬などしないと。それだけの破壊力が、この珈琲にはあった。
 
 
 
 全ての黒い液が鉢を通過した後、ジョージはふと思った。
 
(そうだ。この珈琲を地獄珈琲と名付けよう)

 凄くどうでもいい事を思いついた、とジョージは思った。

「私、この世のものじゃない存在じゃないものになったと思ったのに、この世のものじゃない味に遭遇したよ。凄いねモカナちゃんうふふ」

 全ての液体が注がれた後、虚ろな表情で意味の分からない事をリルケは言った。

只今、応援したい人を気軽に応援できる流れを作る為の第一段階としてセルフプロモーション中。詳しくはこちらを一読下さい。 http://ch.nicovideo.jp/shaberuP/blomaga/ar1692144 理念に賛同して頂ける皆さま、応援よろしくお願いします!