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珈琲の大霊師133

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第20章

     珈琲のある風景

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 サライ湖の畔に、唐突に露店ができたのは、それから三日後の事だった。

 日差しを遮るテントだけ張られたその下から、魅惑的な香りが近くの市場に流れてくる。

「ん?なんだ、これ。良い匂いだな」

 嗅ぎ慣れない素敵な香りに、何人もの通行人が引き寄せられていった。

 そこに待っていたのは、

「さあ、王国主導の新商品だ。見る目と舌のある奴は寄っといで。おっと、ヤニ臭えのと、酒臭え奴にはやらねえぜ?」

 と、珈琲と菓子を振る舞うジョージとモカナだった。

「あぎゃー」

 じゃぱじゃぱと水を作るドロシーの前から水差しを取り、素早く火にかける。

 モカナは、水を作りながら珈琲を淹れられるようになっていた。

 その手はひっきりなしに複数の豆を炒ったり挽いたりしている。

 テントの前には好奇心旺盛な旅人達を始め、商機に敏感な商人達が集まり、列を作っていた。

「ふ、ふおおおおおおおお!!はわぁ!」

「私の、ここまでの人生は、一体……」

「………………はっ。い、意識が飛んでいた。な、なんて味だ。私なんかにゃ、もったいない。もったいない。あぁ、でも飲みたい。あぁぁぁ………」

「にがっ、なんだこ………あれ?なんだこれ、頭がボーッと、いや、むしろ冴えてきているような気も。あれ?あれ?なんで、飲んでんだ俺。なんで止まらねえの?」

「この菓子は、西のサンデコの銘菓。ううむ、見事な細工。食べるのがもったいないが……。あぁ、この口解け……。それに比べて、この黒い汁は……ま、まあ香りは素晴らしいが、どうも呪い水みたいで落ち着かないが……どれ……。は、はぁぁぁぁ……!わた、私は、私はなんて矮小なッ!!先入観など!先入観など!」

 予想通りの反応だったが、反響は凄まじいものがあった。人生観を塗り替えるような体験とか、行かないと人生の3分の1損するとか、初日から口コミだけで捌ききれない程の人間が押し寄せた。

 予定していた量の豆があっという間に底をついて、急遽キャラバンに豆を取りにいかねばならなかった。

「も、もうだめですー」

 ぐったりと、ベッドに沈むモカナ。無理もない。1日で500杯も珈琲を淹れたのだから。

「すまねえモカナ。明日は、もう少し応援呼んで俺も淹れるからな。ほら、手出せ」

 そう言って、ジョージはモカナの固くなった腕をほぐすようにマッサージを始めた。

 その頃、サライ湖の畔に一つの影があった。その影は、身動き一つせずに湖をただ見つめていた。

「………はっ。……いつの間に夜に?」

 影は首を捻って立ち上がった。

 今夜の宿を、決めなければならなかった。

 懐を探る。

 金貨3枚に、銀貨2枚。

 影はため息をついて歩き出した。その足先は、サラクシューの外周地域に向かっていたのであった。

「また、あの人来てますよジョージさん。お仕事、してないんでしょうか?」

 この、珈琲屋台とも言うべき試みを始めて、5日目。モカナは、ある男を指してそう言った。

 ボサボサの長い髪に、歪んだ眼鏡、小汚ない服装。やつれた顔の男だ。

「……そういや、初日からいたな。……あれ、あいつ毎日来てないか?」

「はい。ふらっと来て、珈琲を飲みながらずっと湖を見てるんですよね」

「……昨日と服装も変わってない気がするな」

「ちょっと、二人ともさぼってんじゃないさー!!」

 ルビーの怒声が響いた。いつぞやのフリフリの可愛い服を着せられて、慣れない仕草で菓子と珈琲を配っている。

 それまで、ルビーはサラク軍の精鋭達に混じって嬉々として武術交流をしていたのだが、応援が必要だとジョージが訴えた為に白羽の矢が刺さったのだった。

 受けが良さそうなので、この服装にさせている。実際、アンバランスな魅力でお褒めの言葉を頂いているようだ。

 毎日その姿を見てニヤニヤする為だけにハーベン王が兵士に扮装してやってきたりする。

「はーい。今行きます」

 とてとてと駆け寄るモカナ。

 ジョージは、ルビーが立つカウンターの奥、市場まで続く長蛇の列を眺めた。

「金取ろうかな……」

 ジョージはため息混じりに呟くのだった。

「珈琲の評判は上々のようだな。早速市場を賑わせているようだぞ」

 1日の報告をしに行ったジョージを、ドグマはそう迎えた。

「そりゃ、あんだけ来ればなぁ。珈琲の御披露目って目的もあってだが、日増しに人数が増えてきた。そろそろ、1日の数量を限定しようかと思ってる所だ。俺も珈琲を淹れてるんだが、腕がおかしくなりそうだぜ」

「本来、あの感動を買おうとするならば、金貨一枚でも安い。それを無料で解放しているのだから、限定するのはむしろ当然だ」

「でもなあ。そうすると、当初の目的がなぁ……。いや、いいか。それで引っ掛からないようなら、それだけってことだしな」

「ふむ」

 翌日、珈琲は1日限定400杯までという幟を立てた。

 モカナの腕に限界が来ていた為、しばらく少な目で対処する意図だ。

 限定の噂は火のように広がり、5日間で生まれた珈琲愛好家達は我先にとテントに駆け付けた。

「てめえ!横から入ってんじゃねえよ!!」

「うるせえ!てめえがよそ見してるのが悪いんだろうが!!」

 早速喧嘩が始まった。見ると、あちこちで喧嘩が始まろうとしていた。

「やめてください!!喧嘩するなら、ボク、珈琲淹れません!!珈琲は、珈琲は、喧嘩する為の飲み物じゃありません!珈琲は、珈琲は……うぅ、うあぁぁぁぁ」

 モカナは、泣きながら怒った。ジョージは、モカナが本気で怒ったのを初めて見た。

 辺りが静まり返り、モカナの悲痛な泣き声が、その場の全員の胸を締め付けているのが分かった。

 モカナは、珈琲を渡すとき、笑顔で渡していた。誇らしげで、楽しそうで、邪気の欠片も無い、明るい笑顔だ。

 そのモカナが、泣いている。声を上げて泣いている。

 まるで、自分の事のように胸が痛い。誰もがそう感じていた。

「……すまねえ。お嬢ちゃん。すまねえ。もう喧嘩はしねえ。俺が、横から入ったのが悪かったんだ。頼むから、泣かないでくれ。あんたが悲しいと、俺まで悲しくなってくる。頼む、この通りだ!」

「ぐずっ、……もうじないでずが?」

「絶対にしない!……あんたにも、悪かった。それから、後ろの皆さんも、すみませんでした」

 そう言って、男は喧嘩していた男と、その更に後ろで並んでいた人々に深々と頭を下げ、列を抜けた。

「おい、待てよ」

 さっきまで喧嘩していた男が、それを呼び止める。

「……すまねえ。許してくれ」

「ちげえよ、バカ。戻ってこい。俺の前や後ろには入れてやれねえけどな。隣にいとけ。待ってる間、話し相手してくれんなら、半分分けてやる」

「えっ……?」

「あー………いるのか!?いらねえのかよ!?こっぱずかしいの我慢してんだぞこっちは!」

「い、いるいるいるいる!」

 慌てて喧嘩相手の隣に戻る男の慌てように、どっと笑い声が上がった。

「へへ、えへへへへへ」

 モカナも、涙を拭いながら笑っていた。

 それまでの痛い空気が、途端に暖かいものに変わっていくのが分かった。

 皆、笑っていた。皆、満ち足りた顔だった。それはまるで、珈琲を飲んだ後のような……

「……何さ、ワケわからないのに、泣けてきたさ。何さ、これ」

 ルビーの目が潤んでいた。

「……何だろうな。すげえな、あいつ」

 ジョージも、こらえていたが目頭が熱くなるのを感じていた。

 その日から、隣に並んで一杯を分かち合うという者達が現れ始めたのだった。

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